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■CATV小史~インターネット接続サービスまでの道のり


●共同受信設備から自主放送へ

 CATVは、'49年に米オレゴン州アストリアにある電気店が立てた、共同視聴用のアンテナが始まりといわれている(ペンシルベニア州のマハノイという説もある)。我が国も例に漏れず、NHKが本放送を始め日本テレビがスタートした翌々年('55年)には、群馬県の伊香保温泉に、難視聴解消のための最初の施設が誕生。以後、電波の届きにくい山間部等や電波障害に悩む都市部等に、共同受信システムとしてのCATVが設置されて行った。「Cable Television」ではなく「Community Antenna Television」と呼ばれていた時代である。当時のCATVは、基本的には「アンテナ+ブースター+分配器」で構成した、家庭の受信設備とそれほど変らない。屋根の上のアンテナが山の上やビルの屋上などに移動し、そこで受信した電波を、同軸ケーブルを使って各家庭に再配信。仕掛けは大掛かりだが、リビングから見れば、同じアンテナ端子である。

 テレビには、1チャンネルあたり6MHzの帯域が割り当てられており、1~3チャンネルが90~108MHz、4~12チャンネルが170~222MHzの周波数帯域を使用。テレビの直下にはFM放送(76~90MHz)もあり、これらが現在もそのままケーブルを使って再送信されている。地上波とは異なり、あくまでケーブル内のサービスであるため、空いているチャンネルを使って別の放送を流すことができるし、ケーブルの伝送能力次第でさらに拡大することもできる。活用次第で、テレビの多チャンネル化や様々な通信サービスを提供する、新しいメディアとしての道が開ける可能性があるのだ。そんな思惑もあり、'60年代後半から'70年代にかけて、次々とCATV事業が立ち上がる。が、再送信以上のサービスは、既得権を持つ業界にとって煙たい存在だったのか、あくまで行政主導で事を運びたかったのか、CATVが持つ可能性はことごとく規制され、'72年に「有線テレビジョン放送法」が制定される。当時のポリシーは、過半資本を地元出資としたCATV局を市町村単位のエリアに1社だけ認可。再送信とその地域に密着した自主放送がサービスの基本となっていた。


●多チャンネルからフルサービスへ

【CATVインターネットサービス分布図】

 '80年代に入ると、いわゆる「都市型ケーブルテレビ」が立ち上がりはじる。郵政省の規定では、引込端子数1万以上、自主放送5チャンネル以上、中継増幅器に双方向機能を有するものを「都市型ケーブルテレビ」としているが、ケーブルの広帯域を活かす道がようやく開かれたのである。'83年、インターナショナルケーブルネットワーク(ICNまちだテレビ局)に初の都市型ケーブルテレビの認可が下り、'87年4月の多摩ケーブルネットワーク開局を皮切に、多チャンネル双方向対応のCATV局が次々に誕生する。時同じくして、CATVと同様の難視聴解消を旗印に掲げた放送衛星技術実験が'82年に終了。'84年には実用放送衛星「BS-2a」が、'86年には「BS-2b」が打ち上げられ、難視聴対策は、増大かつ多様化する放送需要に対処するためと称して、あっという間に新しい放送ビジネスへと衣替えする。'89年には民間の通信衛星が打ち上げられ、CATV局に向けて番組を供給するスペースケーブルネットもスタート。果たして、単なる偶然とは思えないようなタイミングだ。

 多チャンネル化こそ解禁されたものの、CATV事業にはまだ多くの足かせが付けられたままだった。'93年、郵政省は、地元事業者要件の廃止、サービス区域制限の緩和、外資規制の緩和(一種電気通信事業兼営局の外資規制は'98年に完全撤廃)、複数事業計画者の一本化調整指導の廃止などを盛り込んだ「CATV発展に向けての施策」を発表。一般の商社がCATV事業に参入し、複数の市町村にまたがった広域サービスを展開できる様になる。'95年、伊藤忠商事、東芝、Time Warner等が出資するタイタスコミュニケーションズや、住友商事とTCI(Telecommunications Inc.)の合弁会社ジュピターテレコムといった、本格的なMSO(Multiple System Operators~複数のCATV局を運営する事業者)が登場し、新しいスタイルのCATV時代が始まる。

 郵政省は同時に、電機通信事業の兼業も勧奨。CATV網を使った電話やインターネット接続等のサービスが次々に立ち上がる。古くは、LCV(旧レイクシティーケーブルテレビジョン)が'86年に第一種電気通信事業の認可を受け、翌年からサービス(水道の自動検針)を開始していいたのだが、その後の認可はゼロ。'93年の施策発表を受け、'96~7年頃から認可を受ける事業者が急速に増えはじめたのである。

 インターネット接続サービスは、'96年10月に、開局したばかりの武蔵野三鷹ケーブルテレビが最初の商用サービスを開始。その後は実験サービスばかり続き、商用化がなかなか進まなかったのだが、'98年に入ると急速な進展を迎える。内容は局によってまちまちだが、定額制で(5~6千円)高速な(数100kbps~数Mbpsのベストエフォート型)常時接続環境をアピールするところが大半を占め、現在は100局を超えるCATV局がサービスを提供している。

 CATV電話の方は、前出のタイタスが千葉県柏市で、ジュピターテレコムが杉並で、それぞれ'97年に開始。サービスエリアは、今のところインターネット接続よりさらに限定されるが、安くてお得な電話としてこちらも人気を博しているようだ。

【CATV小史】
出来事
1949米国で難視聴解消用のCATVが始まる
1953NHKがテレビ本放送を開始
民放開局
1955我が国初のCATV施設誕生(群馬県伊香保温泉)
1960NHKと民放5社がカラーテレビ本放送開始
1963CATVで初の自主放送を開始(岐阜県郡上八幡テレビ共同視聴施設)
一般放送事業者に係る有料放送制度を創設
1970日本ネットワークサービスが、区域外再送信によるケーブルテレビ事業を開始
1972有線テレビジョン放送法制定
1978初の実験用放送衛星「ゆり(BS)」打ち上げ(衛星放送技術実験が開始)
1979LCVが、民間CATV局ではじめて主幹線に光ケーブルを導入
1980日本ケーブルテレビ連盟設立
1983CATV事業を民間に解放、インターナショナルケーブルネットワークに初の認可
1984放送衛星「ゆり2号a(BS-2a)」打ち上げ、NHK衛星第1放送の試験放送を開始
1986LCVに、CATV局初の第一種電気通信事業認可
放送衛星「ゆり2号b(BS-2b)」打ち上げ
1987初の都市型ケーブルテレビ開局(多摩ケーブルネットワーク)
LCVがケーブルテレビによる専用線サービス(水道の自動検針)開始
NHKが衛星第1放送を開始
1989JCSAT打ち上げ
スペースケーブルネット開始
NHKが衛星第1、第2放送の本放送に移行
1990日本衛星放送(JSB)が放送開始(WOWOW)
1991WOWOWが有料放送を開始
セントギガが有料音声放送開始
1992CS委託放送事業開始
CSでPCM音声放送開始
1993郵政省「CATV発展に向けての施策」発表
 ・地元事業者要件の廃止
 ・サービス区域制限の緩和
 ・外資規制の緩和
 ・複数事業計画者の一本化調整指導の廃止
1994初のHFC型ケーブルテレビ開局
1995MOS会社設立(タイタスコミュニケーションズ、ジュピターテレコム)
セントギガデータ放送開始
CSでPCM データ多重放送開始
1996武蔵野三鷹ケーブルテレビが、CATVを使った初のISP業務を開始(ダイヤルアップ接続)
ケーブルテレビのデジタル方式の技術基準制定
衛星デジタル多チャンネル放送開始
1997規制緩和の推進
 ・ヘッドエンドの共用化
 ・第一種電気通信事業を兼営するCATVの外資規制撤廃
 ・光ファイバーを使ったサービス
 ・無線システムを利用したサービス
ケーブルテレビによる電話サービス開始(タイタス、ジュピターテレコム)
1999CATVインターネット接続サービス認可手続きが届け出制に

(2000年5月31日)

[Text by 鈴木直美]


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