日本ヒューレット・パッカード(日本HP)が、京都・北野天満宮所蔵の国宝「北野天神縁起絵巻」の高精細複製を制作し、同宮に奉納した。HPは、過去においても重要文化財「雲龍図屏風」を同宮に奉納しているが、今回は、絵巻という総延長100mにもなる長尺ものへのチャレンジとなった。 ●平成記録本の誕生 北野天神縁起絵巻は、承久元年(1219)に藤原信實によって描かれたもので、現存する多数の北野天神縁起絵巻のうちで最も古いものだという。大きさは、縦52cm、横は最短巻が842cm、最長巻1,211cmで、全9巻(内1巻は下書き)総延長100mで構成されている。 太宰府に左遷されて失意の内に亡くなった菅原道真の生涯が描かれ、北野天満宮の由来が細かく描写されている。学問の神として有名な天神様ではあるが、この絵巻を見ると、恨みつらみのおどろおどろしさに驚かされながらも、そのユーモラスなトーンが新鮮にも感じる。 実は、国宝であるこの絵巻、オリジナルは存在せず、すでに複製だ。江戸時代の後期に古文書を調査し、建久5年(1195)、すなわち、鎌倉幕府が開かれて3年目には絵巻が存在したことがわかっているそうだ。現在、天満宮が所蔵するのは、承久元年(1219)に作成(藤原信實画)された承久本と呼ばれるものだ。 こうした由来にちなみ、今回日本HPが奉納した高精細複製は承久本の複製として「承久本を平成20年に持ちうる最高の技術を使って記録した本」を意味し、「平成記録本」という名称で呼ぶことになったという。 この絵巻は、天満宮のご神体に準ずるものとして、ずっとご神体のそばに置かれ、800年ものあいだ、基本的に非公開とされてきた。北野天満宮宮司・橘重十九氏は、「本来なら公開すべきものではあるのですが、痛みなどを考慮すると、非公開にせざるを得なかったのです。でも、これからは一般に広く公開して見てもらうことができます。信仰者の方々はぜひ見たいとおっしゃるし、精細な複製があれば利用したいとおっしゃってこられました。これで、ようやくそれを実現できます」と語る。 ただ、完全に門外不出であったわけではない。2002年には、50年に一度ずつ行なわれる式年大祭で、1,100年を記念した神宝展が行なわれ、京都、石川、愛知、東京、福岡などを9カ月かけて全国巡回している。また、外務省の申し出によって、一度海外にも渡っているそうだ。 といいながらも、天満宮の宝物殿には、現在も承久本の一部が常設展示されている。ただし、こちらも複製で、明治に入った頃に、氏子の画家によって描かれたものだ。平成記録本の完成により、今後の展示をどのようにしていくかは、まだ正式には決まってはいないが、出来る限り、多くの人に見てもらえるようにしたいと天満宮は考える。 ●プロジェクトとしての複製制作 さて、今回の複製制作には、多くの人が関わっている。当たり前の話だが、プリンタが勝手に印刷するだけでは複製にはならないのだ。 まず、写真家の福谷均氏によって、ハッセルブラッド製H3Dデジタルカメラ(3,900万画素)で承久本が撮影された。福谷氏は、「撮影が難しいとかそういうこと以前に、何よりも緊張しました。門外不出の国宝ですから、何かあったらどうしようかと、そのことばかり考えてシャッターを押していました」と、撮影当時を振り返る。 福谷氏からデータを受け取り、カラーマッチングやカラープロファイリングを繰り返しながら出力したのは、日本HPの一連の複製制作でおなじみの山口晃吏氏だ。まず、オリジナルに近い和紙を選択し、黄色がかった色を近い色になるように特注で漉かせた。この和紙は80%が麻と楮(こうぞ)で、残りの20%はパルプで構成されている。 「1巻を1回で出力させることも考えたのですが、Photoshopの扱える最大ピクセル数の制限で無理でした。1つあたりのファイルサイズは2~4GBといったところでしょうか。300dpiでの出力ですが、それで十分だと考えます。 色に関しては現物を優先し、経年変化が起こる前の状態を再現するような想像の加工は廃するようにしました。絵巻が描かれた岩絵の具は不透明ですが、インクジェットプリンタのインクは半透明に近いものですから、どうしても、質感は異なったものになります。それをどう近いものにするかは、今後の課題でもありますね」(山口氏)。 出力に使用されたのは、「HP Designjet Z3100ps GP Photo」だが、給紙構造上、オリジナルと同じ薄さの和紙を通すことはできない。そこで、出力した後工程で、和紙の裏側を剥離させ、別の裏打ちを表装する手順をとった。それを担当したのが、経師(ひらいし)集団「大入」の表装職人たちだ。ほぼ5人がかりで取り組み、本来なら3カ月は必要な作業を1カ月で完成させたという。職人の中には20代の若者もいるとのことだ。 ●主はオリジナルだけなのか こうして完成した9巻の絵巻だが、この絵巻、よく見ると、ちょっと変わった作り方がされている。反物のように、右から左へ進んでいくのが絵巻なのだが、短い間隔で紙が継がれているのがわかる。縦52cmというのは、横継ぎで制作される一般的な絵巻よりも幅広なので、和紙が縦方向に使われ、継ぎの処理がされているのだ。こうして、通常よりも大型絵巻になっているのが北野縁起絵巻の特徴だ。 制作にあたっては、継ぎ目も承久本と同じように再現することも検討されたそうだ。 「紙継ぎを作ることで表装に負担がかかり劣化しやすくなってしまうこと、また、和紙の制作にあたっても一枚物を作るのが大きな負担になることから見送りました。ただし、工程で継ぎ目を作らなければならない部分は、必ず、元と同じ位置で継ぎ目を作るように考慮しています」(山口氏)。 日本HPが、天満宮に制作を申し出たのが約1年前、天満宮側では半年をかけて、複製制作の是非を議論し承諾の結論を出した。そして、実際の制作に半年をかけて完成の日を迎えたわけだ。 記者会見会場では、別室に門外不出の承久本の一部が展示され、マスクを渡されて部屋に通され鑑賞することができた。保存状態はよく、そして、何よりも驚いたのは、800年以上も前のものなのに、その色が驚くほど鮮やかだったことだ。どこかで近い印象を受けたことがあると思ったのだが、以前、エジプトの王家の谷を見学したときに、3~4千年前の時の流れを経た壁画に鮮やかさを残す顔料の色を見つけて覚えた感動に近いことを思い出した。 完成した複製は、これが本物だと言われれば信じてしまいそうなできだったが、やっぱりオリジナルにはかなわないのかとも思った。もし、将来、岩絵の具をインクに使えるプリンタができ、それを使って出力することができるようになれば、また違った複製が完成するのだろうか。オリジナルのレントゲンをとり、それをデータ化、紙を溶かす溶剤を噴射すれば、破れ目やしわなどの紙の状態も再現できるかもしれない。逆に、丹念にキズなどをレタッチしていき、完成直後の状態を再現した複製もありかもしれない……と想像はつきない。 こうなると、複製とはいったい何なのか、よくわからなくなってくる。 そもそも、オリジナルがなくても人々は複製の中に魂を見いだす。承久本だって複製なのだから。そして、培ってきた確かな伝統技術を持つ多くの人々が関わらなければ複製は作れない。そこが、工業製品とは違うところであり、「よき市民たれ」をスローガンとするHPが熱心に取り組む分野であるゆえんでもあるのだろう。 「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」 飛び梅伝説で有名なこの道真の歌は、絵巻の中では「春ば忘るな」と結ばれる。さて、どちらが本当なのだろう。「主」をオリジナル、「梅の花」を複製と置き換えて、800年前に想いをめぐらせたのだった。 □日本ヒューレット・パッカードのホームページ
(2008年5月9日)
[Reported by 山田祥平]
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