第348回
PC業界がAppleに学べること



 先週、久々に日本通信・最高財務責任者の福田尚久氏にお会いした。この連載の読者には“プリペイド方式の無線通信パッケージ「b-mobile」を販売している会社”と紹介する方が分かり易いかもしれない。

PowerBook G4 Titanium

 福田氏は'93年からアップルコンピュータジャパンに所属し、その後、日本でのマーケティング能力を買われ、スティーブ・ジョブズ氏がAppleにCEOとして復帰した際に米Apple Computer本社のボードメンバーとして招集された人物。その後、Appleが復活への道を歩むことになった戦略の一部も担当していた。製品としては初代の15型PowerBook(Titanium)とiPodの企画、事業戦略面ではApple直営店(その後のApple Store)の基礎を作り、戦略を推し進めた。

 同氏の話を聞いていると、なぜ近年のAppleがここまでの見事な復活を果たしたのかが見えてくる。今の若い世代のApple製品ユーザーは、かつてAppleの手持ち現金が底を尽きかけ、ビル・ゲイツの出資に助けられたという話を聞くと驚くかもしれない。残り現金残高がわずかで運営資金が尽きるのを待つ状態だったという、嘘のような危機的状況を切り抜けた背景には、学ぶべき点が多く存在する。

●死を迎える直前だったApple Computer

 最初に断っておきたいが、現在はAppleを離れている福田氏だが、Appleが予定している製品や戦略展開のスケジュールに関して、未発表のものについては依然として話してはいけないことになっている。また過去の話に関しても、部分的に話としては聞いているものの、全体のストーリーを補完する情報などは筆者側で組み立てている。カギ括弧の内部以外は、福田氏の考えを反映したものではない。

 さて、時間を巻き戻して'96年12月までさかのぼろう。当時、世間ではAppleが次期OSをNEXTSTEPかBe OSにするかに絞り込み、どちらかを採用すると噂されていた頃だ。結局、NEXTSTEPが選ばれ、その後は当時のCEOだったギル・アメリオ氏が退社するとジョブズ氏が暫定CEOという立場に就任した。さらに'97年8月にInternet Explorerを標準バンドルする代わりに1億5千万ドルの出資とMac用Officeの開発に力を入れる約束をMicrosoftから取り付けた。その後はインテリジェントPDAのNewton事業売却、98年のiMac投入、2000年のMac OS Xへと動いていく。

 福田氏によると、アメリオが辞めた当時は、おそらく誰も想像していないほどに現金が枯渇し、経営の立て直し計画をまともに立案する余裕すらなかったという。

アキアのMac OS互換機「MicroBook Power 604e/225」

 筆者は当時、Appleの動向に関しても取材をしていたが、少なくとも日本でも、米国でも、そこまで深刻な(即座にチャプター11を出すような)状況だとは思っていなかった。ハードウェア販売ではMac互換機(当時はMac OSを外部ベンダーにOEMしていた)に押されてはいたものの、Mac専門店もそれなりに盛況だった時代だ。その危機を漏らさぬよう、一部のエグゼクティブだけでApple復活のための会議が開かれた。その会議を起点にその後打っていった戦略がAppleを救ったのだ。

 まず底を尽きかけている現金を増やさなければ、なんの対策も打つことができない。そこで考えたのが「Appleが潰れると困る会社はどこか?」だった。その答えはスグに見つかる。Windowsの寡占が進む中、何かと批判を浴びがちなMicrosoftが、ライバルとしてのAppleを必要としていたからだ。

 このアイディアを実現するため、ジョブズ氏はゲイツ氏に電話をかけ、すぐに提携と出資が現実のものとなった。アメリオ氏の辞任が7月。それからあっという間の出来事だった。

●汎用機から専用機へ。ユーザーの細分化に適応しようとしたApple

 外部には一切計画を明かさず、決してその“素振り”は見せないものの、「ジョブズ氏は40〜50年という長期に渡る事業計画を持っており、現在のAppleはその計画に沿って順調に運営されている」と福田氏は話す。

Intel CPUを搭載した「MacBook Pro」

 たとえばPowerPCからIntelへのプロセッサアーキテクチャ変更も、実は'97年夏からのApple再建計画の中にロードマップとして存在していたという。PowerPCからIntelへの切り替えは、福田氏によると当初計画よりも1年早い。つまり'97年の時点で10年をかけてIntelへのアーキテクチャ変更を完遂するというもくろみを立てていたわけだ。

 これはAppleがNeXTを買収したあと「Appleは新OSでIntel版も開発している」との噂が広まり、その後、その噂があっという間に沈静化した(誤解が元であるなどさまざまな理由で否定を繰り返し、PowerPCへの賞賛を繰り返すことでAppleが沈静化させた)経緯とも符合する。当時から計画し、それを秘密裏に進めていたのだ。

 こうした長期レンジの計画とは別に、収益を伸ばすことも考えなければならない。現金を手にしても、事業が赤字続きではいつか資金は底を突く。そこでワールドワイドでもMacのシェアが高かった日本市場に目をつけ、日本市場で利益を出せる製品作りとマーケティング戦略を練った。

 その頃のAppleは、経営難からリストラを繰り返し、削れるコストは全部削っていたものの、独自ハードウェアにかかるコストは大きく、利益を出しにくい体質だった。もうこれ以上は削れない。そこで目を付けたのが流通マージンだ。

 細かい話はApple以外の会社も絡んでくるためここでは控えるが、(日本では)25%もあった流通マージンを、流通側ではなくAppleの側に移動させることができれば収益が大幅に改善する。とはいえ、いきなり代理店との契約を打ち切ることもできない。そこで長期的な視点で少しづつ流通マージンを削りながら、最終的には直接販売中心へと移行していく戦略を練ったのである。

 その最初の一手が'98年のiMac。iMacは、なぜ“iMacintosh”ではなく“iMac”なのか。それは“Macintosh”の販売契約を世界中で代理店と結んでいたからだ。しかしMacintoshではなくiMacならば、その契約の外で直接量販店に卸したり、それまでとは異なる条件でより小さな流通マージンでの取引を行なえる。

 こうしたやり方は通常、やろうと思ってもできるものではない。長年にわたって製品を販売してきた代理店の利益を、自社の都合で奪おうというのだから、当然、大きな反発はある。しかし言い換えると、そこまでしなければどうにもならないほどひどい状況だったとも言える。

 何しろジョブズがCEOに復帰する前後、多くのエグゼクティブが会社を去っていく中でAppleでの仕事を辞めなかった理由を、福田氏は「この会社が最後、どのように終わるのか見てみようと思った」と懐述するほどだ。

 と、ここまではAppleをつぶさないためにどうするかの話だったが、さらに成長戦略を練るには、もちろん先を読んだ製品計画が重要だ。ここでも興味深いことに、ジョブズとその側近たちは「汎用コンピュータを使う時代から、コンピュータを応用して特定の目的に使う専用機が主流になっていく」と読み、現在へと続く製品企画の基本的なポリシーになっているという。

 その第一歩はソニーが得意としていた製品分野を、Appleの得意な領域に置き換え、斬新なアイディアを盛り込みながら企画することだった。

●“Windowsを超えること”を望まなかったジョブズ

2001年に登場したiPod

 薄型でデザイン性を重視。専用ソフトウェアを開発することで独自機能を織り込むというVAIOのコンセプト。それに音楽を外に持ち出すウォークマンというアイディア。この2つをApple的にアレンジして生まれたのが、初代15型PowerBookとその後「iLife」となる一連のソフトウェア群、それにiPodだ。

 ソフトウェアに関しては、iMac DVに添付された「iMovie」が最初の製品である。現在、iLifeというパッケージに含まれるさまざまなソフトウェアの出発点だ。機能を増やすことに注力するのではなく、ユーザーの目的に合わせて利用シナリオを練り込み、“専用機ライク”な操作性で簡単に目的を達成するというコンセプトである。

 現実のiLifeはというと、当初は“限られた機能しか持たないオマケソフトの集合体”のように見えたものだが、最新のiLife '06を見るとネットサービスの「.Mac」を絡めながら、ユーザーのやりたいことに対して最短距離の答えを提示しているように見える。その分、自由度が低い部分もあるが、もともとの目標にはかなり近付いている。

 もちろん、目標やロードマップが明確だからといって、急激にハードウェア設計やソフトウェア開発、生産技術が良くなるわけではない。実際の製品は少しずつ改善しながら現在に至ってデザインや機能などが確立されてきた。

 ここで興味深いのは、有望だと信じたコンセプトに対して長期に渡って投資を行ない、継続的に製品を改良し続けたことだ。大きな市場規模を相手にするMicrosoft、あるいはPCハードウェアに、Appleが独自に対抗していくことは非常に難しい。

 しかし最初からコストをかけてプラットフォームを作り、それに継続的に改良を加えていくという手法ならば、Appleなりの魅力を引き出すことができる。フルモデルチェンジのサイクルを長く取り、その代わりにデザインや改良に対して多くの資源を投入するという手法は、現在のコストとスペック最優先で作られるPCとは対極的だ。

 こうした戦略を実行できたのは、最初から「ジョブズはWindows搭載PCを超えるシェアを取ることに興味がなかった(福田氏)」からだともいえる。Windowsをライバルと見立て、それ以上のシェアを取るのではなく、同氏が実現したいと考えているビジョンを実現するために粛々とできることから順に取り組んでいるのが現在のAppleというわけだ。

 たとえばコンピュータから“音楽を蓄積、管理し、演奏する機能”を切り出した専用コンピュータとも言えるiPodは、Apple最大のヒット製品と言われているが、実は北米でiTunes Music Storeを開始し、その事業が軌道に乗るまで、事業としては全く期待はずれの結果しかもたらさなかったという。

 Appleのボードメンバーの中でiPodの事業化に賛成していたのはジョブズ氏と福田氏のみで、発売後の不振が続き、毎回、2人はiPodで他役員から責め立てられていた。それでも成功を信じて当初から予定していた事業計画を変更しなかったからこそ、今のiPodがある。

●明確な目標設定と継続した取り組みが必要なPC業界

 経済活動の内容を吟味すると、PC業界の中心はコンシューマではなくビジネス用途だ。企業向け製品での活動がPC全体のビジネスを支えている。スペックとコストに特化した製品作りや戦略に偏りがちなのも、ある程度は致し方ない。自社でハードウエア仕様を決め、OSもアプリケーションも開発して提供する“小さな小回りのきく”Appleとは簡単に比較できない。

 しかし明確な目標設定と継続した取り組み、それに細かなモデルチェンジよりも恒久的な付加価値を提供していこうという姿勢は、たとえばThinkPad、Let'snote Lightなどにも見られ、それぞれに成功を収めている。特にLet'snote Lightの、完全に割り切って、自ら設定したコンセプトに忠実に製品を提供する姿勢は際だっている。

 今のPC業界が“Appleのやり方”に学ぶところは、まだまだあるのではないだろうか。

 さて、この話にはまだまだ続きがあるのだが、また別の機会に書くことにしたい。また本来、福田氏に話を聞くハズだったMVNO(Mobile Virtual Network Operator)事業に関わる部分についても、実は今回のAppleの話とも(考え方としては)連続したものだと個人的には感じている。

 筆者は今後、MVNOという事業形態が大きく伸びると考えている。ユーザーにもっとも近い位置にあり、またユーザーに対して直接的に付加価値を提供でき、多用なメニューからユーザーにぴったりのサービスを提供できる。そんな柔軟性を持てるのは、インフラを持っているネットワークオペレータではなく、サービスに特化したMVNOだと思うからだ。

 このあたりの話は来週のコラムで書くことにしたい。

□関連記事
【1月26日】【本田】Intel Mac投入で分岐路に立つMacintosh
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0126/mobile322.htm
【'97年7月10日】米Apple ComputerのCEOアメリオ氏辞任
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/970710/apple.htm
【'97年2月5日】米Apple社、新体制を発表。ウォズニアックも相談役として復帰
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/970205/apple.htm
【'96年12月24日】【後藤】はたしてNEXTSTEPはMac OSのカンフル剤となるか
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/961224/kaigai01.htm

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(2006年7月11日)

[Text by 本田雅一]


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