昨年初、映画とTVを集中的に見てやろうと思い立ち、1年かけてかなりの時間を費やした。TVをライブで見ることはほとんどなかったが、映画は映画館で見ようと、せっせと通い続けた。映画を91本見たところで、ここまでかと思ったが、クリスマスが終わってからラストスパートし、当初目標の計100本を成就することができた。 ●一話完結コンテンツへの回帰 映画は、ほぼ例外なく、一話完結のコンテンツだ。人気シリーズなどで、次作を期待させるものもあるが、前作を見ていなければ、まるで意味不明ということもないし、結末が次作に持ち越されることもほとんどない。かつて、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」という映画のパート2の最後に「to be continued」というクレジットが流れ、映画が未完で終わってしまうのに当時は驚いたくらいだ。 ほぼ2時間の枠の中に起承転結をこしらえる映画の一話完結は、小説やコミックでいえば読み切りに相等する。昨年見た100本の映画は、邦画、洋画、コメディ、シリアス、アクションとジャンルも多岐にわたるが、それで違和感はない。 映画を100本見るということは、だいたい週に2本を見るつもりでいなければならないが、実際には、映画を見る余裕がまったくない週もあるし、出張などもある。だから、シネコンのタイムテーブルをうまくつなぎ、1日に3本の映画を見る日も珍しくなかった。シネコンなら5分の余裕で次のスクリーンに移動できるのが嬉しい。そういった効率のよい見方をしても、こんがらがることなく十分に映画が楽しめたのは、一話完結という原則がきちんと守られているからだと思う。 余談だが、小説やコミックの世界には単行本のための書き下ろしという形態がある。作家にとって、書き下ろしというのはたいへんな作業だ。何しろ、具体的な〆切が明確ではないので、終わりが見えないのだ。ところが雑誌連載は、一定期日までに書き上げないと、定期刊行される雑誌のページに穴があいてしまう。だから書き上げざるを得ない。人にもよるだろうが、こっちの方がラクなのだ。ぼくがいうのもおこがましいが、昨年、この連載を1年間、毎週書き続けてこられたのも、明確な〆切があるからこそだ。同じテーマで相当量の単行本を書き下ろせという注文があったとしても、書き上げることはできなかったに違いない。 ●肩書きとしての作品 映画が一話完結であるからこそ、それは役者や監督の肩書きにも使われる。今、映画の予告編を見るとわかるが、監督や出演する俳優には過去の実績としての作品名が冠される。それでああ、あの人だということがわかるようになっているのだ。 ところがTVというメディアは1クール毎週放映という連続ドラマのパターンを編み出した。ほぼ3カ月で1つのドラマを完結させるわけだ。映画が2時間前後であるのに対して、番組改編期の特番編成で枠がつぶれたり、毎回同じタイトルバックや次回予告、CM部分を差し引くと連続ドラマ1回あたりの尺は40分程度だと思うが、1回ずつ盛り上げながら次回への期待を織り込み10回程度を仕上げる必要がある。こうして視聴者は、次の週の同じ時間にTVの前に座りチャンネルを合わせる。 家庭用のビデオデッキが登場してからも、この手法は続いたし、今もそうだ。ところが、視聴者のTVの見方は明らかに変わってしまっている。1クール分をそっくり録画しておいてまとめてみるような見方などは、ハードディスクレコーダーならではだと思うが、実際そうしてドラマを楽しんでいる視聴者もいる。コミックなども、毎週発売されるコミック誌の展開にじれったさを感じ、単行本になってからまとめて読むという読者も少なくないと聞く。つまり、コンテンツのトレンドは映画のような一話完結に回帰し始めているのだ。 かといって、TVの番組編成がスペシャルもの一本槍になるかというと決してそうではない。それはCM収入による番組制作というビジネスモデルにも影響を受けているのだろう。けれども、TVだって、こうしたトレンドを踏まえた上でコンテンツの提供を考えなければならない時期に来ているだろう。そんな呪縛のないインターネットオリジナルのコンテンツ配信で、15分程度のコンテンツを連続定期配信していることにこそ、多少の違和感を感じてしまう。そこにはTVの手法が見え隠れしているように思える。ささいなことではあるが、ITの業界がコンテンツ供給に習熟していないゆえの現象なのだろう。 ●スター依存のビジネスモデル ぼくの2006年はCES取材で始まったわけだが、例年通り、基調講演を集中して聴いた。開幕前夜のMicrosoft CTOビル・ゲイツに始まり、ソニーCEOのハワード・ストリンガー、Intel CEOのポール・オッテリーニ、Yahoo! CEOのテリー・セメル、Google創業者のラリー・ペイジと、実に豪華な面々だ。 この顔ぶれもすごいが、もっとすごかったのは、彼らのゲストとして登場した著名人の豪華さだ。ソニーはトム・ハンクスを呼び、Intelもトム・ハンクスやモーガン・フリーマン、Yahoo!はエレン・デジェネレスとトム・クルーズ、Googleがロビン・ウィリアムズという面々である。 トム・ハンクスは映画「ダビンチコード」絡みだし、トム・クルーズはもちろん映画「ミッション・インポッシブル3」絡み、昨年「ミリオン・ダラー・ベイビー」でアカデミー助演男優賞受賞のモーガン・フリーマンは「ClickStar」の代表者として登壇、また、エレン・デジェネレスは俳優でもあるが、人気TVトークショーの司会者としての登場だ。これって日本でいえば、江口洋介と織田裕二に混じってが渡辺謙が登場、そこに上沼恵美子が笑いを添えるという感じになるんだろうか。 COMDEX亡き今、CESにIT業界が乱入しているような印象は否めない。けれども、そのIT業界も、最終的に、コンテンツホルダーや古い言い方をすれば銀幕のスター、タレントたちにビジネスモデルを依存していることが本当に実感できたのが今回のCESである。電波がEthernetケーブルにとってかわられることはあっても、そこを流れるbitのストリームは彼らが支える。かくして、世の中は振り出しに戻るのである。かつて、TVなどなかった時代のように。
□ClickStar(英文)
(2006年1月8日)
[Reported by 山田祥平]
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