山田祥平のRe:config.sys

ディレクトリツリーの森の中で




 身の回りの情報の多くは、必ず、なんらかの分類がなされている。その分類の階層構造は、多くの場合、ルートを起点にしたツリー状で、もし、そうなっていなければ、任意の対象に行き着くのはたいへんだ。身近な例でいえば、HDDのディレクトリツリーがそうだし、インターネットの階層化ドメイン構造も思いつく。コンピュータは、その階層化構造を思いっきり無視した探索スタイルを可能にした。

●分類は他人の仕事、探すのは自分の仕事

 昔、昔、その昔、図書館の本は、ほとんどの場合、日本十進分類法で分類され、それを頼りに、紙のカードを繰り、読みたい本は、閉架式の書棚から取り出してもらう必要があった。けれども、その分類は複雑怪奇で、目的の本を短時間で探し出すのは至難の技だった。今なら、ちょっと気の利いた図書館であれば、たいていコンピュータ端末が置いてあって、本を著者名やタイトルなどから探し出すことができることを思うと、びっくりするほど原始的だった。

 同じことは書店でもいえるし、ミュージックショップでもいえる。たとえば、ラジオやテレビで耳にして気に入ったアーティストのCDを買いに行ったとしよう。自分ではポップス・ロックの棚に並んでいると思いこんでいるのに、どこを探しても見つからない。仕方がなくて店員に聞くと、カントリーミュージックの売り場に並んでいるという。ぼく自身の例でいえば、最近、こういうパターンが少なくない。

 コンピュータはこうしたイライラからぼくらを解放してくれた。たとえば、検索サイトの雄として君臨するYahoo! Japanでは、カテゴリ検索で分類を順にたどっていくときに、左下に矢印のついたフォルダアイコンがあることに気がつく。これは、Windowsでいうところのショートカットだ。

 ミュージカルに関連したサイトを探そうと思ってカテゴリをたどっていくとしよう。エンターテイメント > 音楽 > ミュージカルとたどればいいのだけれど、実は、ミュージカルカテゴリは、芸術と人文 > パフォーミングアートに分類されている。カテゴリツリーの詳細を知らなくても、ぼくらは、ショートカットかどうかを意識することなく、ミュージカルカテゴリにたどりつくことができる。図書館の本の分類も、こんなふうになっていたら、出会うはずのない本にも出会えていたかもしれない。

 ちなみに、先にあげた「ポップスなのになぜかカントリー現象」は、amazon.co.jpでは起こりえない。なぜなら、Shania Twainのアルバムを探すために、ポップスからたどっても、カントリーからたどっても、どちらでも、目的のCDに行き当たるからだ。

 もっといえば、ジャンルがなんであれ、Shania Twainというアーティスト名がわかっているのなら、検索キーワードを入れれば、すぐにCDが見つかる。膨大なCDが収納された棚をすみからすみまで探すという、リアル社会では不可能に近い行為を、コンピュータは現実のものにしてくれたのだ。

●本当に分類は必要なのか

 ぼくらはコンピュータを使って文書を作る。また、デジカメで写真を撮る。そして、作成した文書や撮影済みの画像データを、しかるべきフォルダに保存する。

 フォルダツリーは、ユーザーごとにさまざまだろう。個人が自分のために使うパソコンならなおさらだ。自分で決めた分類にしたがってフォルダツリーを作り、ファイルの種類にかかわらずに分類している人もいれば、時系列で保存している人、ファイルの種類ごとに分類している人もいる。個人的には時系列や、ファイルの種類ごとに分類するというのはナンセンスのように思えるのだが、意外と、そういう人は少なくないようだ。

 ちなみに、Windowsでは、画像はマイピクチャ、音楽はマイミュージック、動画はマイビデオに保存するようにナビゲートされるが、そんなことでいいんだろうかとも思う。旅行の写真は、旅行の記録文書や現金出納のスプレッドシート、参考になったウェブサイトのショートカットなどといっしょに「2005年夏のバカンス・ヨセミテ渓谷」などというフォルダにまとめておいた方が便利なんじゃないだろうか。探しているものが、画像であるのか、動画であるのかなどを最初に気にしなくてはいけないというのは、どうも納得できない。

 でも、ショートカットを使えば、分散して置かれたリソースを、見かけの上では1カ所に集めることができる。階層構造下では、論理的に離れた位置にあるフォルダ相互の行き来も簡単だ。[上へ]ボタン、[戻る]、[進む]ボタンはそのために用意されている。MS-DOSの時代には、ショートカットという概念がなく、[..]という相対パスだけで行き来していたことを思えば大きな進化だ。

 もっとも、UNIXには、昔から、シンボリックリンクやハードリンクといった機能が実装されていたし、今では、NTFSでもコマンドラインユーティリティであるfsutilを使い、ハードリンクを作成することができる。この機能を使えば、ディレクトリツリー内に置かれたファイルに対して、その実体を指し示す別のファイルを作ることができる。数GBの大きなファイルのハードリンクをいくつ作っても、ファイルの実体はひとつなのでHDDの容量が圧迫されることもない。

 さらに、リソースキットに付属するlinkdコマンドを使えばジャンクションと呼ばれるフォルダのハードリンクも作成できる。ショートカットではないので[上へ]、[戻る]を使い分ける混乱もない。

 ファイルのハードリンクでは、片方を更新すれば、もう片方も更新される。ただし、片方を削除しても、もう片方は残る。一方、ジャンクションは片方を削除すれば、もう片方も削除される。この仕様が正しいのかどうかは悩ましいところだ。実際、ハードリンクも、ジャンクションも、GUIでは作成できないところを見ると、マイクロソフトとしては、あまり使ってほしくはないのかと勘ぐりたくなる。

●古いメタファを脱ぎ捨てる勇気

 コンピュータソフトウェアのユーザーインターフェースは、現実社会にすでにあるものをメタファに作られることが多い。その方がわかりやすいし、とっつきやすさもある。何よりも、わざわざ学習しなくても、過去の経験で使いこなせる可能性がある。

 ディレクトリツリーのシステムは、現実社会をメタファにしたばかりに、自らの使い勝手が犠牲になってしまった結果かもしれない。探している情報を簡単に見つけ出すための方法さえ用意すれば、わざわざ階層構造を作る必要はないからだ。それに、階層化ドメインシステムのように、最終的なオブジェクトの実体がひとつである必要もない。

 MSNツールバーの一機能として先日公開されたWindowsデスクトップサーチは、こうしたしがらみを一気に解き放つ優れたツールだ。何しろ、このツールがあれば、ファイルがどこにあるのかを知っている必要がなくなるからだ。

 だいたい、灯台下暗しというか、目の前のコンピュータにある情報よりも、インターネットを介した遠くのコンピュータにある情報を探す方が簡単で素早いというのもふざけた話だ。Windowsに最初からこういう機能が実装されていないのがおかしい。同様のツールに、Googleデスクトップ検索があって、その便利さにずっと使い続けてきたし、キャッシュの検索など、便利な機能もあるので併用するつもりでいたが、近頃は、めっきり使わなくなってしまった。

 今は、Googleツールバーと、MSNツールバーがIEのウィンドウに仲良く並んでいるが、MSNツールバーで、既定のWeb検索先を“http://www.google.co.jp/search?q=$w”とすれば、Googleでの検索が行われるので、ツールバーはひとつでもいいかもと思うようになった。

 階層構造による分類は、探すための前準備、つまり、方便にすぎない。もし、その方便の代替手段がしっかりとあるのなら、分類という作業は単なる無駄にすぎない。ディスクのルートディレクトリに、片っ端からファイルを放り込んでおくだけでも、探しているファイルを即座に見つけることができるのなら、それでよかろう。

 もしかしたら、ファイル名をつけるという行為さえ意味がなくなるかもしれないし、ハードリンクやジャンクションといった機能もいらないかもしれない。フォルダ名、ファイル名は、ファイルの実体に付随するプロパティ、すなわちメタデータの1つにすぎないと考えるのも悪くない。実は、ファイルシステムというのは、もともとそういうものだともいえる。なのに、メタファが便宜を抑制してしまっている。これでいいはずがない。

 メタファにするリアルな現実は、そろそろ考え直さなければならない時期にきているのではないだろうか。

□MSNツールバー
http://desktop.msn.co.jp/

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(2005年7月8日)

[Reported by 山田祥平]


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