映画やTVドラマを見ていると、いろいろな場面にパソコンが登場する。ひと昔前のコンテンツでは、あまり現実的ではないシーンも目にしたが、最近は、そうとんでもない使われ方はしていないように感じる。いかにもありそうな設定でパソコンが使われる。これは、映画を見る側が、ごく身近な現実のコモディティとしてパソコンを見るようになったからなのだろう。 ●映画とインテル インテルが、ゴールデンウィークに公開される映画『交渉人 真下正義』をサポートするのだそうで、そのスペシャルサイトがオープンした。この映画は、あの『踊る大捜査線』のスピンオフムービーとして、ユースケ・サンタマリアを主役にして制作されたものだ。 『踊る大捜査線』シリーズは、いたるところでパソコンが登場し、あまり極端なツッコミをしなければ、けっこう現実的なパソコンの使われ方をしている作品だ。今回、オープンしたスペシャルサイトでは、1997年のテレビシリーズからの過去ヒストリーがコンテンツとして提供され、シリーズごとのインターネット、インテルの状況を、年代を追ってたどることができる。 ちょっと耳にした話によれば、映画制作者にとって、インテルのような企業は、タイアップ先として、とても魅力的なのだそうだ。というのも、インテルはパソコンメーカー各社にプロセッサをOEM供給しているため、映画の中に登場するパソコンは百花繚乱、それゆえに、各シーンにリアリティを持たせることができるからだ。これが、パソコンメーカー1社とのタイアップでは、他社製のパソコンが映画の中に登場することは許されない。出てくるパソコンがすべて同一メーカーというのは現実的ではない。 ところが、インテルとのタイアップであれば、はっきりいって、パソコンメーカー全社とタイアップしたのとほぼ同じことになる。ちなみに、今回の『交渉人 真下正義』では、主人公の真下正義がIBM ThinkPad X40を使い、真下をサポートする小池茂警部がNEC VersaPro、事件の舞台となる地下鉄・東京トランスポーテーション・レールウェイの広報主任、矢野君一が東芝 dynabook SS M200を使う。もちろん、すべてがCentrinoであり、あのロゴマークのステッカーが貼付されている。 そのほかにも、制作側からは、インテルインサイドのデータセンターサーバーの用意まで要請されたというから、作る側がかなりマニアックなレベルにあることが想像できる。パソコン的な観点からも映画の公開が楽しみだ。 ●小道具がコンテンツに与えるリアリティ 1980年代の終わり頃に、テレビドラマの制作者から相談を受けて、そのドラマに登場するパソコンについて、その使われ方に矛盾がないかどうかを検証するという仕事を引き受けたことがある。渡された台本を読み、ひっかかるところをリストアップしていく仕事だ。タイトルすら思い出せないのが残念だが、かなり細かくつっこんだ覚えがある。今は、こうしたIT考証人のような職業も、ちょうど、方言指導や時代考証のようなイメージで、市民権を得ているのかもしれない。 映画やドラマの多くはフィクション、すなわち絵空ごとだ。だが、たとえ、フィクションであろうと、ウソだけで固めてしまっては、そのドラマにリアリティが生まれない。そのリアリティを醸し出すのが、大道具や小道具だ。特に、パソコンは、現代の映画コンテンツには欠かせない存在となった。 映画の場面でちらほらとパソコンを見かけるようになった当初は、どう考えてもそれは無理というようなとんでもない使い方をされていたものだ。未来物語ではなく、現代を舞台にしたドラマでそうだったのだから、ちょっとパソコンに知識があれば、とたんに、そのドラマのリアリティが収縮してしまう。 そして今、多くの市民が、現実のコモディティとしてパソコンを使うようになり、パソコンにできること、できないことを見極める眼力が高まった。映画の中とはいえ、中途半端な使い方をすれば、ストーリー展開は破綻してしまう。今、自分が使っているパソコンでも、もしかしたら、できるかもしれない、できそうだというリアリティが重要なのだ。ウェブカメラが捕らえた動画が、ものすごい高解像度で液晶ディスプレイに映し出されるといったくらいなら許せるが、どう考えても常時接続ではないパソコンにメールが着信するというのはおかしいと感じる。そんなささいなところで、ボロが出てしまうのだ。 先週も話題にした「ナショナルトレジャー」では、主人公がパスワードロックされた部屋に入るために、キーボードのキートップを観察し、頻繁に押されることにより、キートップの表面が他のキーとは明らかに違っているキーを仲間に伝える。仲間は辞書データベースと照らし合わせることで、その文字の組み合わせによってできる意味のあるフレーズをパソコンで瞬時に割り出し、予測されるパスフレーズを主人公に伝える。こういう使い方はいい。わかりやすいし、いかにも、成功しそうなハッキングだ。 だが、主人公と仲間は装着していることがほとんどわからないヘッドセットで会話をしている。地下なのに電波は届くのか、届いたとしても電波そのものは監視されていないのかという疑問も生じる。そういう意味では、もうちょっとのところで惜しい設定になっている。 ●ユセージモデルが生まれる瞬間 自分のパソコンはいったいどんな能力を秘めているのか。メーカー製のパソコンを購入し、特に、新たなソフトウェアを追加することなく使い続けているうちは、いまひとつ、それがわからない。新たなソフトウェアの追加によって、パソコンに今までできなかったことができるようになる。これは新鮮な驚きであり、その驚きを得ることができるのは、ソフトを作ること、探すこと、購入することに努力したものの特権だ。 ところが、今、ソフトウェアは、パソコンのみならず、ハードウェアに付随するものとしてとらえられる傾向にある。メーカー製のパソコンを使わずに、パソコンを自作で調達している場合にも、光ディスクドライブを購入すればDVD再生ソフトがバンドルされている。シリコンオーディオプレーヤを購入すれば、リッピングや転送用のプログラムは添付されている。マウスを購入すればそのドライバや設定ユーティリティ、デジタルカメラなら、画像ビューアやフォトレタッチソフト。これらのソフトを使えば、それで済んでしまうことも多い。これでは、ごく一般的なユーザーが、あえて、パッケージとしてのソフトを購入する気にはならないだろうし、よほどのことがない限り、購入する必要もない。本当はその、「よほどのこと」が欲しいのに。 MS-DOS2.xのころ。ワープロなどのアプリケーションソフトを購入すれば、OSがついてきた時代があった。日本だけの特例措置だったようだが、アプリケーションのシステムフロッピーディスクをパソコンのドライブにセットすれば、OSがブートしてアプリケーションが起動したのだ。あのころ、主役はソフトにあったと思う。ソフトがあってこそ、パソコンが売れた。だからこそ、そのことを知っていたNECは、PC-9800シリーズ用のアプリケーションを各ベンダーに作ってもらおうと、新たなアプリケーションのリクルーティングに懸命だった。 映画やテレビドラマに出てくるパソコンが、それを見る側に夢や希望を与えるのかどうか。今の子どもたちは、登場するパソコンを見て、ハラハラドキドキしてくれるのだろうか。パソコンに精通しているものでは、思いつきもしない、突拍子もない、それでいてリアリティのあるユセージモデルを見てみたいと思う。リアリティを持つ絵空事が見たいのだ。 バックナンバー
(2005年4月1日)
[Reported by 山田祥平]
【PC Watchホームページ】
|
|