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久夛良木氏のポジションがCellにもたらす影響




●ゲーム分野に縮小した久夛良木氏の担当

久夛良木健氏(ソニー・コンピュータエンタテインメント社長)

 ソニー・グループは経営体制を一新、新たな役員人事を決定した。その中で注目されるのは、久夛良木健氏の動向だ。久夛良木氏は、執行役副社長兼COOとして、セミコンダクタソリューションズネットワークカンパニーとホームエレクトロニクスネットワークカンパニーを担当していたが、新人事ではグループ役員となり、ゲームビジネスグループを担当する。つまり、いったん大きく広がった久夛良木氏の担当エリアは、再びゲームビジネス分野だけに収束したことになる。

 ここで、テクノロジ側から見て、気になるのは、久夛良木氏が進めていた、ゲームエリアを超えたプロジェクト、つまり、CellプロセッサやUMDなどの今後の動向だ。特に、Cellの構想では、次世代PlayStation(PS3?)だけでなく、デジタル家電やワークステーション、携帯機器など広汎な機器への搭載を強く目指している。つまり、ソニー・グループの中のゲーム以外の部門での採用、さらに社外への外販も視野に入れている。そのため、久夛良木氏の影響力が縮小すると、そうしたCell構想にも影響が出てくる可能性が強い。

 CellがPlayStation 2のCPU「Emotion Engine」と異なるのは、より大規模なプロジェクトで、構想のスケールも大きいことだ。それは、イコールCellへの投資が大きいことを意味している。

 Cellの開発コストはわからないが、プロジェクト規模を見る限り投資額は非常に大きいはずだ。IBM、東芝と3社で開発センターを設立し、Emotion EngineのようなASICではなく、カスタム回路の本格的なCPUを開発する。ハードだけでなく、OS層も開発し、汎用利用のためにLinuxなどもサポートする。さらに、Cellを見込んで、プロセスの微細化とともに高騰する最先端Fab(半導体工場)投資を行なう。つまり、Cellというギャンブルは、これまでのPlayStation世代と比べると、はるかに賭け金がつり上がっているわけだ。

●ゲーム機向けCPUのコスト

 ゲーム機向けチップの開発が、通常の半導体ビジネスでのチップ開発と異なるのは、コストの概念だ。例えば、通常のCPUなら、売価と市場を考えて、開発/製造のコストを抑える必要がある。それに対してゲーム機に搭載するCPUの場合は、ゲーム機の中にコストが隠れてしまう。トータルでゲーム機が何台売れるか、そのゲーム機のライフサイクル全体でコストがどうなるかを考えるだけですむ。膨大な開発費をかけても、ゲーム機が1億台出るなら1億分の1のコストにしかならない。

 ゲーム機向けCPUは、通常の組み込みCPUなどと比べると、同アーキテクチャで膨大な個数の出荷が期待できる。その点が、大きなアドバンテージだ。もちろん、300万個ですらどうかと危ぶんでいた初代のPlayStation(PS)だと、あまり冒険はできなかったろう。しかし、PSの成功を受けたPS2では、より大量出荷を見込んで、開発費をつぎ込んだようすが見える。

 さらに、ゲーム機ビジネスでは、ハードで利益を上げるだけでなく、それ以外からも膨大な利益を見込むことができる。ゲーム機という箱は、その上のソフトウェアビジネスからの利益を得るためのプラットフォームに過ぎない。ゲーム機1台当たり、例えば平均7本のゲームソフトが売れるなら、7本分のロイヤリティなどの利益も期待できる。さらに、ソニー・グループのように、自社のゲーム機向けチップを内製するなら、さらにコストの概念は曖昧になる。

 PS2の成功を受けたPS3の場合は、こうした背景から、さらに開発費をつぎ込むことになったと推測される。通常、事業計画を立てる時に、次のプラットフォームはさらに成長すると見込む。より多くの台数が出ると仮定すれば、さらにコストをかけられる。開発費が増加するのは当然の流れだ。

●エコシステムの確立が重要なCellコンピューティング

 そして、Cellの場合はその枠もはみ出した大規模プロジェクトになっているようだ。Cellでは、PS3の枠に留まらず、ホームサーバーやデジタル家電全般へと展開することを期待している。つまり、PS3の出荷台数以上に、Cellを売ることを前提として、その利益を前提に開発を行なった可能性がある。だとすると、ゲーム機で賭けられる以上に、さらに賭け金をつり上げたわけだ。それも、自社以外も巻き込んで。

 もちろん、そのために、CellはEEと比べると、ずっと汎用向けになっている。Cellはプログラミングモデルを最初から考えており、プログラマにとってリーズナブルな設計になるように配慮している。その意味では、EEがやや半導体屋的なソリューションだったのに対して、Cellはコンピュータサイエンスの側から考えられたアプローチのように見える。

 本当にうまく行けば、同じCellソフトウェアが、SPE(Synergistic Processor Element:Cellのデータ処理用プロセッサコア)を搭載するCell型CPUのどれでも走るようになる。PS3向けのソフトウェアがPS3以外のCell搭載機器で走り、その逆に、Cellホームサーバー向けのソフトウェアがPS3の上でも動作できるようになる。さらに、Cell機器同士が連携して、Cell向けソフトウェアを分散処理できるようになる。

 そうしたCellのエコシステム(生態系)が確立すれば、ネットワーク効果でさらにCell向けプログラムが増える。「Cellが浸透→Cellのソフトウェア環境が整う→Cellがより浸透」といったポジティブスパイラルが生じる可能性がある。PCの世界で起きたのと同じことだ。

 しかし、ハードルはここにあって、エコシステムを確立するためには、まず、Cellをクリティカルマスまで浸透させなければならない。それも、PS3以外のアプリケーションで。エコシステムを確立できないと、CellはPS3ローカルな環境に留まってしまう。

●ソニー社内が最初の敵

 おそらく、久夛良木氏のCellコンピューティング構想にとって最初の障害は実はソニー・グループ社内だ。社内の各部署に、Cellの真価を認めさせて、Cellへの移行を促す必要がある。ソニーですら全社的にCellを使わない状態では、より大きな展開は望めない。Cellのサンプルが完成してからこれまでは、まさにそのフェイズだったと推測される。Cellのエヴァンジェリストが、社内へのCell認知を図っていたはずだ。そして、これまでは、拡大傾向にあった、久夛良木氏のソニー・グループ内での影響力が、こうした流れではプラスに働いていたと推測される。

 だが、今回の人事によって、久夛良木氏の担当エリアは縮小し、当然、社内への影響力が小さくなることが考えられる。それは、Cellの布教に関しては、ネガティブに働く可能性が高い。少なくとも、これまでより困難が増すのは確かだろう。

 また、半導体事業への投資も、もう1つの重要なファクタだ。Cellの製造コストをゲーム機にとってリーズナブルなレベルに持っていくには、65nmプロセスへの移行が欠かせない。また、PS3ゲームとビデオハンドリングの両方を並列にできるホームサーバーを実現するにも、やはり65nmプロセスで構成を大きくしたCellが必要になる。膨大な投資が必要となる65nmの早期立ち上げが、うまく進展するかどうか。

 Cell以外でも、影響は出る。1つはPSPの光ディスクメディアであるUMDだ。ポータブルマルチメディアプレーヤーであるPSPにとって、ゲームの次にカギとなるコンテンツはビデオだ。SCEIは、PSPビジネスモデルでは、UMDで供給するコンテンツとしてゲーム以外の分野へ発展させつつある。しかし、UMDビデオを本当に浸透させるためには、PSPで再生できるだけでは足りない。据え置き型のTV接続プレイヤーなど、他の機器へのUMDドライブの搭載が進まなければ、一定以上の拡大は難しい。つまり、UMDビデオの発展のためには、ソニー・グループ内の他の部門に、UMDを採用してもらう必要がある。これも、これまでよりもハードルが高くなった。

 こうして見ると、今回の久夛良木氏のポジション変更によって、PSを巡る次世代技術の動向は、今までよりも厳しくなったと言えるだろう。

 しかし、必ずしも全てがネガティブというわけではない。まず、Cellプロセッサ自体は、基本思想がうまく考えられており、今のところデジタル家電の将来ニーズにピタリと合っている。SPEをモジュールとして広げるというスケーラビリティの発想も、非常にロジカルだ。また、Cellの高いパフォーマンスと効率は、現状の汎用プロセッサでは太刀打ちできない。つまり、弾自体は悪くない。

 また、ソニー・グループとしても、すでに投資をしてしまっているCellを推進せざるをえないだろう。Cellを推進しなければ、Fabのキャパシティを埋めて、Fabの減価償却を進めることができない。すでに賭け金は払ってしまったので、前に進むしかない状況だ。

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(2005年3月8日)

[Reported by 後藤 弘茂(Hiroshige Goto)]


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