山田祥平のRe:config.sys

待つことの意味



 パソコンを使うようになってから、待たされることを当たり前だと思うようになってしまった。パソコンを使う以前、これほど待つことがあっただろうか。そして、その当たり前は、創る行為、考える行為に影響を与えてはいまいか。

●パソコンは十分に速いのか

 初心者であればあるほど、速いパソコンを使った方がいいと言ってきた。最近は、それがちょっとトーンダウンして、上から2番目がねらい目だと言っている。ハイエンドプロセッサを搭載した製品は、理不尽に値付けが高いことが多いからだ。

 速いパソコンを使えば、待ち時間は少なくなる。打てば響くような反応で動いてくれれば、戸惑うことも少なくなる。初心者は待たされていることに慣れていないので、マウスのクリックひとつにしても、その反応が即座に戻ってこないと不安になってしまうのだ。もっとも、最近は、携帯電話や各種のアプライアンスを使う機会も多く、パソコンは十分に速いと感じているかもしれない。

 もしかしたら、パソコンに習熟するということは、パソコンの遅さに慣れてしまうということを意味すると言ってもいいかもしれない。これは“時間がかかる”ということを、経験的に読み取れるのがパワーユーザーだ。

 それなりにパフォーマンスの高いパソコンを使っているつもりではいるが、待たされることは多い。Windowsの起動、アプリケーションプログラムの起動、ファイルの読み込み、ダウンロード、外部機器からのデータ転送などなど、あらゆる場面で待たされる。

 たぶん、ぼくが日常的に行なう作業の中で、もっとも時間がかかるのは、現像済みフィルムのスキャンだ。手元の環境では、36枚撮りのフィルム一本を、長巻き状態で一気にスキャンできるのだが、それにだいたい45分かかる。スキャンするのはモノクロネガなので、ゴミ除去のためのICEなどは使わない。それでも指定したフォルダに約45MBの16bit TIFファイルが36個できるまでにこれだけの時間がかかる。

 さらに、これらのファイルの内容を見るために、画像ビューアを起動する。プログラムがウィンドウを開くために約十秒。愛用のビューアは、新潟キヤノテックのMuseViewer Proだが、スキャンデータを保存したフォルダを開き、36コマ分のサムネール表示が完了するまでに約45秒かかる。これでもほかの製品に比べれば、かなり速いほうなのだ。

 そして、特定のコマのサムネールを開いてフルスクリーン表示するのに3秒、加工を思い立って、ファイルをPhotoshopに送って開くのに20秒。さらに、36コマ分約1.6GBをDVD-Rにバックアップするのにオンザフライで約8分。この時間を利用して、スキャナから取り出した長巻きフィルムを6コマごとに切断してスリーブに入れる。

 この一連の作業の中で、ぼくがやったことといえば、たかだか10数回のクリックと、数文字のタイプにすぎず、残りはすべて待ち時間だ。待ち時間には、何をするということもなく、文字通り、暇つぶしにブラウザでウェブを見たり、メールの返事を書いたりする。ときには、スキャンを開始したら、そのまま食事に出てしまうこともある。1枚あたり45MBもの画像ファイルを扱うのだから、時間がかかって当たり前という気持ちが、頭の中のどこかにあるのだ。

●待ち時間は自由な時間か

 単純作業のことを機械的な作業ということがある。誰がやっても同じだから、機械に任せればいいというわけだ。パソコンに委ねている仕事の多くはそうだ。誰がやっても同じ結果になる作業をパソコンに任せることができれば、それで浮いた時間は、人間にしかできないもっとクリエイティブな作業に使える。けれども、そうは割り切れない部分がある。ほかのことをやればいいのはわかっていても、おとなしく待ってしまう。

 じゃあ、今、要している時間の半分になれば問題はないのかといえば、きっと、そのときになればそのときで、まだ遅いと思うのだろう。扱うデータはさらにサイズが大きくなっているかもしれない。だから、パソコンはまだまだ速くなってもらわなければ困る。

 静かで熱くないのがよいのはいうまでもない。ただ、実際の待ち時間の多くはI/Oに費やされているであろうことは想像に易く、プロセッサはそれほど仕事をしていないかもしれないけれど、システム全体の底上げはまだまだ欲張ってほしい。

 無我夢中で何かに取り組んでいるときには時間がたつのを忘れてしまうものだ。なぜなら、そこには、待ち時間がないからだ。

 今よりも、もっともっとパフォーマンスが低いパソコンを使っていたころ、たとえば、クロック周波数10MHzのV30を搭載したPC-9801VMを使っていた1985年頃を思いおこしても、パソコンにそれほど待たされたという記憶はない。

 これはさせる作業にもよるし、パソコンに対するスキルによっても違ってくる。少なくともぼくの場合はそうだった。だから、あのころは、無我夢中でパソコンをさわっていたら、いつのまにか夜が明けていたということがよくあった。ほんの少しのラクをするために、MS-DOSのバッチファイルを夜を徹して作るというのもどうかと思うが、まあ、それはよしとしよう。あのころは、パソコンをさわることが目的そのものだったのかもしれない。

 今ならさしずめ、PowerPointを使って思いっきり凝ったプレゼンテーションを作るとか、Excelのマクロで悩みまくるといったところだろうか。なぜか、こうした作業では、あまり、パソコンに待たされているという気持ちを持つことがない。PowerPointやExcelの中にとどまる限りはさほど不満を感じないということだ。それが、ひとたび、複数の環境を組み合わせた複合的な作業となると、とたんに待ち時間が発生する。

●待つことに慣れてはならない

 待つことが苦痛なのは、行為の中断を強いられるからだ。腹が減ったとか、眠いといった、自分に起因する理由であれば、それは仕方がないが、自分のコントロール下にないところで、思考や創作の行為を止めなければならないのはつらい。

 少なくとも、機械に任せたくとも、それができなかった時代には、そんなことを経験しなかったはずだ。膨大な量の計算をしなければならない場合でも、ソロバンをはじくことは、本人にとっては、完成へのプロセスだ。だから、計算し終えたときには、充実感も残る。

 パソコンは、苦しい作業からぼくらを解放したかに見えるけれど、その代償として、待つことを強いる。待ち時間は、機械によって強いられた時間であって、人間が望んで手に入れた自由な時間ではない。そのことに慣れてしまうのは危険だ。

 インタラクティブということを考えるときに、打てば響く反応の機敏さは重要だ。今のパソコンの能力では、それが無理であるのなら、せめて、待たされた印象を持たないようにうまく騙してほしいものだ。

 スキャンしたら、それを見たいと思うのは当たり前だし、見ているうちに、バックグラウンドでPhotoShopが起動していれば、編集だって素早くできる。プロセッサは、演算を分岐予測してまで性能を上げようとしているのだ。オペレーティングシステムの仕事なのか、もう少しアプリケーション寄りのミドルウェアの仕事なのかは議論すべきだが、少しは人間の行動パターンを学習してくれたってよさそうなものだ。

 書いたものは読むだろうということが予測できればI/Oはまだまだ捨てたもんじゃない。有能な秘書ならそこまで配慮する。もっとも、その予測を裏切って、いつもとはまったく違うことをしてしまうからこそ、人間なのだが。


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(2004年12月17日)

[Reported by 山田祥平]

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