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ITと書物の共存



 この秋、東京には、立て続けに2つの大書店が誕生した。ひとつは丸の内の「丸善」、もうひとつは新宿の「ジュンク堂書店」だ。丸善が1,750坪120万冊、ジュンク堂が1,100坪90万冊。その規模は、ジュンク堂の池袋店にはかなわないが、とにもかくにも大型店の出店が相次ぎ、そのパワーの加速はマスコミにも取り上げられている

●八百屋と酒屋

 電車に乗っているときに、新宿のジュンク堂開店の車内吊り広告を見たときには、ちょっと驚いた。新宿紀伊國屋書店前と大きく書かれていたからだ。三越百貨店新宿店のリニューアルオープン第1弾として、その7、8Fにオープンした同店だが、誰でも知っている三越とは書かずに、ライバル店ともいえる紀伊國屋書店の名前を出すところに、その鼻息の荒さを感じる。新宿通りをはさみ、まさに、目と鼻の先状態で熾烈な戦いが始まったということだ。

 といっても、紀伊国屋書店とジュンク堂の本の売り方はずいぶん違う。紀伊国屋書店が八百屋ならジュンク堂は酒屋だ。テレビや写真の用語で「~を八百屋にする」というものがある。これは、平らな被写体の後方を少し持ち上げて斜めにすることで、撮影の便宜を図ることをいう。

 書籍の平積み陳列が目立つ紀伊国屋に対して、ジュンク堂は、書棚を林立させ、本を立てて並べる。だから、紀伊国屋では本の表紙が目立つが、ジュンク堂では背表紙が目につく。もちろん、書棚内でも、表紙をこちらに向けての陳列はしているのだが、イメージは図書館の開架式書棚に近いものがある。新しくオープンした丸の内の丸善は、その両方のいいところをとろうと模索しているような印象を受けた。

 残念なのは、これらの大書店がおおむね20~21時でことごとく閉店してしまう点だ。平日の夜に、ちょっと本でも物色しようと思って、仕事からの帰り道にターミナル駅で降りて、立ち寄るというには、ちょっと閉店時間が早すぎる。新宿でいうなら、大規模ミュージックショップのタワーレコードやHMVが23時まで営業しているのとは大きな違いだ。

 それにしても東京というのは便利な街だ。ぼくは、人口3万人を少し超える程度の、「市」というにはおこがましいほどの街に生まれ、高校卒業までそこに住んだ。書店は何店かあったが、欲しい本というのは、ほとんどの場合取り寄せるしかなかった。

 新刊書が豊富に並ぶことなど考えられず、雑誌などに掲載されて興味を持った本も、手にとって目利きすることなく注文せざるをえなかった。だから、当たりもあったが、ハズレもあった。まるで博打だ。

 しかも、注文してから実際に本を手にするまでには、2週間程度かかっていたのだ。東京にしたって、'70年代の終わり頃までの私鉄沿線の書店などは、似たようなものだったんじゃないだろうか。だから、高校生のころは、京都や大阪などの大都会のターミナル駅周辺に出かけたときに、好きな本を好きなだけ手にとって見られる環境は、本当にすばらしいものに思えた。

●気になる本はとりあえず入手せよ

 地方と都会における、こうした書店環境の違いは、そこに育まれる文化にも大きな影響を与えたように思う。けれども今は、相当の田舎であっても、インターネット経由で注文すれば、翌日は無理としても、その翌日には宅配便で本が届く。しかも、閉店時間を気にする必要はないのだ。

 入手できるできないという点では、日本はきわめて狭い国になったのは喜ばしい。でも、まなざしのおもむくまま、未知の本に書店で出会うという醍醐味は大都会でしか得られない。これは大きな違いだ。

 もっとも、最近は、米Amazonの「Search inside this book」や「Look inside this book」のようなサービスが始まり、オンラインで本を立ち読みすることができるようになっている。こうしたサービスはITならではのものだし、携帯電話のディスプレイでは享受できまい。

 けれども、これだけ大書店がたくさんあっても、店舗にない本はないのである。新刊書が絶版になってしまうタイミングが早すぎて、読む読まないは別として見つけたときに買っておかないと、すぐに入手できなくなってしまう。

 コンピュータ関連書籍などは、本当に絶版になるのが早い。歴史的に重要な資料価値を持つような本でもすぐに入手できなくなってしまう。インプレスは『コンピュータの名著・古典100冊』(インプレス、2004年)を出版しているが、この100冊の中に、今、買える本がいったいどれだけあることやら。

 付録には紹介書籍の入手方法として古書店の利用などについて言及されているのだから、本当に日本という国はこれでよいのだろうかと思ってしまう。翻訳物に関しては、原書をあたると、今でもちゃんと購入できることが多いのだ。

●モノとしての本、データとしての本

 紙に印刷された本は検索性においてとても不便だ。過去に読んだ本を書棚に保管しておいても、あるフレーズが頭に思い浮かび、それがどの本に書いてあったのかを特定するのは難しい。

 もし、本を特定できたとしても、それが、どのページに書かれていたのかを探し出すのはたいへんだ。この連載でも、過去の書物から文章を引用することは少なくないが、そのたびにけっこうな作業を強いられる。自分が購入した本の内容くらいは、電子的にいつでも全文検索できるようなサービスがあってもいいのになとも思う。

 書籍のすべてに、その電子データがCD-ROMなどで添付されるようなことは難しいだろうけれど、今、組み版のほとんどが電子的に行なわれているのだから、データを蓄積するのは、そんなに難しい話ではないと思う。

 それに、紙の本は絶版にせざるを得なくても、電子版は継続して販売し、ニーズに応じてオンデマンドでのコピーサービスをしてもいい。装丁の風合いを味わう楽しみなどは得られないけれど、とにかく中身が欲しいのだという場合にはありがたい。苦労して探求書を古書店で見つけて購入しても、その著者には1円も見返りはないのだ。

 新聞をPDFで読めたらいいのにと思うほどには、書籍をPDFで読みたいとは思わない。でも、読み終わった本や雑誌をPDFで保存できればいいのにとは思う。

 もちろん、個人で、全データをスキャンするというのでは意味がない。当該書籍を購入したことや、それを第三者に譲り渡してはいないことを何らかの方法で認証し、電子データにアクセスできる権利が得られるような仕組みをうまく作れないものだろうか。情報の送り手と受け手が互いに納得できる形で、コンテンツを電子的に共有することができればすばらしい。

 もっとも、その前に、急ぎたいのはパソコンに接続されるディスプレイの高精細化だ。複製による情報の配信を担ってきた紙には及ぶべくもないが、少なくとも、一冊の小説を読了する気になるくらいの品位は持ってほしい。

 本はカタチのあるモノとしての面とカタチのないデータという面の両面を持っている。大型書店乱立によって、前者はそれなりに恵まれた環境にあるが、後者を取り巻く環境は貧しい。ITは、その周辺を救ってはくれないのだろうか。


□丸善のホームページ
http://www.maruzen.co.jp/
□ジュンク堂書店のホームページ
http://www.junkudo.co.jp/

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(2004年11月5日)

[Reported by 山田祥平]

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