日本語ワープロソフト「一太郎」、日本語フロントエンドプロセッサ「ATOK」を開発し、日本語変換技術では最高峰といわれるジャストシステム。その浮川社長がこんなことを言い出した。
ITの世界に日本語の文化を持ち込み、パソコンを使った豊かな日本語による文書作成、メールによるコミュニケーションといった新たな世界を先頭に立って切り拓いたのはジャストシステムだ。その同社がなぜ、日本語の文化を絶滅させる立場にいるのだろうか。そして、ジャストシステムは、なにに取り組んでいるのだろうか。
●業績よりも話したいこと ここ数年の浮川社長の取材で、必ず感じることがある。 かつてのようにシェアや売上げという話が出てこない。2月7日に一太郎13が発売されたが、初期出荷数量の話は、あまり自分からはしゃべらない。こちらから質問すると、それなりの回答はするが、以前のように積極的な話にはならない。 いじわるな言い方をすれば、ワープロソフトの市場においては、Officeで圧倒的なシェアを誇るマイクロソフトとの差が歴然となり、あまり話したくないということもあるだろう。また、'97年の店頭公開以降、連結営業損益は、一度としても黒字化せずに、本日付け(2003年3月31日付け)の決算でも、当初見込んでいた公開後初の黒字化達成が極めて微妙な線上にあると推測される。 ワープロソフトで圧倒的なシェアを誇っていた時代や、公開前の好調な収益体質に比べると、厳しい内容であるのは事実だ。だからこそ、あまり、数字を言いたくないというのも頷ける。 だが、浮川社長は元気だ。長い間取材をしている立場からすれば、数字の話をしたくないのではなく、むしろ、もっと別の話をしたくて仕方がない、という雰囲気を強く感じるのだ。 その表れが冒頭の言葉である。
●放っておけば、方言は「トキ」になってしまう 冒頭、浮川社長が話したジャストシステムが取り組んでいる「これ」とは、「方言」のことだ。 先週、浮川社長は、大阪でこんな話を聞いたという。 「お父さんに、クリスマスのプレゼントをもらった小さな子供が、初めて『ありがとう』といってくれた。本来ならばうれしいはずの場面にも関わらず、お父さんは愕然としたというんです。それは、なぜか。子供のありがとうのアクセントが関西弁ではなく、標準語だったからなんです」 小さな子供は、幼児教育用のビデオを見て、勉強をしていたという。そこには、「プレゼントをもらったときには、『ありがとう』といいましょう」という内容が収録されていたに違いない。当然のことながら、ここでナレーターがしゃべるアクセントは、関西弁ではなく標準語である。これを聞いて学習したのであれば、標準語で答えるようになるのは当然だ。 「テレビ、新聞、雑誌は、すべてが標準語。そして、ジャストシステムが開発してきたワープロソフトも、もともとビジネスシーンで使われる標準語での使い勝手を考えてきた。だが、本当にそれだけでいいのだろうか。我々はそこに疑問を持った」 ジャストシステムは、昨年発売したATOK15で初めて関西弁のサポートを実現した。「おおきに」と入力すると、かつてのATOKでは、「大木に」と無理矢理変換していたものが、ちゃんとひらがなのままになるというものだ。これで変換機能なのか、と思うほどあっけないものだが、使ってみると、そのスムーズな使い勝手には驚く。 そして、この取り組みを発展させる形で、同社のホームページ上で「ほべりぐ」というサイトを開設した。ユーザーに、地元の方言を書き込んでもらい、方言の豊かさをお互いに知るとともに、最終的には、これをATOKの機能強化に反映させる考えだ。各地の方言のなかでも、関西弁のように、標準パッケージに組み込む例もあれば、別途ダウンロードする仕組みを提供して、対応することも考えている。 「インターネットの浸透によって、ワープロソフトや日本語変換機能を利用する場面が変わってきた。従来のビジネスユーザーが中心に利用する場合には、ビジネス文書の作成などが中心であったため、標準語さえカバーしていればよかった。だが、メールによるコミュニケーションが広がったことで、自然と方言を使うシーンが増えてきた。いまや、メールでは結構方言が使われている。わざと関西弁を使ってメールの雰囲気を軽いタッチにするといった使い方もある。さらに、若者の間でも、若者同士でしか使わない言葉が出てきた。こうした言葉にも積極的に対応していることが当社の役割であり、日本語としての文化を残すことにもつながる」 余談だが、「もーむす」と入力すると、ATOKでは、「モー娘。」と「。」までつけて、しっかり変換してくれる。そして、メンバーの名前も、一発できっちりと変換する。これも、ATOKが単なる日本語変換としての技術を追求するだけでなく、時代の流れを反映し、より使い勝手を高める努力のひとつだといえる。 方言について、浮川社長は、冒頭の言葉に続けてこんな風に話してくれた。 「方言は、誰もなくしたいとは思っていない。例えば、『めんこい』という言葉は、地元の人にとっては、『かわいい』という表現では伝わらないニュアンスを持っている。ジャストシステムは、方言にフォーカスすることで、放っておいては絶滅してしまう可能性がある方言を、日本の文化として残す役割を担いたい。それが当社が社会に貢献することにつながる」と話す。
●ジャストスマイルは教師との共同作品 方言とともに、浮川社長が力を注いでいるものがもうひとつある。小学校だ。 その市場に向けた製品が'99年に発売した「一太郎スマイル」および、その発展系である教育市場向け統合ソフト「ジャストスマイル」である。そして、その最新版である「ジャストスマイル2」が、今年6月に出荷される予定だ。 ジャストシステムでは、ジャストスマイル2の製品発表会を、3月27日に大阪で、3月29日には東京で開催した。いずれも、小学校の教師をはじめとする教育関係者が対象で、春休み期間中の教師たちが、大阪では200人、東京では300人が参加した。大阪地区では石垣島からはるばる駆けつけた教師もいたという。
ジャストスマイルは、小学校全体の6割以上にあたる全国14,000校で導入されている定番ソフトだ。 2001年度の調査では、パソコンを利用して授業を行なえる教師が中学校では48%、小学校では59%。もともと小学校の方が教えられる教師の数が極端に少なかったものが初めて逆転した。この背景には、小学校向けソフトであるジャストスマイルの貢献があると推測される。 担当部門では、この数字を前面に打ち出すが、浮川社長は、こちらから聞かない限り、この数字に触れようとしない。 その数字を言わない代わりに、小学校市場に対する想いを語ることに時間を割く。 「小学生がITを利用して、自由な発想をはぐくむ教育ができる。しかし、これまでは残念ながら、パソコンを使って教えられる教師が少なかった。それならば、我々が、もっと使いやすいソフトを作ろう、そして、子供たちにもっとパソコンに触ってもらおう、と考えた。オフィスで使うことを前提としたソフトを教育現場に持ち込んでも、決して子供は使わない。だから、現場の先生たちと合宿をして、夜を徹して話しあいをし、製品化をすすめた。その結果、完成したのがジャストスマイルだった」 浮川社長は、ジャストスマイルを「先生との共同作品」と位置づけるが、それは、こうした教育現場の声を反映して開発した製品だからだ。 だからこそ、子供が使うことを前提にした工夫が随所に取り入れられている。そして、校務利用ができるように教師のための機能も別途強化している。 同社の開発現場では、こんな表現をする。 「ジャストスマイル2は、従来製品の機能を単に強化をしたものではない。初めて使う児童でも、簡単に使えるように、従来からの簡便なインターフェイスは変更せずに、その裏で動く機能を強化した」。
自らは子供がいない浮川夫妻だが、この姿勢を見ても、浮川社長が、小学校市場に力を入れていることが伝わってくる。 発表会の内容も、単なる製品発表にとどまらず、事例の紹介や、子供に対する教育論などに広がり、参加した教育関係者の間からは、「教育シンポジウムのような内容だ」という声が出たほど、教育関係者にとっては中身が濃いイベントとなった。 東京会場の懇親会で挨拶に立った浮川社長は、「最近、歳をとって涙もろくなってしまって」と前置きしながらも、やや声を震わせながら、教育現場に対する思いとともに、真剣な姿勢でジャストスマイルに対する意見を述べ、現場での活用事例を紹介する教育関係者に対してお礼を述べた。 そして、浮川社長は、挨拶の最後に、「いまのジャストシステムにおける活動全体の考え方のベースがここにある」と締めくくった。 経営改善は企業としては、当然の課題である。もちろん経営者としての責任でもある。 だが、浮川社長は、「方言」、「小学校」というジャストシステムが本質的に関わらなければならない分野への投資は続けてきた。 その分、黒字回復が遅れたという指摘があるかもれない。回り道をしたかもしれない。 だが、日本に根ざしたソフトメーカーとして、ジャストシステムはなにをしなければならないか、ということを実践してきたともいえる。 ジャストシステムという会社は、数字とは違う側面で評価することも必要なのかもしれない。
□ジャストシステムのホームページ (2003年3月31日)
[Text by 大河原克行]
【PC Watchホームページ】
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