Microsoftの人間工学専門家が語る
Microsoftマウス/キーボード開発の裏側


Microsoftのエルゴノミスト、ヒュー・マックルーン氏


新旧Microsoftマウス

 Microsoftは20年前からマウス、キーボード、トラックボール、ゲームコントローラなどのハードウェアに取り組んでいる。スクロール・ホイールや光学センサーを初めてマウスに採用したり、アプリケーションキーをキーボードへ導入するなど、新しい技術やコンセプトの製品化にも余念がなく、そのビジネスの規模は「ソフトベンダーの余技」では片付けられない。

 同社製品が日本市場に投入されたのはおよそ10年前だが、その第1弾となったマイクロソフトマウスは、ナスビ型のデザインが話題となった。以来同社は、中央が盛り上がったキーボードなど、有機的な線や面を多用した「エルゴノミクス(人間工学)デザイン」を積極的に採用してきた。

 同社には、こうした入力機器のエルゴノミクスを担当する専門家「エルゴノミスト」が、10年前から置かれている。そのエルゴノミスト、ヒュー・マックルーン氏がこのたび来日されたので、同社製のマウス、トラックボール、キーボードの開発について語っていただいた。


●エルゴノミストの役割

 マックルーン氏はハードウェアデザイン&ユーザーリサーチという部署に所属し、人間工学の観点から、同社のハードウェア開発に関わっている。エルゴノミストの肩書きを持つ社員は、ハードウェア部門ではマックルーン氏ただ1人という。氏の「フルタイムのエルゴノミストを置いているのはMicrosoftだけ」という言葉に従えば、世界でただ1人の“フルタイムの入力機器エルゴノミスト”ということになる。マックルーン氏は7年前からこの職にあり、30以上の製品に関わってきた。

 エルゴノミストの仕事は、製品の形をエルゴノミックにするだけではない。マウスやトラックボールを例にとれば、ボールやホイールの回転の滑らかさ、光学センサーの精度、マウスの色や大きさ、触り心地なども受け持ち範囲だ。キーボードではキーの配列やキーを押す力のほか、スイッチ類の取捨選択、打鍵音の調節なども重要になる。

 これらを技術的な制約や、ゴミが詰まりにくい仕組みなどを考慮して、製品全体を決定していくのだ。


●モバイル オプティカル マウスの開発プロセス

 同社を同業他社と差別化するものの1つに「明白な開発プロセス」があるという。マックルーン氏はこれについて、「モバイル オプティカル マウス」の開発プロセスを例に解説した。

 まず、マーケティング担当者と製品の概念、とくに対象となる顧客を決める。モバイルマウスの場合はノートPCユーザーということになる。続いて、エンジニアリング担当者と、製品に必要な技術の可能性について相談する。この場合は、ホイールなどをどこまで小さくできるか、などを探るわけだ。

 次にポリウレタンの発泡剤でモックアップをいくつも作り、開発グループ内での議論はもちろん、ユーザーの反応を見る。会場では20個ほどのモバイル オプティカル マウスのモックアップが展示されたが、実際にはこの3倍の数を作るという。

モバイル オプティカル マウスのモックアップ。画面奥のほうほど、開発初期に作られたもの 初期は、小さく、左右非対称な形が検討されていた
日本のユーザーの嗜好を反映して、左右対称のデザインが検討された 製品になったモバイル オプティカル マウス。様々な色や表面仕上げがラインナップされる

 このようなモックアップ作りや試作品作りと、ユーザーによるテストは何回か繰り返され、最終的な製品となる。特にモバイル オプティカル マウスは日本市場を強く意識した製品だったため、マックルーン氏はユーザーテストのために2度来日したそうだ。

 こうした開発プロセスはキーボードやトラックボールでも同様だ。最近の同社製キーボードに特徴的な様々なアプリケーションキーは、ユーザーがアプリケーションの中で最も使う機能を抽出して独立させたものだという。

 あるいは、「Insert」などのエディットキーは使用頻度が低いため、キーボード全体の面積を小さくするために取り除いてしまいたいのだが、少数のユーザーはこれらのキーを依然として使い続けている。そこで、エディットキーの配列を縦2列に整理して、キーを残しつつ面積を減らすといった工夫もされている。また、右クリックメニューを表示する「コンテキストメニューキー」を使うユーザーはごく少数だが、障碍のある人には必要なものなので残しているという。


●好みの地域差は意外と少ない?

 マックルーン氏の言葉を借りるなら、マウスやキーボードは「自分の枕以外でもっともよく触れるモノ」だ。“枕が変わると眠れない”ような繊細さを持ち合わせていない筆者でさえ、慣れたポインティングデバイスやキーボードが使えない状況で、この原稿を書けといわれたら躊躇する。

 同社のゲーム機「Xbox」のゲームコントローラは、欧米用の大きいものと、日本用の小さいものの2種類が用意されていることをご存知の読者も多いだろう。入力機器への嗜好は、人それぞれで、地域差も大きそうだ。

 日本でのモバイル オプティカル マウスのユーザーテストでは、欧米と日本のユーザーの嗜好の違いが、2つ明らかになった。まず、日本のユーザーは左右対称の外観を評価した。また欧米のユーザーは、マウス上で指を置く位置を明確に指定されることを好むのに対し、日本のユーザーは様々な位置に指を置いても操作できることを要求した。こうした日本のユーザーの要求がモバイル オプティカル マウスに反映されていく様子が、モックアップの数々からも見て取れるだろう。

 一方で、「快適さ」については欧米と日本で共通する特性が見られた。それは、手と接触する領域が大きければ大きいほど、快適だと感じらるという特性で、これを実証し、デザイナーに伝えるために、マックルーン氏は赤外線を利用した。マウスを握って離すと、マウスにも手にも、接触した範囲に熱が残る。この様子を赤外線で撮影し、熱の範囲が大きいほど快適だと説明したのだ。

赤外線撮影された画像で、手とマウスの接触領域を視覚化する。映画「プレデダー」を見て、このアイデアを思いついたという

 あるいは嗜好が様々で、1つに絞りきれないものもある。例えばホイールのクリック感は、クリック感があるほうを好む人も、滑らかに回転するのを好む人もいる。もともとホイールは、スクロールではなくズームのために考案されたものなのだそうだ。ズームを目的としていた頃はクリック感があるホイールが好まれたが、スクロールを目的とすると、滑らかに回転するホイールが好まれる。だから、現在の同社のホイールは「どちらかといえば滑らか」な作りになっているという。

 不思議なのは、日本的嗜好を優先したはずのモバイル オプティカル マウスが、マックルーン氏によれば「欧米でも好評で、いくつか賞も獲得した」ということだ。嗜好の地域差は、私たちが想像するほど大きいものではないのかもしれない。


●エモーショナルなことを重視

 このように入力機器の開発は、様々な実験や議論、ユーザーの意見のフィードバックによって勧められていく。それは科学的に、論理的に粛々と進むプロセスのように見えるが、その一方でマックルーン氏の話からは、論理では割り切れない、いわば人間の「エモーション(情緒)」を重視する様子も伺える。

 例えばトラックボール。通常はボールをリングなどで本体に押さえつけてあり、ボールをはずして掃除したいときなどは、まずリングを外す必要がある。だが、現在の同社の製品にはリングがなく、ボールをすぐに取り外せる。これは掃除のためにこうなっているのではない。

 マックルーン氏曰く「20人の被験者に“手に触れるもので、好きなものを持ってきなさい”というテストをしたところ、最も人気があったのは球体でした」。だから、ボールをすぐに外せるようにして、ボールを手に持ったり、いじって遊んだりできるように“改良”したというのだ。ボールは無くなって困るものだから、工業製品としての機能性を考慮すればリングで押さえつけておくべきだ。だが同社は、「ボールを持ったり、いじってみたい」という、人間の「エモーショナル」な欲求を満たすことを優先した。

テストで好まれた物体の例として、マックルーン氏が見せてくれたもの トラックボールの変遷。初期のもの(左)は白く、単一の素材でできており、ボールも赤くない。また、ボールの周りに、ボールを押さえるリングが見える

 このテストでは、“複雑な物体”が好まれる、という結果も得られたそうだ。つまり、全体が同じ感触、同じ形をしているよりも、滑らかなところやざらざらなところ、固いところややわらかいところ、尖ったところや丸いところが1つのモノに同居しているほうが支持されたのだ。

 だから、最近の同社の製品では2つの素材を組み合わせたり、鋭角部分と曲面をつなげたりして、触覚を満足させるようになっている。複雑な造形や構造は、コストを押し上げる要因になると想像できるが、それでも同社はあえてエモーショナルな欲求を優先したわけだ。

 さらにこのテストでは、白や黒、銀の物体が好まれることも明らかになったので、同社製品はこれらの色をラインナップしている。その一方で、光学マウスのセンサーやアクセントのLED、トラックボールのボールなどには、赤という強い色を一貫して採用している。その理由を「赤はエモーショナルな色です。赤は血液や毒を持った動物などを連想させ、脈拍や呼吸に変化が現れます」とし、赤をアクセントとして利用していることを明らかにした。赤にはさらに、進んだテクノロジーを象徴する機能も負わせているのだそうだ。


●マウスやキーボードはなくならない

 マックルーン氏はマウス、トラックボール、キーボードを担当しているが、彼が属するハードウェアデザイン&ユーザーリサーチ部門は、「サイドワインダー」などのゲームコントローラも担当するし、Tablet PCやPocket PC、スマートフォン、Xboxなどの開発にも関与する。さらに、音声認識、手書き入力など将来のインターフェイス開発チームとも協力しているそうだ。

 こうした将来のインターフェイスが発展していけば、現在のキーボードやマウスは不要になってしまわないだろうか。マックルーン氏は「依然としてマウスやキーボードは高性能なものです。私達は現在でも、3年先のマウスやキーボードを開発しています」と答える。

 そして「マウスはWindowsなどの操作のためには大変優秀なナビゲーションツールです。キーボードは非常にプライベートな機器です」と、自分の考えを、人に知られずに入力できるキーボードの特性をあげ、「オフィスで全員が音声入力しているところを想像してみてください。音声入力は(情報を)プライベートなものではなくしてしまいますし、オフィスのみんなの注意力を削いでしまうでしょう」と、その優位を語った。

 筆者は仕事が立て込むとしばしば、キーボードやマウスがうっとうしくなる。目で見たところをポイントしたり、文字を考えただけで入力できる機器があればもっと効率がよくなるのに、と思うことがある。だが、こうした機器が実用化され、入手できたとしても、視覚や触覚をもとにした“エモーション”が人間にある限り、キーボードやマウスを手元に置いておくかもしれない。そんなことを考えさせられた、マックルーン氏の話だった。

これらはワイヤレス インテリマウス エクスプローラのモックアップ モックアップの素材であるポリウレタン発泡剤は軽いため、鉛の重りを入れて、実際の重さを再現する。重量のバランスなども再現するために、鉛の形や入れる場所が変更されていく

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【'99年5月17日】「IntelliMouse Explorer開発者インタビュー」
お尻のLEDはカッコイイから!
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/990517/e3_06.htm

(2003年3月7日)

[Reported by tanak-sh@impress.co.jp]


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