●XboxのコードネームはMidway
・Xboxの初期のコードネームは「Project Midway」だった。“PCとゲーム機の中間を行く”と“日本への反攻(太平洋戦争ではミッドウエイ海戦が日本への反攻のターニングポイントだった)”の2つの意味を重ねていた。
・Xboxのプロジェクトは、最初はMicrosoft社内の有志が立ち上げた。スタート時のメンバーはSeamus Blackley氏、Kevin Bachus氏、Ted Hase氏、Otto Berks氏の4人だった。
・4人が最初にミーティングをしたのは'99年3月30日、ビル・ゲイツ会長兼CSAの前でプレゼンテーションしたのが5月5日、正式にプロジェクトが進み始めたのが7月頃。
・同時期にWebTVチームもゲーム機プロジェクトを立ち上げており、Xboxはコンペティションを勝ち抜いてスタートした。
・最初の銀色の“ビッグX”モックアップは、本物の製品デザインが終わったあと作られた、ショー専用のデザインだった。
・XboxのGPUはNVIDIAと交渉していたが、コスト面からいったんWebTVチームの押すGigaPixelに変わった。しかし、仕様の正式発表直前にNVIDIAに戻った。
・Xboxを知ったIntelも、パット・ゲルシンガー氏(当時副社長兼デスクトッププロダクトグループ本部長)が主導で、Linuxベースのゲーム機プランを立てた。
・Xboxのコストは最初が291ドルで6年後に171ドルの試算だった。
・'99年12月のミーティングでXboxのコスト試算が出た。最悪の場合Xboxのライフタイムを通じて33億ドルの損失が出る可能性が明らかになったが、楽観的な読みでゴーサインが出た。
・Microsoftはスクウェアと任天堂、セガに買収や提携交渉を持ちかけた、その中にはDreamcast2とXboxを互換にするプランもあった。
・XboxのCPUがAMDからIntelに、発表前日に変わった。AMDの方がオファー価格は安かったが、AMDがMicrosoftにFabへの投資とギャランティを求めたためIntelに変わった。
・XboxのオーディオエバンジェリストChanel Summers氏の背中のXbox刺青は、やっぱり本物だった(笑)
●Xboxの背景が全て明らかになる究極の本
Opening the Xbox |
これまで極秘だったこうしたXbox関連情報が満載されているのが、1カ月ほど前に刊行されたXboxの内幕本「Opening the Xbox」(Prima Publishing)だ。書評は好きではないのだが、この本ばかりは、あまりのおもしろさに紹介したくなった。ともかく、Xboxの内幕は、ほぼすべてこの本で分かると言っていい。そもそも、内幕本でここまで克明で緻密なのは見たことがないと言えるほどいいできだ。
でも、本の情報が信用できるの? と疑問に思うかもしれない。今回の場合はできる。それは、著者がDean Takahashi氏だからだ。
Dean Takahashiという名前を聞いてピンと来る人は、かなりの情報通だ。しかし、CPUの動向を追いかけていると、ほぼ必ずTakahashi氏の記事に突き当たる。Takahashi氏は1~2年前までWall Street Journalのハイテク専門記者だったのだが、ともかくスクープと鋭い記事が多かった。誰も掴んでいない極秘情報をレポートし、見事な分析をする。筆者も以前は“Dean Takahashi”の名前で記事をチェックし「またTakahashi氏がこんなスクープを飛ばしてる」と慌てて調べる状況だった。
もっとも、Web時代になってからスクープは珍しくはないのだが、Takahashi氏の場合はともかく正確だった。1次情報とコメントをきっちり集め、これでもかというほど正確で克明な記事を組み立てる。確度の高いTakahashi氏の記事は、Microsoft裁判でも引用されたほどだ。
当然、CPU業界ではTakahashi氏は有名で、誰もが知っているスタージャーナリストだった。例えば、筆者が初めてTakahashi氏の顔を知ったのも、Microprocessor Forumで同席していた人が「ほら、あれが有名なDean Takahashiだ」と教えてくれたからだった。また、Takahashi氏のカバーエリアは、CPUだけでなく、MicrosoftやApple Computer、あるいはグラフィックスとか幅広いのも特徴だった。
そのTakahashi氏も、Red Herring誌に移ってからは、CPUネタはめっきり少なくなったように見える。で、どうしたんだろうと思っていたら、Opening the Xboxだったというわけだ。実際、3月のGDCではTakahashi氏を何回も見かけた。テクノロジを追いかけていたスタージャーナリストが、今はゲーム機を追いかけているというあたりに、今のテクノロジのトレンドが見事に反映されている。つまり、ゲーム機がテクノロジドライバになったのだ。
●Microsoftの異常なスピードがXboxを産んだ
2000年3月に公開された最初のX-Box「ビックX」 |
Opening the Xboxを読むと、Xboxの何が他のゲームプラットフォームベンダーにとって脅威で、何が危うさなのかがよくわかる。Microsoftのカネはもちろん脅威なのだけど、それだけではない。
脅威(1)は、意志決定とプロジェクト推進のスピード。この本を読むと、これだけの巨大プロジェクトが、あれよあれよという間に進んで行く様子が、手に取るようにわかる。
そもそも、中核となったBlackley氏が、MicrosoftのDirectX部隊に雇われたのが'99年2月だから、新社員が3カ月後にはゲイツ氏の前でプレゼンしていたわけだ。もちろん、そんな短期間では、きちんとリサーチを積み上げたわけではないから、動き始めるとこのプランじゃだめ、みたいな破綻がどんどん出てくる。だから、ハードウェア仕様もビジネスモデルも、プロジェクトが進むにつれてガンガン変わるのだが、それでも構わずぐいぐい進めてしまうバイタリティがすごい。結局、社員の思いつき状態から、たった2年半後にはXboxを市場に送りだしたわけだ。このスピードは、ちょっと日本の企業ではマネできない。
もちろん、このスピードが可能になったのは、PC業界の身の軽さと、PCアーキテクチャの流用のイージーさのおかげだ。これは、日本のゲーム機ベンダーにとってやっかいだ。それは、Xboxのスピードが、PC業界に根ざした構造的なものだからだ。PCのように動きの速い業界が隣接していると、ゲーム機は今後も常にそこからの挑戦を意識しなければならない。つまり、Xbox以降もPC業界からゲーム機の挑戦がやってくる可能性がある。
それから、もう1つの脅威はMicrosoftの自由度と人材。外から見ていると、最近のMicrosoftはどんどん有名な幹部が抜けて、マーケティングガイばかり目立つようになった気がする。つまり、面白みのない会社や人材になってしまったように見える。ところが、ゲーム機を作ろうみたいな突拍子もないことを誰かが言い出すと、ちゃんとそれに賛同してユニークで有用な人物が集まる。ヘンな社員が好き勝手にできる風土がないと、Xboxは産まれなかった。
●あまりに無鉄砲? Microsoftの意志決定
しかし、Opening the Xboxを読むと、Microsoftの危うさも浮き彫りになる。無茶と思えるプランでも、強気の見通しで突っ走るあたりは、はたから見ていても怖い。例えば、Xboxを市場投入するかどうかの最終の社内会議の前に、最悪33億ドルの損失の可能性があるという試算が出る。成功するためにはXbox 1台当たり9タイトルが売れて、しかも、そのうち3タイトルがMicrosoft制作タイトルでなければならないという。
これをもう少し説明すると、次のようになる。ゲーム機の場合、ハードの販売価格がコストを下回ることが珍しくない。ハードを売ることで直接利益を上げるのではなく、ソフトのロイヤリティで利益を得るというビジネスモデルを取っているからだ。そのため、ハードのコストと販売価格が離れれば離れるほど、メーカーはより多くロイヤリティで回収しなければならなくなる。つまり、Xboxは平均で9タイトル分のロイヤリティ収入と3タイトル分のソフト収益がないと、ハードの持ち出し分をカバーできないという試算が出たことになる。
PC業界の人にとってこの9タイトル/台というのは実感がわかないかもしれない。しかし、ゲーム業界の人間なら、これが極めて難しい数字だとわかる。過去の例では、よほど成功したプラットフォームでない限り、9タイトルは達成できていない。4~5タイトル/台程度をターゲットにするのが常識的だ。
ところが、Microsoftは、それでも突っ走る。どうしてか。Microsoftの歴史では素晴らしい製品も最初は利益が出なかったとか、もしXbox 1台当たり12~14本のタイトルが売れれば膨大な利益が出るとか、そういう見方が通ってしまうのだ。
もちろん、この無鉄砲さもMicrosoftの強みなのだが、足を踏み外すとガラガラ行ってしまう危うさもある。そして、今回のXboxは、まさに足を踏み外す寸前状態にあるように見える。
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【2000年3月10日】マイクロソフト、コンシューマゲーム機「X-Box」を遂に発表
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20000310/xbox.htm
(2002年5月23日)
[Reported by 後藤 弘茂]