山田祥平のRe:config.sys

サチるグラボ

 ハードウェアとソフトウェアはコンピューティングデバイスの両輪だ。どちらが欠けてもコンピューティングは成り立たない。同様に、CPUとGPUも両輪だ。そのGPUの処理性能、いったいどのくらいあれば十分なのか。その飽和点が知りたい。

PCの使い方が変わらないから遅さを感じないという現実

 Intelが最先端のクリエイティブ向けグラフィックスとしてArcファミリテクノロジによる一連の新製品群をAシリーズとしてデビューさせた。いわゆる外付けグラフィックスで、モバイル向けのSoCが即日提供開始されたとともに、デスクトップ用の拡張カードなどが今年、つまり2022年初夏にも提供開始の予定だという。

 PCにおけるグラフィックスは、ゲーミングとマイニング、そして、クリエイティブ用途でのエンコードなどの用途に使わない限りは、もう、プロセッサ内蔵の統合グラフィックスで十分ではないかという考え方と、いやいや、これから先のPCの使われ方を考えれば、まだまだパフォーマンスは不十分だから、もっと高い性能が必要だという考え方の二通りがある。

 もちろんIntelは後者の考え方で、今後の仮想空間における高度なコミュニケーションは、アフターコロナの世界において、ますます重要になるのだから、そこでは高度なグラフィックス処理性能が大きく貢献するはずだとしている。

 個人的には、Windowsを普通に使っていて、タスクマネージャーのパフォーマンスグラフでGPUの使用率を眺めながら、その能力を使ってもわずかだけの様子に、もう内蔵グラフィックスで十分じゃないかという気持ちも強い。

 もちろん、ブラウザの描画や各種の動画再生、写真データの現像や動画のエンコードなどの場面で処理を支援している様子は見て取れるし、日常的な操作においてもリッチなGUIのためにGPUは働いてくれている。

 気持ちよく作業できるようにすることは、PCの性能の使い方の重要な要素でもある。でも、多くの場面において、処理は瞬時に終了してしまい、ずっとGPUを占有し続ける様子はない。なかったらきっと困るに違いないが、そんなに高い性能のものはいらないというのが正直なところだ。

 あまりこういうことを言い続けていると、こいつはPCの使い方が10年前くらいから何も変わっていないのではないか思われたりするだろうし、自分自身でも疑心暗鬼に陥ってしまう。PCを道具として使う社会人としてそれでいいのかなどとも思ってしまうのだ。

 でも、先日のNVIDAによるGTC 2022の発表内容などを見ていると、本当に未来が見えて、あんなものを見せられた日には、GPUのベンダーはもっともっと儲かって未来に対する投資をさらに進めてほしいとも思ってしまう。そのためにもGPUが高い価格で売れ続け、彼らがR&Dのために必要な資金を稼ぎ続けられるようにしなければならない。

 もちろん、AMDと両横綱状態に一石を投じようとしている今回のIntelの動きなどは、既存の両社に少なからず影響を与えてほしいし、ハッパをかけることにもつながったらいいなと思う。

PCシーンからの提案を待つしかないのか

 たぶん、今のぼくらにできることは、PCの新たな使い道を、もっと深く考えることじゃないかと思う。つまり、今必要なパワーを手に入れようとするのではなく、目の前にある有り余るパワーをどう使うかを考えることから始めるというのは1つの方法だ。足りないくらいに使うには何をすればいいのかを考えてみる。

 どうも毎日、日常的な道具としてPCを使っていると、その存在に慣れきってしまい、安定して稼働し続けてくれればそれでいいくらいの気持ちになってしまう。

 かつて、自分のPCを最初に手に入れて使い始めた頃には、決してそんなことは思っていなかった。あれができないか、これはどうだろうか、こんなことがしたいと、いろんなことを考えた。遅いと思うことも多かった。それをしなくなっている今を、個人的には反省しなくちゃならないと思う。

 ちなみに、これまでPCを使い続けてきて、びっくりするほど速くなったと感じたのは、初めてHDDを使ったとき、初めてRAMディスクを使ったとき、初めてADSLを使ったときだろうか。全部20年以上前だ。

 逆に、PCが遅くて使いものにならないと感じたのは、MS-DOSの時代にジャストシステムがワープロソフト一太郎のために作った独自のウィンドウシステム、ジャストウィンドウ使ったとき、初めて、仮想マシンをPCにインストールして試したときだろうか。あのころにWordで長大な文書を作っていて、それが耐えられないほど重いと感じたことも覚えている。そういう感動や鬱憤を感じることは少なくなった。

 この原稿は4月1日に書いている。コロナ禍の中、3度目の春がやってきた。新年度ということで、新しい生活がスタートした方も多いだろう。これからこの国を背負っていくであろう若い世代は、このタイミングで自分のPCを使うようになるかもしれない。

 最初のPC選びというのは大変だとは思う。でも、そこを面倒くさがらずに、この先数年間をともにするよき相棒を見つけてほしい。どれでもいっしょなどということは決してないし、いつも言っていることだが、PCの世界は制限速度のない社会なのだから、欲張れるだけ欲張るのがいい。

 そうは言っても最終的にはコストとの戦いになるわけで、カネのかけどころのバランスは大事だし、そこはがんばって研究するしかない。

 グラフィックスとは無縁でもGPUがPCにもたらす恩恵は大きいし、その傾向は、これからますます顕著になるということを予備知識として身につけておいてほしい。そういう意味では、自作PCというのは、いろんな場面で重要な体験ができる。ただ、持ち運びが大変だから、即戦力にはなりそうにない。それにトータルコストも高くつくのが悩みどころだ。

コロナが終わるのが先か、新たな仮想空間の到来が先か

 Intelが言うように、これからの仮想空間のためにGPUが駆使され、いわゆるメタバースが、もう1つの重要な社会としての存在感を示すようになるまで、どのくらいの期間がかかるのかは分からない。

 もしかしたら、すでに、そういう世界を堪能している人たちもいるのだろう。いわゆるXR(AR/MR/VR)には限りないコンピューターリソースが求められる。それがどのくらいのものなのか、ちょっと想像もつかないのだが、たぶん、コロナに苦しめられているこの数年間よりは、ずっと短い期間で、そんな世界が訪れるのだと思いたい。だから間に合わせなければならないのだ。

 ちなみにエイプリルフールの今日は、古いPCで5年以上使っていたビデオカード「Radeon RX 480」を取り外し、Alder Lakeこと第12世代Core i9機に装着してみた。結果として深刻なエラーで大失敗。カードを外してもシステムは復活せず、青くなったが、起動エラーから到達できるシステムの復元でようやく元に戻った。時間に余裕のあるときにもう一度チャレンジしてみよう。

 内蔵グラフィックスだけでどこまで行けるかのチャレンジを続けていたのだが、Thunderbolt 4での4K数台のマルチモニター接続では、どうにも瞬断の多さに悩まされ、これはノートPCでも同様の傾向にあることから、安定するには、ドライバの改善などで、まだ少し時間がかかるのかなと思うようになった。

 だからと言ってポートを追加するためだけに高価なビデオカードを調達するというのもしゃくなので、古いパーツをそのまま使おうとしたわけだ。5年前に買って使い続けた古いビデオカードの能力が、最新プロセッサの内蔵グラフィックスよりも上というのにも、ちょっと釈然としないなどということを思ったバチでもあたったのか……。