開催地:ヒロセ無線本社ビル5F(東京・秋葉原)
東京・秋葉原のヒロセ無線本社ビル5Fで8月21、22日の2日間に渡って、MSXのアマチュア作品の展示紹介や、販売を行なうイベント「MSX電遊ランド」が開催された。
MSXは'83年に提唱されたホームコンピュータの規格。世界統一規格にすることで、どのメーカーが作ったMSXにおいても同じソフトを動かすことができることを特徴としている。現在のパソコンの主流となったPC/AT互換機では当たり前のことであるが、8ビット機全盛の当時の国内では、各メーカーが独自のプラットフォームでパソコンを作っており、それぞれの間でバイナリレベルの互換性はなかった。そんな特徴を持ったMSXではあったが、時代の流れには逆らえず最終的には'90年に発売した最後のMSX機「松下 F1-A1GT」の生産完了とともに、コンピュータ市場から姿を消すこととなった。
しかし、日本のコンピュータが個性豊かだった8ビット機全盛時代の一翼をMSXが担ったことは確かである。また、MSXからパソコンの世界に足を踏み入れた人も多い。そのため、本体の生産が終了し、市販ソフトの開発も行なわれなくなった現在でも、同人ソフト、さらには同人ハードウェアまで開発されるなど、ユーザー同士の交流が盛んに行なわれている。
基調講演を待つ人々 |
会場には2日間で2,000人を越える人が集まるなど大盛況で、ユーザー主導でプラットフォームが生き残れることを示すイベントとなった。
なお、11月にも千葉工業大学で「MSX World Expo'99」が開催される。このイベントは、「過去にMSXを所有していたけど、押入れにしまい込んでしまっている人」や、「MSXを知らない人」も対象としている。
■西和彦氏が語るホームコンピュータの過去、現在、そして未来
会場に真っ赤なシャツというラフな姿で西和彦氏が登場すると、盛大な拍手をもって迎えられた。
まず最初に今回のイベントに招かれたことで、「5年ぶりにMSXのことを真剣に考えた」と語り、「現在、プラットフォームがWindows機とMacintoshの2機種に絞られた中で、なぜMSXがこれだけ支持されているのか考えてみた。……しかし、その理由はわからなかった」と明かした。
次に自らのエレクトロニクスとの出会いについて、小学生時代にインターフォンや電話交換器を製作、コンピュータプログラムを始めたのは高校1年生だと述べた。そして、高校3年生の時にBASICを使い、そのときに「リターンキーを押すと、直ちに結果がでる」インタープリタの魅力にとりつかれたという。
その後「自分が面白いと思う記事を書きたい」として、株式会社アスキーを設立。そこで、メーカーの作るパソコンに不満がつのり、自分で設計すること決意した。'81年にオフィスコンピュータに、'82年にポータブルコンピュータに取り組み、'83年にホームコンピュータに取り組もうと考えてMSXを提唱したと語った。
MSXは1家に1台ある「ホームコンピュータ」が原点であり、1家に1台になるための第1の仮説(前提)として「ソフトウェア互換性」が必要だと考え、ハードウェアメーカーに生産をライセンスし、ソフトウェアメーカーの開発をサポートした。しかしこの前提は必要条件であっても、十分条件ではないことがわかった。そして第2の仮説としてグラフィックス機能とオーディオ機能を強化し、第3の仮説として低価格化を図ることになった。
しかし、3つ仮説を試みても、結局は1家に1台とはならなかった。低価格化して39,800円になっても300万台しか普及しなかった。そこで、既に1家に1台普及したもの考えると「電話」、「テレビ」、「自動車」と、使用料も含め39,800円より安くはないものばかりだ。しかし、その3つには共通点があり、それはネットワークであるということに気がついた。つまり、パソコンが1家に1台になるためには、メディアになる必要があると確信した。そのためには、電話(通信)、テレビ(放送)と結合し大容量記憶媒体(CD-ROM)が必要となる。そして、すべての機器がつながると「情報家電」という新しい分野が成立する。そこで、家電の歴史を研究した結果、次は「デジタル+ビデオ+光ディスク」の時代であると考えた。
しかし、次世代の情報家電端末は単機能のデジタルビデオディスクプレーヤーではなく、マルチメディアパソコンであり、これが21世紀のPCの姿である。そして、このプラットフォームにインターネットがつながるという仮説に至った。最終的にはインフラ+プラットフォーム+コンテントをすべて組み合わせたものが21世紀のインターネットとなる考えていると、次世代のホームコンピュータ像を語った。
講演の最後に、21世紀への準備として「“安価”な商品を作って“儲ける”ことが一番大切」、「“お金”を使わないで“頭”を使うことが大切」など9項目の心構えを提示した。そして、その9項目の中でも一番大切なのは「人、物、金、情報、時間の見切り」だと語った。「マスコミはMSXを失敗だと断じた。それで自分自身も落ち込んだことがあった。しかし、失敗とは、こうすればうまくいかないという学習ではないか。MSXという存在が、失敗となるのか、オタクのホビーとなるのか、パソコンの未来を考えるきっかけとなるのか、答えはそれぞれの心の中にある」とそれぞれのユーザーにMSXの定義付けを託し講演をしめくくった。
また、講演後の質疑応答の中で「公式のエミュレータも考えなければならないと思っている」とコメント、会場は盛り上がった。しかし、まだなにも約束できることはないと付け加えることも忘れなかった。
■コンパイル社長、MSX・FAN編集長も登場
西和彦氏の基調講演終了後、MSXを担った2人、元MSX・FAN編集長 北根紀子氏と、株式会社コンパイル代表取締役 仁井谷正充氏がコメントをよせた。
北根紀子氏は、「これほどの人が今でも集まり、これからもMSXはずっと生きて行くんだろうなと思うとうれしい。私も押入からゲームを引っぱり出そうかなと思った」と語った。
株式会社コンパイル代表取締役 仁井谷正充氏は「MSXがこういう形で生き延びているのは驚きであり、うれしい。コンパイルもMSXで“ディスクステーション”という、ディスクマガジンという新しい形態を生み出した。そのなかのゲーム「魔導物語」のキャラクタの1つ、“ぷよぷよ”が大当たりをして儲けさせてもらった。ただ、“ゴルビーのパイプライン”では手痛い失敗をしたが……」と語り、笑いを誘った。
また「エミュレータをいれて、ディスクステーションの復活も考えたい」と前向きなコメントが飛び出て、会場からは歓迎の拍手が巻き起こった。
■会場内のパワフルな展示品達
左からSCSIインターフェイス「MEGA-SCSI」、高速RS-232C「はるかぜ」、DSPカード「似非DSPシステム」。今や、実用的にMSXを楽しむにはSCSIやRS-232Cは必需品だろう |
4人同時プレーが可能なゲームと、アダプタ。パーティのお供に? | 「Dance Dance」ならぬ「Tansu Tansu Revolution」。もちろん(?)純正のコントローラも使えるので雰囲気もばっちり |
なぜか会場内で売られていた、知る人ぞ知る頭に効く「頭脳パン」。なかなかの売れ行きだった | 右側のワインレッドの表紙が公式ガイドブック、左にある青い表紙が「MSX magazine」。よく似せて作られている。ちなみに、このMSX magazineは定期刊行最終号の'92年5月号だったりする |
□MSX電遊ランド・公式ホームページ
http://www.sh.rim.or.jp/~syntax/ev/index.htm
□MSX World Expo'99のホームページ
http://vs01.vaio.ne.jp/pen/
□関連記事
【8月21日】西和彦氏も出席する「MSX電遊ランド」開催中(AKIBA PC Hotline!)
http://www.watch.impress.co.jp/akiba/hotline/990821/etc_msx.html
('99年8月23日)
[Reported by furukawa@impress.co.jp]