PC教養講座

グラフィックカードのパッケージにみる現代美術の問題点

講師:中州産業大学美術学科教授 画像見太郎



 グラフィックカードのパッケージに描かれる絵も、人の手によるものである以上、現代の絵画美術が抱える問題点と無関係ではない。本論文は、この絵を通して現代美術における問題点を指摘していく。

 仕事であれ、芸術であれ、絵を描く以上、いままでに絵画美術が経てきた変遷とその影響を無視することはできない。人が描く以上、なんらかの影響がそこにあり、また、作者の持つ何らかのメッセージがそこに埋め込まれるはずである。しかし、商業製品ということで、いままで、グラフィックカードのパッケージの絵については、まったく無視されてきた感がある。ここで、この点についてまず指摘しておきたい。

 歴史は繰り返すというが、パッケージ製品としてのグラフィックカードが登場した時点で、パッケージの図案は自然に発生した。当初は単なるデザインの域を出なかったものであるが、製品としての主張を持つに至り、そこに絵が描かれることになった。内包する製品が画面上にグラフィックを表示するという根本的な問題と、この絵の発生はまったく無関係ではないだろう。

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写真 1:VENUS ET-6000
写真 2:DCS 3D PROFESSIONAL+
 VGAの最初のパッケージ製品は、IBMがPS/2発売と同時に、ISAバス用のオプションとして提供したVGAカードが始まりといえる。このパッケージにはまったく絵が描かれてはいなかった。

 その後の製品については、現在、資料が散逸しており、詳細な調査を行なうことが困難である。しかし、VGA時代に一世を風靡したTseng LabsのET6000を使ったVGAカード“VENUS ET-6000”(写真 1 おそらく1990年代中葉と思われる)には、躍動する色彩とコラージュされたカードの絵が描かれている。この炎のような模様は、古代における火の崇拝、そして正義と悪が対立する二元的な世界観を持つ拝火教とも無関係ではないはずだ。

 次に写真 2(DCS 3D PROFESSIONAL+)を見てもらいたい。いまや古典的ともいえるi740を使ったカードであるDCSの3D PROFESSIONAL+のパッケージには、飛行する蜻蛉の絵が描かれている。このような虫の象徴は、アールヌーボー期に多く見られる主題である。エミール・ガレ(1846~1904)などにも、蜻蛉をあしらった作品が見られるように、当時は、かなり一般的な図案であった。しかも全体が緑を基調にした寒色系でまとめられており、アクセント的に赤が使われているものの、やはり、グラフィックカードが持つ、表現力の豊かさといった部分を表現しきれていない。もっとも、i740は、インテルが作ったということと、単に安いということぐらいしかか特徴のないものであったために、それを表現しているのかもしれない。蜻蛉の飛ぶ宇宙までもが緑色というのは、RGBのブルーが切れた状態を表現していると解釈できないこともない。


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写真 3:Creative
Graphics Blaster RIVA TNT
写真 4:Diamond Multimedia
VIPER V550
 Creative Graphics Blaster RIVA TNT(写真 3)では、これが、太陽のような炎を巻き上げる球体となる。製品とは何の関係もないようなこの球体のダイナミズムと製品との関係は、作者のみが知る複雑なメッセージゆえであろう。抽象主義ともいえるが、おそらくシュールレアリズムの影響ではないかと推測される。TNTという火薬を連想させる言葉から、爆発する太陽というイメージの連鎖は、その表面的なつながりとして認識可能だが、太陽のように見える球体の模様は、スズメバチの巣に似ており、燃えさかる巣の中で煩悶するスズメバチの姿が隠されていると解釈することはできないだろうか?

 「高速」というイメージを象徴するかのように流線型の列車が描かれているのがDiamond Multimedia Systems VIPER V550(写真 4)。しかし、これも表面的なイメージだ。というのはViperは、一般に毒ヘビを意味しており、これは、列車に象徴はされているものの、ヘビのイメージなのである。流線型なのは、速度のシンボルではなく、ヘビに似せたものであるからだ。そうやってみれば、ヘビが襲ってくるような無言の圧迫感が感じられる。しかし、ヘビといえば、古くよりしっぽを噛み、循環のシンボルとしても使われている。そういえば、Dimamond社の製品にはViperと名が付くものが繰り返し登場するのはこれと無関係ではないのかもしれない。


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 ACT VGA CARD(写真 5)は、ほのぼのとした絵でタッチと色使い、Hiromichi Yamagataを思い出させる。そして、絵のイメージとしてスピードや精細さ、色彩の豊かさといったいったものをまったく感じさせない。つまり、製品パッケージとしては、製品イメージをまったく伝えていないのである。なにか、行き詰まったインダストリアルデザイン美術の開き直りを感じる。さらに気球に書かれている文字自体も謎に包まれている。ACTというメーカー製品らしいのだが、ここには、それに並んでCTSというブランド名らしき文字、さらには各国の地名が描かれている。つまり、絵のなかでは、ブランド名であるACTと同等の地位をこのCTSという文字が持っているのだ。

 ここには、美術が抱える「何故表現するのか」という根元的な問題が内包されている。製品パッケージで最も重要であるべき、ブランド名がなぜか他の意味不明な言葉と同等の地位にあるのだ。しかも、そのACTが書かれた気球のみがなぜか墜落していくようにしか見えないのである。

 製品パッケージに書かれる絵としてはまったく機能しておらず、その意味では、本来の機能からの逸脱というより、目的からの逸脱でもある。そして、ここに、製品パッケージという狭い世界のことではあるが、目的を持たない絵という「なぜ描くか」といった問いかけからも自由になった絵がここにあるのだ。

 それに対して、アイ・オー・データ機器 GA-VDII12/PCI(写真 6)やCanopus PWR128A GTS(写真 7)は、意味不明ではあるが、何か原始的な目的を感じさせ、ディスプレイカードを否定しない分、本来の目的からは逸脱していないのである。むしろ、抽象的な絵であることで、ある種の安心感があり、パッケージを見て不安になるようなものではない。

   
写真 5:ACT VGA CARD   写真 6:アイ・オー・データ機器
GA-VDII12/PCI
  写真 7:Canopus PWR128A GTS

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 以上見てきたように、ディスプレイカードのパッケージの絵にさえも、現代美術における苦悩が感じられる。ただ、惜しむらくは、最近では絵としては、かなり直裁的で、即物的な絵が増えてしまったことだ。たとえば、Diamond Multimedia Systems のMonsterシリーズ(写真 8写真 9)や、ASUS AGP-V3000ZX(写真 10)などである。これらは、精緻ではあるものの、美術的な意味でいえば、むしろ退化ともいえる。いや、美術という枠からの堕落である。チップセットへのグラフィックコントローラーの取り込みが進むという方向が指摘される現在の状況を反映しているのではないだろうか?

   
写真 8:Diamond Multimedia
Monster FUSION
  写真 9:Diamond Multimedia
Monster 3D II
  写真 10:ASUS AGP-V3000ZX


[Text by 画像見太郎]

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