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D-NET特約 翻訳記事 「不思議の国日本」

原題: D-NET Story "Wonder Japan"
Karl Yankobsky著
塩田紳二訳



 (本記事は、米D-NETに掲載された記事の翻訳である.文中、日本人には理解できない部分が多々あるが、翻訳ということでそのままにしてある。ただし、いくつかについては、訳者注として解説を入れてある)


 東洋人は、米国人にとって理解しがたい人種であるが、特に日本人は我が国と親しい関係にありながらも、謎の民族といってもよい。かつては、日本人といえばカメラとメガネに薄ら笑いと決まっていたが、最近の日本人は、みんな携帯電話を持っている。しかも、この携帯電話ときたら、インターネットにアクセスしてWWWは閲覧できるし、メールも読めるという代物。これを、ハイスクールに入るか入らないかの子供まで持ちあるいているというのである。我が国でも変わり者といわれるノートパソコンを持ち歩く人種(Road Warrior)など、これに比べたらまだかわいいほうかもしれない。

 しかも、日本の主要な交通機関である「国電」(訳者注:筆者はJRが民営化されたことを知らないらしい)の中で、小さな――我が国の携帯電話の電池よりも軽いのである――携帯電話をみんな持って、さかんにキーを押している。何をしているのかといえば、メッセージの交換、簡単にいえばチャットのようなものである。

 Shinjucからikeburoまでyamato lineに乗ったが(訳者注:新宿から池袋まで山手線か?)、乗客のほとんどは、携帯電話を顔の前に掲げ、必死にメッセージを読んでいたのである。比較的日本人のマナーはよく、車内で大声で携帯電話で話している人はいない(あれだけみんな携帯電話を持っているのにである)。

 しかし考えてみて欲しい。日本語には、あの細かい謎のキャラクターである「漢字」が使われているのだ。それをわずか1インチ四方の液晶ディスプレイに表示させてメールを読み、Webを見るのである。更に、何千もある漢字を10数個程度の電話機のキーを使って入力するのだ。だいたい、我が国の携帯電話でも、相手の名前などをテンキーを使って入力することはできる。しかし、1度やれば、2度とやりたくないほどの苦痛を感じる。それを日本人は、漢字でやるのだ。日本人は、勤勉だというが、ここまでくれば、何か恐ろしいものを感じてしまう。

 また、テレビを見ていると携帯電話のコマーシャルのなんと多いことか、しかも、なぜかみんなテンキーを押すことができないような長い爪をした女性ばかりが出てくる。世界で最も長くシリーズ化された映画(ギネスブックに認定されている)で、日本人に最も愛された「男はつららよ」(訳者注 原文はMan is icicleだが、おそらく「男はつらいよ」の間違いと思われる)のあとを継ぐ映画と言われている「2バカ日誌」(訳者注 原文はDialy of two Stoogesだが、「釣りバカ日誌」の誤りか?)の主人公のムスメである「浜崎あゆみ」も、そんな携帯電話のコマーシャルにかり出されている(しかも長い爪である)。

 そうなのだ、この国の人間は、みんな携帯電話に「取り憑かれて」いるようなのである。日本でも米国に遅れて、学校での暴力などが問題になってきたのだが、その学生が携帯電話を持ち歩いている。いったいあの電話の通話料は誰が払っているのだろうか? きっと、保護者なのであろう。だが、自らお金を稼ぐことができない彼らに、あのような経費のかかるものを持たせていいのであろうか? それに言っておくが、日本の携帯電話の料金は、高いと言われている電話料金よりもさらに高いのである。

 それから私は、さらに日本人がモバイルコンピューティングに「取り憑かれて」いる証拠を見つけた。それは、ノートパソコンである。我が国では、ノートパソコンは、一部の好事家とNurd、もしくはRoad Warriorにしか人気がないのだが、この国では、デスクトップマシンと同じぐらいノートパソコンが売れているのである。たしかに、彼らの「ウサギ小屋」に、フルタワーマシンは似合わないかもしれないが、デスクトップマシンと同じか劣る性能のノートパソコンを何倍もする価格で購入しているのである。しかも、このノートパソコンには、いま携帯電話などのインターフェースが装備されているものが人気なのだという。ここでも携帯電話である。だが、奥ゆかしい日本人は、そのノートパソコンを屋外で臆面もなく取り出して使うようなことはなく、東京の町中でも、そうした光景にぶつかることはない。しかし、多くのサラリーマンが、いかにもノートパソコンが入っているかのような、ラバークッションをつけたカバンを持ち歩いている。もしかしたら、誰も見ていないところでこっそりと使っているのかもしれない。

 取り憑かれている証拠はまだあった。車である。こんな狭い国土であるにもかかわらず、多くの日本の車には、GPSを使った「ナビゲーション装置」が取り付けられている。それは、一昔前のノートパソコンのようなカラー液晶ディスプレイを持ち、車のラジオのようにダッシュボードに取り付けることができるものだ。しかも、DVDに書き込まれた地図により、目的地へのルートを自動探索して表示するのだという。だが、私が使ってみたところ、ルートは表示されるものの、東京では渋滞で車がちっとも進まず、地図を見る余裕が十分にあった。

 このナビゲーションシステム――日本人は、KANABI(訳者注 カーナビの聞き違いか)と呼ぶ。ちょっと前にTakesi Kitanoが監督した映画に由来するそうだ(訳者注 筆者は何か完全に誤解しているようである)――にも携帯電話がつながり、車に乗りながらにして、インターネットにアクセスし、電子メールを受信できるのである。なんだ、MicrosoftのAutoPCなんて、すでにここにいっぱいあるじゃないか。

 私は日本で、来るべき未来のモバイルコンピューティングを見たのだろうか、それとも、悪夢のような未来を見たのだろうか? 私には何がなんだかよくわからなくなってきた。PokemonやJapanimationを始めとして、我が国も日本の文化を受け入れつつあるのだ(その割には、誰も日本人を理解していないようだが)。我が国もデジタル方式の携帯電話が普及しつつあるという。それが普及したときに我が国も、日本のようになってしまうのだろうか?


 Karl Yankobskyは、D-Netの主任コラムニストで、軍人だった父とともに小さい頃に日本で過ごした経験があり、D-Netでは一番の日本通。本人曰く「小さい頃に日本で育ったので、私は日本人のようなものだ。一番好きだったのは妖怪人間ベム」と、指を3本だすのだが、これについては謎としかいいようがない(ご存じの方がいればご一報いただきたい。私もカレンも、この秘密について知りたくてウズウズしているのだ)。

(2000年4月1日)

[Translated by 塩田伸二]


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ウォッチ編集部内PC Uocchi担当 pc-uocchi-info@impress.co.jp