後藤貴子の 米国ハイテク事情

NGSCBの“方向変更”に透けて見えるMicrosoftの本音




●何かを隠しているようなNGSCBの計画

 MicrosoftがNext-Generation Secure Computing Base (NGSCB:昨年秋にPalladiumから改名)の詳細をWinHECで公開した(「WinHECで明らかになったMicrosoftの次世代セキュアPC構想」参照)。

 しかしその戦略には非常に曖昧で妙なところがある。以前指摘されていた大きな問題点を放ったらかしにしているのだ。そしてそのまま、指摘された箇所を目立たない遠くへ押しやっている。まるで、それを隠そうとしているかのように。


●DRMはNGSCBのアキレス腱

 NGSCBは、PCのハードウェアとOSにセキュリティ機能を組み込み、従来のソフトウェアによるセキュリティの脆弱性を克服する技術だ。それにより、ハッカーやスパイウェアからPCを守る。だが、NGSCBにはもうひとつ重要な側面がある。それは、完全なDRM(デジタル権利管理)をサポートすることによって、不正コピーのできないデジタルコンテンツ配信を可能にすることだ。実際に、NGSCBのアイデアはDRMの強化策から出てきた。

 Microsoftの悲願は、昔から、すべての家庭のリビングルームにPCを入れ、PCをホームエンターテイメントセンターにすることだ。そして問題点は、昔から、堅牢なDRMをしないと、PCでデジタルコンテンツがコピーされることを嫌がって、誰も映画や音楽を提供したがらないことだ。それを解決するために、MicrosoftはPalladium計画を立てた。だから、改名したNGSCBの根本も、ここにあるはずなのだ。

 ところが、WinHECでNGSCBの詳細やロードマップが明らかになると、リビングルームに入るという目標は、はるか遠くに設定されていた。NGSCBのメインの目的は企業や政府などでのPCのセキュリティを守ることにあるような紹介の仕方で、コンシューマ向けコンテンツを扱うDRMは、まるきり付け足しのように見える。

 この変化の理由は、いい意味でも悪い意味でもDRMがNGSCBのアキレス腱だと、Microsoftがよくよく理解したことにあるだろう。

 “DRMが良くも悪くもアキレス腱”とはどういうことか。DRMはユーザーが自分のデータの安全を管理したり、コンテンツプロバイダが本格的な配信サービスをするために不可欠だ。だが同時に、これまでのPCのオープン文化を崩してしまう危険をはらんでいるため、反発を食らい、その反発でNGSCB全体の計画がかき消されてしまう可能性がある。

 昨年コアPCユーザーや表現の自由の運動家から起きた反発を、Microsoftは鎮めることができなかった。その中で元通りのNGSCB計画を強行すれば、反発は一般ユーザーに広がる危険がある。だからMicrosoftは、批判のない、政府やエンタープライズの市場から、時間をかけてゆっくりと浸透させることを選んだ。そんないきさつが、今回のNGSCB戦略から、透けるように思える。


●“長期フォーカス”に回されたコンシューマ市場

NGSCB長期ロードマップ
 では具体的に、リビングルームに入る目標は、どう扱われるようになったのか。

 WinHECで発表されたロードマップによれば、NGSCBは市場浸透を初期・中期・長期の三段構えにフォーカスし、初期・中間フォーカスとしては政府、開発者、IT関連、バーチカル、オフィス一般などに的を絞ることになった。リビングルームに入れるPCに限らずコンシューマPC全体は、長期フォーカスとして初めて登場する。ビル・ゲイツMicrosoft会長も基調講演で、NGSCBが「すべてのPCのフィーチャーになる」時期を、「いずれ(over time)そうなる」と述べたに止まった。

 このように、コンシューマ市場を後回しにする計画がはっきりしたのは今回が初めてだ。もっとも、昨年MicrosoftのWebサイトに公表されたインタビューで開発者John Manferdelli氏が、最初に飛びつくユーザーはセキュリティに特に留意しなければならない政府や企業(金融・医療関係など)だろうと答えてはいた。でも、これまでは特に、政府や企業を経てからコンシューマを攻めるという順番は示されていなかった。

 “長期”がどのくらい先かはわからないが、WinHECに合わせMicrosoftのWebサイトに公表されたインタビューでは開発者Peter Biddle氏が、「ベータカスタマがNGSCBを使えるようになるのが来年。ハードウェアメーカーがNGSCBの利用に必要なPCや周辺機器をリリースし、ソフトウェア開発者が新アプリの開発を始められるのは今秋から」と述べている。ここから推測すると、2004年後半か2005年にようやく“初期フォーカス”が始まるわけだ。初期・中期フォーカスを達成してから次のフォーカスに移るとすれば、エンタープライズのPCの買い換え速度が遅いことを考えると、2010年でも長期フォーカスにまだ移れていない可能性がある。



●リビングルームに入るPCにしか需要増は見込めない

 だが先に書いたように、コンシューマ市場をこれだけ後回しにするのは、理屈に合わないのだ。

 昨年初頭、ゲイツ氏はMicrosoft全社員にTrusted Computingへ方向転換せよとの号令を出した。ゲイツ氏はクラッカーやウイルスの横行とその被害に胸を痛めたのか? そうじゃない。海賊版ソフトに“懐”を痛めたのか。それは少し。でももっとずっと大きな狙いが、ゲイツ氏の一番の関心事である、PCの新需要を生み出すことにあったのは明らかだ。セキュリティを徹底的に強化することで、PCが陥っている需要の手詰まり状態を打破したかったのだ。

 では新しい需要はどこにあるのか? 政府や企業ではない。政府や企業には、すでに飽和状態に近い数でPCが導入されている。新しいセキュアPCができて買い換え時期が少しだけ前倒しされても、市場そのものが大きくなるわけではない。

 また、ホームPCでも、オンラインショッピングやオンラインバンキングがよりセキュアになったからといって、書斎に置くPCの需要が急に高まるわけではない。やはり、これまでPCが進出を図って果たせていないリビングルームで、TVとつながってエンターテイメントセンターの役割を果たせるPCを送り出すしか、需要の飛躍はない。

 実際、Microsoftは昔から飽きもせず、ホームエンターテイメントセンターに当たるPCのコンセプトを紹介し、製品にもしている。例えば今ならMedia Center PCなどがそれに当たるわけだ。

 だが、今はまだ、エンターテイメントセンターPCにはDRMの脆弱性という大きなネックがある。DRMをOSとハードウェアで強化できるNGSCBは、ホームエンターテイメントセンターというジグソーパズルを完成させるための、最後のピースなのだ。

 しかも、Microsoft自身もNGSCBをそのつもりで開発していたことがわかっている。

 昨年のManferdelli氏インタビューによれば、NGSCBの前身Palladiumは、コンシューマ向けオンライン映画配信のコンテンツ保護に関するR&Dから生まれたもので、そこからエンタープライズや個人のデータ全般の保護にも使えるという話に発展したという。


●根本的矛盾をどう解決するか

 ではなぜNGSCBの計画で、政府や企業ユースが先になり、コンシューマはいずれまた、となったのか。

 それはホームPC(特にエンターテイメントセンターPC)をNGSCB PCにすることに根本的な矛盾があり、この矛盾を解くのには相当時間がかかると認識されたからだろう。つまり、PCを今買っている人たちは、PCにハードウェアセキュリティがなくて、家電より自由だから、買っている。CDをコピーできるから、買っている。なのに、NGSCB PCはコピーをできなくしようとしている、という矛盾だ。

 NGSCBは、PCのオープン文化を覆す計画だ。だからこそコアPCユーザーから、さんざん批判を浴びたのだ(「Microsoftの「Palladium」でPCは“自由から管理”へ!?」、「MicrosoftのPalladiumは批判を解消できるのか」参照)。


●Is “What NGSCB Isn't” Really What NGSCB Isn't?

 そして、Palladium/NGSCBの公表以来1年間かかっても、MicrosoftはNGSCBに対する人々の反発をどうにもできなかった。そのことは、WinHECのプレゼン資料からも逆説的に透けて見える。

 NGSCBの概要説明のプレゼンでは、終わり近くで、「NGSCBは何で“ない”のか」が説明された。それによれば、NGSCBは次のようなものではない。

What NGSCB Isn't
・ユーザーの意志に反したコントロールをしようとする試み
・ユーザーのデータを壊すソフトウェア
・プライバシーの侵害
・セキュリティの最終解
・コンシューマ向けメディアプロテクションに関する一切合切


 じつは、これらはほぼ皆、Palladiumで批判されてきたことの丸々裏返しだ。4つ目のセキュリティの最終解というのだけは、Palladium批判者らもそうとらえてはいなかったが、残りは、Palladiumがそうで“ない”ものではなく、そうで“ある”と主張されてきたものばかり。つまり、Palladium/NGSCBはDRMと組み合わせることで、

 ユーザーの意志に反したコントロールをしようとする試みとなり、
 ユーザーのデータを壊すソフトウェアとなり、
 プライバシーを侵害し、
 コンシューマ向けメディアプロテクションを取り仕切るものになる

のではないかということが、人々の一番の懸念だったのだ。

 Microsoftは、NGSCB/Palladium公表1年後にもこのプレゼンのように、相変わらず同じ点を懸命に反論している。これこそ人々の懸念をぬぐえなかったことの証明だろう。そこにNGSCBの抱える問題点がある。


●外堀から攻める、大阪城攻略型作戦

 つまり、今回の変化はこういうことではないか。

 Microsoftは、目的達成のために人々のPCに対する価値観を逆転させ、NGSCBがMedia Center PCに組み込まれるようにしたい。城取りで言えばこれが、一番大変だけれども必ず取りたい本丸だ。だがこの1年で本丸攻略の難しさはよくわかった。そこで、先に外堀を埋め、政府や企業への浸透に専念することにしたのではないか。

 人々の懸念は、NGSCBがホームPCに組み込まれる場合のことに集中しているから、ホームPCに組み込まないプランなら、大きな批判なく受け入れられやすい。そうしてコンシューマ以外のすべての市場を埋め、コンシューマが気づいたときはもう、PCはできるだけセキュアにするものという常識が普及しているようにする。DRMを利用したサービスを行なう準備も企業の側では整っている。

 こう考えると、元のコードネームPalladiumとはよく言ったものかもしれない。Palladiumは、もともと、トロイにあった守護神像のこと。トロイがギリシャの奸計の木馬を引き入れてしまい陥落するとき、ギリシャに持ち去られたと言われる。だがMicrosoftのPalladiumは、それ自体が、相手の懐にこっそり入ってしまうトロイの木馬だ。

 もっとも、リビングルームへの浸透を長期戦に変えると、家電との競争で不利になる可能性がある。家電メーカーのハードディスクレコーダなどが普及し始めているからだ。これが先に浸透すると、Microsoft主導に修正しにくいかもしれないからだ。

 でも、たぶんMicrosoftは焦る必要はないと判断したのだろう。例えば最大のライバルと目されるソニーもPlayStation 2でコンテンツ配信を目指すと言われたが、実際には少々のオンラインゲームにとどまっている。他の家電メーカーも完全なコピー防止をどうするか、PCとの連携をどうするかで、まだ結論が出ていない。

 昨年の非難から、Microsoftは、計画は細心の注意を払って進めなければならないことを学んだ。NGSCBがコンシューマPCを遠くに追いやり重視していないように見えるからといって、あきらめたわけではけしてない。

□関連記事
【5月8日】【海外】WinHECで明らかになったMicrosoftの次世代セキュアPC構想
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2003/0508/kaigai01.htm
【10月18日】【後藤】MicrosoftのPalladiumは批判を解消できるのか
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2002/1018/high31.htm
【9月11日】【後藤】Microsoftの「Palladium」でPCは“自由から管理”へ!?
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2002/0911/high30.htm

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(2003年5月15日)

[Text by 後藤貴子]


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