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【PC Watch25周年】Dynabookの歴代製品を振り返る

 Dynabookの歴史は、東芝のパソコン事業が原点だ。1980年代に8ビットパソコンの「パソピアシリーズ」、MSXの「パソピアIQシリーズ」などを製品化。パソコン黎明期からの長い歴史を持つ事業である。

 東芝のパソコン事業が世界的に存在感を発揮するようになったのは、1985年に発売したラップトップパソコンの「T-1100」である。パソコンと言えばデスクトップだった時代に、クラムシェルタイプの形状を採用。IBM PC互換でありながら、4.1kgという当時としては大幅な軽量化を実現。「世界初のラップトップパソコン」として、欧州市場で人気を博したこのパソコンは、1986年に、T-3100という形で進化し、日本に逆上陸した。

T-1100

 これに続き、世界初のノートPCとして鳴り物入りで登場したのが、1989年に発売した「DynaBook J-3100 SS001」である。A4サイズで、2.7kgという軽量化を実現するとともに、19万8,000円という衝撃的な価格設定も話題を集めた。全世界での累計販売台数は100万台を達成。このスペックと、この価格設定であれば、世界的な大ヒットとなったのは当然と言えば、当然だった。

DynaBook J-3100 SS001

 その後も世界中から注目を集めるパソコンを次々と投入してきた。1992年には世界初の256色カラー液晶搭載ノートPC「Dynabook V486-XS」、1996年にはミニノートPC「Libretto 20」、1998年にはマグネシウム合金を採用して世界最薄の19.8mmを実現した「Dynabook SS 3000」など、世界初となるパソコンが相次いだ。

 ノートPC市場で常に先頭を走るメーカーであり、その結果、13年連続での世界ノートPCトップシェアを獲得したことでも証明される。ピーク時には、年間2,500万台規模の出荷計画を打ち出したこともあった。2020年度の国内パソコン市場全体は過去最高となる1,728万台を記録したが、1社だけで、それを遥かに上回る出荷台数となっていた。

 このことからも分かるように、東芝ブランドのパソコンは、世界中で多くの人たちに受け入れられていたのだ。

 ちなみに、dynabookのブランドは、パーソナルコンピュータの父と呼ばれるアラン・ケイ氏が1977年に提唱した「ダイナブックビジョン」を語源にしている。同氏は、近い将来には、誰もが電子機器を持ち歩く時代が来ると予測。当時の同社の広告には「みんなこれを目指してきた」というキャッチコピーが使われた。

 また、2003年1月には、現在も使用されているdynabookのロゴマークを「dynabook C7」とともに発表。デザインしたのは、1998年の長野冬季オリンピックのシンボルマークのデザインを手がけた篠塚正典氏であり、「ノートPCから情報が発信されるイメージをデザインした」という。

 東芝のパソコン事業は、2016年4月に「東芝クライアントソリューション」(TCS)として分社化。2018年10月には、シャープが株式の80.1%を取得して子会社化。2019年1月にはDynabookに社名を変更。2020年8月には、シャープが100%子会社化している。なお、製品に付けられるブランド名は「dynabook」と頭文字が小文字になった。

 現在、「コンピューティングとサービスを通じて世界を変える」をビジョンに掲げて事業を推進。人に寄り添い、社会を支える真のコンピューティングを実現する「dynabook as a Computing」と、ユーザーを起点に考えた新しい付加価値サービスを創出する「dynabook as a Service」を事業の柱に打ち出している。2021年度中には上場する予定だ。

 ピーク時に比べるとパソコン事業の規模は、10分の1程度にまで縮小しているが、新たな体制となったDynabookは、国内での事業拡大に加えて、再び海外事業の本格化を視野に入れている。

 東芝時代には、dynabookのブランドは国内でのみ展開しており、海外では、TECRA、PORTEGE、Satelliteといったブランドを使用してきた。海外におけるdynabookのブランドの浸透はこれからの新たな挑戦になる。

Dynabookのパソコンの変遷

 1996年4月に創刊したPCWatchの誌面から、Dynabookの歴史を追ってみよう。

 創刊した1996年4月には「Libretto 20」が発表されている。VHS規格のビデオカセットテープとほぼ同サイズのWindows 95搭載パソコンであり、語源となったイタリア語の「小さな本」の意味を持つLibrettoを、まさに実現して見せた。

 さらに、1998年6月には、B5サイズでは世界で最も薄く、最軽量、最高性能の超薄型ノートPCとして、B5ファイルサイズの「DynaBook SS 3000」を発表したほか、同時にLibrettoのスリムモデル「Libretto SS 1000」シリーズ、A4ファイルサイズの「DynaBook SS 6000」の3機種を発表。ノートPC市場におけるリーダーとしての存在感を見せ付けた。

 同社が、こうした先進性を発揮できたのは、薄型軽量のHDDの開発や、独自の実装技術、ノートPCに最適化した液晶ディスプレイの搭載など、優位性があり、ノートPCに最適化した独自技術を社内に有していたことが見逃せない。

 2006年1月には、世界初の地デジ対応ノートPC「Qosmio G30」を発表した。上位モデルにはフルHD対応液晶を搭載。日本独自のテレパソ(テレビが視聴および録画可能なパソコン)市場の新たな幕開けを牽引して見せた。

 実は東芝では、2001年10月にパソコンの主力工場である青梅工場内に、開発棟を建設。TV関連の映像技術者、光ディスクを始めとするデジタルメディア関連技術者、ネットワークに関わる通信技術者など、ほかの工場から移動させた技術者を含めて、3千人以上の技術者を集結。情報、通信、映像、光メディアの精鋭技術者が同じ場所で、融合型製品の開発を行なえる環境を実現していた。その成果はQosmioシリーズでも活かされている。総合電機メーカーのメリットを活かしながら、他社に先駆けた製品投入を行なってきたことが分かる。

 2007年6月に発売した「dynabook SS RX1」は、Dynabookの底力を見せ付けたパソコンであった。12.1型ワイド液晶のモバイルノートであり、最薄部は19.5mm、重量は1.09kgでありながらも、光学ドライブを搭載。開発目標であった「True Mobility」(真のモビリティ)を達成して見せた。

 2011年11月には、Intelが提唱したUltrabookに準拠した13.3型モバイルノートPC「dynabook R631」を発売。当時の世界最軽量となる1.12kg、世界最薄となる15.9mmを実現した。

 また、2013年4月には、同じくUltrabookに準拠した13.3型モバイルノートPC「dynabook KIRA V832」を発売。KIRAという新たなサブブランドを冠して、「プライベートを愉しむためのUltrabook」をコンセプトに開発したものであり、生産段階では色域をパネルごとに1台ずつ調整し、バラつきを抑えるといった取り組みを行なったり、harman/Kardonと共同開発したスピーカーを搭載するなど、ノートPCの開発技術と、TVで培った映像技術、優れた音響技術などを組み合わせた製品に仕上げた。

 2015年12月に発売したのが、世界最薄最軽量のWindowsタブレット「dynaPad N72」である。12型液晶ディスプレイを搭載したタブレットながら、専用キーボードを利用することで、2in1モバイルPCとしても利用できる設計にしているのが特徴。

 従来のdynabook Tabシリーズの流れを汲みながらも、dynaPadという新たなブランドによって、タブレット市場の開拓に本腰を見せた製品だ。この経験は、現在の5in1プレミアムPenノートにもつながっている。

 2019年1月には、世界初のノートPCであるDynaBook J-3100 SS001の発売から30周年を迎えたことを記念した「dynabook Gシリーズ」を発売。「ザ・ノートPC」のコンセプトを証明するように、これまで培ってきた高密度実装技術や堅牢化技術を活かした軽量薄型設計と、シャープが持つ高精細で省電力な液晶技術を組み合わせて、働き方改革をサポートし、使い心地の良さを重視したビジネスモバイルノートを実現して見せた。

 世界初のラップトップを1985年に発売してから、35年の節目を迎えた2020年11月には、「Remote X」という新たな方針を打ち出し、それを具現化する5in1プレミアムPenノート「dynabook Vシリーズ」を発売。リモートを前提としたニューノーマル時代に向けて最適なパソコンに位置付けた。

 このようにDynabookの歴史は、常に最先端の技術を採用し、市場のニーズを先取りし、新たなパソコンの使い方を提案してきた。その姿勢は、これからも変わらないと言えるだろう。