インテルの悩み、Appleの結論



インテルの吉田和正社長

 過日行なわれた「インテル・フォーラム2010」では、インテルの吉田和正社長が同社の製品がライフスタイルに変革をもたらすと講演した。読者の中には、いやいや変革をもたらすのはソフトウェアやサービスであって、インテルが直接、それらを提供するわけではないと反論する人もいるかもしれない。

 まったくその通りで、インテルが直接、何らかの変革をもたらすわけではないが、しかし、物事が変化する時には、何かがそのきっかけを作り出さなければならない。その変革を始めるきっかけを作り出すのは「新2010インテルCoreプロセッサー・ファミリー」である……とまで来てしまうと、確かに少しばかり大げさに聞こえるだろうか。

 しかし、そう意地悪く見なくとも、高性能なプロセッサを提供する事で、一連の変革、革新を生み出すきっかけとなってほしいという切なる気持ちを表現していると考えればいいように思う。Nehalemアーキテクチャが生まれた後、プロセスルールも一段進んで製品バリエーションも増え、小型モバイルPCからハイパワーのゲーマー向けPCまで、幅広いレンジの製品に新アーキテクチャを提供できるようになった今年、インテル自身に期するところがあるのだろう。

iPad

 一方、同じ週にAppleは噂のタブレット型端末を発表した。こちらもコンピューティングスタイルの空白を埋める、過去にない画期的なデバイスとの触れ込みだ。スマートフォンとノートブック型コンピュータの間を埋める“適切な答え”として用意された。

 しかもAppleが出した回答には、インテル製プロセッサどころか、インテル流の高速プロセッサも搭載されていない。なぜならAppleの回答として発表されたiPadは、まさにiPod touch/iPhoneとほとんど同じコンセプトで作られているからだ。

 すなわち高速ではないが省電力なプロセッサと、高速ではないプロセッサの割に強力なGPU。これを使いこなして流麗なユーザーインターフェイスの中にシンプルなアプリケーションを構築するiPodアプリの手法を、iPod touch/iPhoneよりも少しばかり高速なプラットフォームに適用した。

 単純に言えば全ラインナップが一段上のパフォーマンスに向上することで、パーソナルコンピュータの可能性が広がると説いたのがインテル、これまで多くのユーザーに指示を受けることが叶わなかった分野の開拓にチャレンジしたのがApple。変革を求めているのは同じだが、そのアプローチは全く異なる。

●順調に進むプロセッサのパフォーマンス向上、しかしソフトは?

 細かなところでは異論もあるかもしれないが、インテルに限らずプロセッサベンダーは、継続して良い仕事をやってきた。競争の社会故に、どこが儲かって、どこが儲からなかった。どこがシェアを伸ばし、どこが落としたという話題もあるが、そうした商売の話を抜きに語るならば、PC業界全体としてプロセッサの進歩は、ほぼ期待値通りには進んできたのではないだろうか。

 一方、PC業界に誤算があったとするならば、それはソフトウェアやサービスが、思ったほどには応用範囲を拡げなかった事だ。OSやアプリケーションソフトウェアも進歩はしているが、ドラスティックな変化はあまり見られない。10年前と今とで、使っているソフトウェアの基本的な機能はほとんど変わっていない。

 ネットワークサービスは、応用の手法という意味ではさまざまな進歩を遂げている。以前はテキストベースのコミュニケーションだったものが、画像付きになり、音声付きになり、そして動画が当たり前になってきたというストーリーもある。

 しかし、切り口を変えて見るとプアな側面も見えてくる。

 日本のインターネットアクセスのインフラは世界一といってもいいほど充実している。世界中どこを探しても、地方も含めて日本全国あらゆるところに、高速の光ファイバーネットワークが張り巡らされている国などない。ところが、これだけ立派なITインフラを持ちながら、日本発のネットワークサービスは聞こえてこないし、広帯域を活かしたアプリケーションの開発で他地域の先駆けになっているという話もとんと聞かない。

金子郁容教授

 この問題はインテル・フォーラム2010の中で慶應義塾大学大学院の金子郁容教授も指摘し、同氏自身の取り組みも紹介されていたが、ではインテルがどう関わって自社の提供する高性能プロセッサを活かし、日本の高速なネットワークインフラを活かし、さらには全国規模のカバーエリア展開が時間の問題となってきたWiMAXの高速ワイヤレス通信を活かし……とやっていくのか。

 立派なITインフラを活かそうというかけ声は、もう何年も前からかけ続けている。ことにインテルは、光ネットワークの高速性を活かしたアプリケーションを検討する業界内の組織活動にも積極的だった。ところが、成果の方はというと、さほど目立ったものはとくと聞いたことがない。このあたりにインテルの悩みの深さを、常々感じてしまうのだ

●“パフォーマンス”という軸で、製品ラインの差異化を目指したインテル

 とはいえ、Nehalemアーキテクチャが上限に幅広く展開したことで、インテルは深い悩みからの脱出を図るチャンスを得た。新しい世代のプロセッサコアが全面展開になったため、古いコア(Core2世代)を低価格PCの領域に押しやることが可能になったからだ。昨今、インテルが推し進めているCULVプロセッサなどは、まさにその好例だ。

 Atomファミリは進化の方向を消費電力低下に求め、インテルはAtom N系プロセッサがカバーしていた(してしまっていたの方が正しいかもしれない)ノートPCのローエンド製品向けに、CULVプロセッサを投入した。

 光学ドライブなしのシンプルなノートPCは、日本のユーザーには以前から馴染みのある製品形態だが、ワールドワイドで見るとネットブックによってやっと定着した製品スタイルだ。そのイメージを引き継ぎつつ、Atomではなく安価なCore 2マシンとして使ってもらい、Atomファミリをなるべく“普通のPCユーザー”から遠いところへと引き離そうとしたわけだ。

 昨年、この戦略を実行し始めた頃は、まだNehalemアーキテクチャはノートPCのごく一部上位モデルにしか浸透できていなかったが、メインストリームもNehalemアーキテクチャになるなら、思い切ってCore 2を用いて低価格モバイル機市場を攻めることができる。

 このやり方がうまく行くかどうかは、もう少し様子を見なければならないだろうが、根本的な問題はやはり、アプリケーションにある。誰もがモアパワーを求めて、半年でも、3カ月でも新しい、最新プロセッサ搭載のコンピュータを使いたいと願ったのは'90年代。もちろん、今でもプロセッサパワーが絶対的に不足している使い方はあるものの、速さよりスタイルや価格を求める向きは以前より増えてきた。

 そうでなければネットブックやMIDのプラットフォームを用いた製品が、これほどまで多く売れるはずがない。何しろパフォーマンス差は“数十%"ではなく“数分の1”のオーダーで違うのだから、本当にパフォーマンスを求める傾向があるならば、Atomベースのコンピュータなど、少し使っただけで投げ出したくなるはずだ。しかし、誰も投げ出さない。

●ジョブズ氏が出した回答はネットブックではなくiPad

 もう少し俯瞰してみよう。インテルはネットブックの世界と通常のパーソナルコンピュータの間に、パフォーマンスの谷を作ろうとした。インテルが唯一コントロールし得るのは、パフォーマンスだ。パフォーマンストレンドをグッと引き上げれば、きっとネットブックに対する見方、価値観も変化するに違いない。

 一方、Appleの出した回答はもっと別のアプローチだった。Appleは常々、ネットブックは作らないと公言してきた。理由は明快でパフォーマンスが低く、ディスプレイの質も低く、それに使いにくいからだ。

 普段、サイズの小さなモバイルPCを紹介しておきながら、何を言わんやではあるが、一般にパーソナルコンピュータのソフトウェアは、12~15型以上の画面サイズ、使いやすいキーボードとポインティングデバイスが存在し、さらに机の上で“お仕事スタイル”で使うことを前提にユーザーインターフェイスが設計されている。

 それに汎用コンピュータであるパーソナルコンピュータ用ソフトウェアは、特定のハードウェアに特化して作られているワケではないから、パフォーマンスの面でもやや歯痒い動きになってしまうことも否定はできない。

 というわけで、ここにはiPod touchの親玉のような(iPod touchと同様の手法で構築した)iPadが適しているとジョブズ氏は考えたようだ。

 発表当時にTwitterに流れたコメントを見ると、この結論に対して異論を持つ人、異論とまではいかなくとも、期待していたより地味だったと感じる人など、いつもよりも否定的な見解を示す人が多かった。

 Flashも動かないiPod touch/iPhoneをそのまま大きくしたようなハードウェアになりそうな予感を持ちつつも、きっとさらなる+αが用意されているに違いないと思っていたAppleファンにとっては、確かに肩透かしという印象もあったのかもしれない。

 しかしリビングでTVを見たり、音楽を聴いたりしながら使う端末としては、たしかにネットブックよりずっと良さそうだ。クリエイティブな作業を伴わないコンピュータの使い方を考えると、たいていはiPhoneで可能な範囲で収まってしまう。

 iPhoneに足りないのは画面サイズやゆったりと余裕のあるユーザーインターフェイスだから、それはサイズを大きくすれば解決可能だ。あとはすでに市場に定着しているiPhone用アプリケーションをiPadで再利用可能(画面サイズに合わせて、それぞれに最適化した両用アプリも可能)にすることで、快適な“インターネットを楽しむための端末”が出来上がる。

 ネットブックは単に安くて性能の低いPCだが、iPadはノートPCとは異なるシチュエーションでの、異なる使い方を提供してくれるというところがミソだろう。iPadは従来のPC的評価軸から見れば、まったくたいした事のない(しかしカッコいい)ハードウェアを実用的で軽快なデバイスに仕立て上げてしまったようだ。

 それを詰まらないアイディアと感じるか、それとも新しい市場を開拓する可能性があるかもしれないと感じるかは人それぞれだが、個人的にはなるほどこれは面白い。ネットブックに対するAppleなりの回答でありつつ、またiPhoneの画面サイズに不満を持つユーザーに対する提案の1つにもなり得る。

 本来、タブレット型コンピュータというのは地味な製品が多い。特定業務用のアプリケーション向けに作られたハードウェアが中心だからだ。コンシューマに対して色香をタップリと振りまきながら登場するのはiPadが世界初となるわけで、これはもしかすると本当に「スマートフォンとパーソナルコンピュータの間を埋める」新しい製品になるかもしれない。

●インテルとApple、力のかけ方の違い

 最終製品を作るセットメーカーのAppleと、マイクロプロセッサと周辺LSIのみでトレンドを作るインテルでは、その立場が違うから、インテルを批判しようというのではない。ただ、やはりパフォーマンスだけで製品のトレンドをコントロールすることは、もはや不可能になってきたということなのだと思う。

 だからこそインテルもWi-Fiを内蔵させたCentrinoプラットフォームを企画したり、最近ではWiMAXへの投資を行なうことで“幅”を拡げてきたのだが、それも少々限界があるのかもしれない。ハードウェアの性能を上げれば、アプリケーションが後ろから付いてきた時代はとうに終わっているからだ。

 iPadのデモビデオを見る限り、その動きは軽快で全く不足無くインターネットのコンテンツを楽しむことができるだろう。ハードウェアとソフトウェア、それにサービス。この3つを密接に1つの商品として快適なものになるよう設計しているからだ。こればかりはインテルが、マイクロソフトが、アプリケーションベンダーが、それぞれ単独で頑張ってもうまくいかない。

 とはいえ、これは1つのヒントになり得るのではないだろうか。iPadがどのような売れ行きを見せるのか。大きなエコシステムを生み出す事ができるのか。それはまだ解らない。しかし、もし成功するのであれば、それがPC業界は“力のかけ方”のバランスを見直すきっかけになって欲しいものだ。

●追記

 ところでiPad発表時のTwitterタイムラインを見ていて気になったのは、iPadと電子ブックリーダーが直接的なライバル関係にあるように見ている人が存外に多いことだ。もちろん、iPadで電子書籍は見ることが可能だ。

 ePubフォーマットに対応しているということだから、Google Booksで提供されているフリー書籍も読めるだろう。著作権保護システムの詳細がわからないが、もしアドビのDRMに対応しているのなら、Sony Reader向けの電子書籍も読めるはずだし、その逆もしかりだ(実際にはDRMは独自ではないか? と個人的には推測しているが)。

 Apple自身もiPadのプレゼンの中で、Kindleよりもこっちの方がいい的なプレゼンをしていたが、電子ブックリーダーのもっとも基本的な機能として“紙のように見える”ディスプレイがある。iPadは液晶ディスプレイだから、どんなにキレイな液晶パネルを使っていたとしても反射原稿である紙とは異なる質感にしかならない。人にもよるだろうが、1日中、液晶ディスプレイを使って本を読みふけるなんてことは、僕はやりたくない。

 一方、液晶パネルの方がコントラストは良いし、色も美しい。iPadの液晶ディスプレイを駆使すれば、電子的な新しい雑誌を構築する事もできる可能性がある。また毎日の新聞程度の長さであれば、液晶ディスプレイで読んでもいい思うかもしれない。

 iPadの電子出版物リーダー機能は多分に雑誌的だが、電子ブックリーダーのそれは書籍的。Kindleという具体的な商品と対比してしまうと、フォーマットの違いから対立軸を描けてしまうが、もう少し俯瞰してみると、電子ブックリーダーとiPadは競合関係ではなく、互いに棲み分けて電子出版の可能性を広げていく補完関係にあるのではないだろうか。

バックナンバー

(2010年 1月 28日)

[Text by本田 雅一]