元麻布春男の週刊PCホットライン

iPadに勝つための条件



 

iPad
 AppleのiPadがわが国で発売されてから、そろそろ1カ月半が過ぎようとしている。筆者が購入した2台のうち、1台が初期不良交換となったことを除くと、このデバイスなりにおおむね満足している。主な用途は、お家モバイルと“寝モバ”で、あとはiPadアプリを少々というところだ。

 世界的にも、米国での売り出しから80日間で300万台を販売するなど、極めて順調らしい。6月に訪れたシリコンバレーのショッピングモールでも、平日であったにもかかわらずApple Storeだけが異常な賑わいを見せていた。iPhone 4が発売になって間もなかったこともあったのだろうが、iPadの試用機にも大勢が群がっており、その勢いを感じずにはいられなかった。

 筆者が1カ月半ほど使ってみて分かったことは、iPadとはPCでできることの6割くらいのことができる、コンピューティング・アプライアンスである、ということだ。できない4割の大半はクリエイティブな作業であり、iPad上でコンテンツやアプリケーションの作成や加工はできないと言っていい。すでに出来上がったコンテンツやアプリケーションを楽しむためのデバイスであり、その意味でもゲーム機や携帯電話機に近い。もちろん、お絵かきソフトやメモソフト、さらにはユニークな音楽ソフトも存在するが、どちらかと言えば苦手分野だ。これは処理能力的な制約だけでなく、汎用のストレージを持たない(データのやりとりがiTunesやMobileMeとの同期、あるいはメールに限られる)ことと無縁ではないだろう。せっかく作ったものを他の環境に簡単に持って行けないのでは、クリエイティブツールとしては難しい。

 その一方でiPadが恐るべきデバイスであるのは、できる6割のうちの10~20%は、ひょっとするとPC以上に快適にできるかもしれない、ということである。Flashにさえ遭遇しなければ、Webのブラウズもなかなか快適である。ディスプレイを回転させて使うことを前提に作られているから、どちらの方向から見ても視野角が十分なのも、最近のノートPCの液晶とは比べものにならない。バッテリ駆動時間も、期待したほどではなかった(筆者の運用形態にも理由があるかもしれない)が、それでもノートPCとは比較にならないくらい長い。不満と言えば、MacBookで使える3本指や4本指によるジェスチャが使えないことだろうか。

 米国では大都市でさえ音楽CDショップが消えつつある。一般コンシューマの多くは、クリエイティブに何かを作るどころか、CDから音楽を取り込む行為さえ放棄しようとしている。上述したApple Storeの入っているモールにも、昔は音楽CDショップのテナントが入店していたが、スポーツ用品店に置き換えられて久しい。そうした一般コンシューマにとって、iPadは必要にして十分なコンパニオンなのだろう。

 幸か不幸か、わが国では先に多機能携帯電話機が普及し、キャリア主導の土俵の上で、コンテンツやアプリケーションの集積が行なわれている。米国ではiモードの代わりに、iPad/iPhoneが非PCによるネット環境のデファクトになるのかもしれない。ケーブルTVのスポーツ専門局であるESPNのサイトをはじめ、米国の大手Webサイトでは、Flashを使ったPCサイトとは別に、Flashを使わないiPad用のサイトを用意しているところが登場している。わが国の携帯サイトの代わりに、米国ではiPadサイトが増えていくのではないか、そんな気さえしてくる。

 だが、それは急速に広がりつつあるタブレット型デバイス市場が、デジタル音楽プレイヤー市場と同じく、Appleの一人勝ちに終わることを意味する。Appleの事業モデルは垂直統合だから、そうなった場合Apple以外のプレイヤーは市場から退場を余儀なくされる。ほかのベンダーはそれを許して良いのか。特に、用途的に重複する部分の多いPC関連ベンダーは、タブレット型デバイスにより自分たちの市場の一部を奪われる可能性さえある。黙って見過ごすわけにはいかないハズだ。

 では誰がAppleの対抗馬となり得るのか。同じような垂直統合モデルを採用する企業で、Appleに対抗できそうな企業が簡単に思いつかない。強いて言えば、日本の携帯キャリアなのかもしれないが、NTTドコモやauがApple製のスマートフォンの独占販売権を持つソフトバンクにキリキリ舞させられている(契約者の純増数でソフトバンクが首位)こと、海外展開が極めて限られていることを考えると、世界市場でAppleと対抗することは難しいと思われる。残る可能性としては、Snapfishに代表されるコンシューマ向けサービス事業を展開し、最近Palmを買収したHewlett-Packardなのだが、彼らはまだ新しい事業プランに関して、ほとんど何も語っていない。

 となると、直近でiPadに対抗できそうなのは水平分業モデルのベンダー群、要するにPCベンダーということになりそうだ。彼らの製品のうち、ネットブックなどローエンドに関しては、市場がiPadに浸食され始めているという市場調査会社のレポートもある。それなりに危機感を高めているハズである。

 こうしたベンダーが利用可能なIntelのプラットフォームは、MoorestownとOak Trailということになるだろう。両プラットフォームは、CPUが共通(Lincroft)で、チップセットが異なる。Oak Trailに使われるWhitney Pointチップセットは、MoorestownのチップセットであるLangwellにWindowsをサポートするのに必要なI/Oを加えたものだとされる。

Oak Trailは、MoorestownにWindowsサポートを追加したものOak Trailは、タブレットとネットブックに新たな選択肢を提供するものと定義されている
Atomクライアント事業部のマーケティングマネージャーを努めるAnil Nanduri氏が掲げるCanoe LakeCanoe Lakeのロゴ薄型のCanoe Lakeだが、プロセッサはAtom ZではなくAtom N系のデュアルコアプロセッサ(Atom N550)をベースにする

 あとは、ネットブック用のPine Trailが、タブレットデバイスにも転用可能だろう。特に、COMPUTEXで発表したPine Trailベースの薄型フォームファクタのプラットフォームであるCanoe Lakeは、VAIO X級の薄さにデュアルコアのAtom N500番台プロセッサと、Windows向きのGPU(LincroftのPowerVRベースのGPUに比べれば)を備えており、iPad対抗うんぬんを別にして、注目される存在だ。

【表】タブレット型デバイスに利用できそうなAtomのプラットフォーム

プライマリターゲットCPUチップセットデュアルコア消費電力(相対値)メモリWindowsサポート
MoorestownスマートフォンLincroftLangwell×DDR2なし
Oak Trailタブレット型デバイス?LincroftWhitney Point×DDR2あり
Pine TrailネットブックPineviewTiger PointDDR2/3あり

 これらのプラットフォームのうち、どれが一番適しているかは、タブレット型デバイスをどう定義するかによる。もっとハッキリ言えば、iPadに対抗するデバイスは、Windowsベースか否か、ということだ。

 タブレット型デバイスをWindowsベースにするメリットは、Windowsが築いたソフトウェア資産やデバイス資産を継承できることだ。しかし、同時にデメリットとしてハードウェア要求(大容量のストレージとメモリ)が高くなる。当初、小容量のSSDでスタートしたネットブックのストレージが、あっという間にHDDが主流となったことでもそれは明らかだし、IntelがわざわざOak TrailでSATAを追加したのも、HDDが必要になるだろうという判断なのだと思われる。Windowsベースで安価なデバイスを作るには、ほとんどHDDが不可欠であり、HDDを採用した瞬間から消費電力の増大、振動や衝撃に対する配慮、本体の厚みといった課題をどう解決するかに頭を悩ませることになる。が、Windowsに必要な数GBのメモリに加え、数10GBのストレージをSSDで構成したら、価格的にiPadには対抗できなくなるだろう。

 Windowsベースのタブレットであれば、iPadではカバーできない4割の用途(一般コンシューマがこれを求めているかどうかは別にして)にも対応できる。が、それを求めた瞬間に、ユーザーはキーボードとマウスが欲しくなるだろう。

 Windowsをベースにしたタブレット型デバイスの最大の問題はここにあると筆者は考えている。Microsoftは2002年11月のWindows XP Tablet PC Edition以降、Tablet PC(本稿で扱っているタブレット型デバイスとは異なる)を後押ししてきた。Windows 7では、OS本体にタブレット機能を取り込んだ。

 だが、こうした努力にもかかわらず、Windowsプラットフォーム上にタブレットに最適化されたソフトウェア資産は構築されていない。Windowsで利用可能なアプリケーションのほとんどは、マウスとキーボードでの操作に最適化されたものであり、タブレットあるいはタッチ式のインターフェイスでの操作に配慮されたアプリケーションは、いくつかの例外を除くと、PCを購入した際にバンドルされたものがほぼ全てと言っても過言でない状況だ。

 それもそのハズだろうなぁ、とも思う。Tablet PC向けに、何かアプリケーションを書いたとする。それがユニークあるいは魅力的なものであればあるほど、多くのユーザーからマウスやキーボードで使った際の使いにくさが指摘されるに決まっているからだ。タブレット向けであろうとなかろうと、Windowsアプリケーションを利用するユーザーの圧倒的多数は、マウスとキーボードのユーザーであり、タッチやタブレットは少数派に過ぎない。開発者としては多数派の声に従わざるを得ないだろうし、その方がビジネスとしても成功する確率が高い。

 今のWindowsのエコシステムには、タッチやタブレットを前提にアプリケーションを開発する開発者を守る仕組みがない。タッチ/タブレット向けに書いたアプリケーションが、マウスとキーボードを前提にしたWindowsで動かなくてもいいという保護がなくては、圧倒的多数派の前にタッチ/タブレットユーザーの声はかき消されてしまう。

 2002年にTablet PCが登場した時、市場にはスレート型(ピュアタブレット)と、コンバーチブル型、両方のTablet PCが登場した。が、数年でスレート型は姿を消し、今も残るTablet PCは、バーチカル市場向けを除けば、すべて重くて厚いコンバーチブル型となってしまった。Windowsのソフトウェア資産を前提にする限り、マウス(に代わるポインティングデバイス)とキーボードがあった方が良いに決まっているからだ。

 タブレットやタッチに最適化されたアプリケーション資産を築くには、そのプラットフォームをマウスとキーボードのプラットフォームから分離し、保護しなければならない。たとえ中身がWindowsであろうと、パッケージやマーケティングを通常のWindowsから分離しない限り、コンバーチブル型Tablet PCと同じ結果が待っている。マウスとキーボードを備えた上で、第3のユーザーインターフェイスとしてタッチやペンを備えたPCである。だが、これは今話題になっているタブレット型デバイスとはかけ離れたものだ。

 7月11日から開催されているWorldwide Partner ConferenceでMicrosoftのスティーブ・バルマーCEOは、Windows 7ベースのタブレット型デバイスが年内に登場すると述べたという。だが、その上で利用するアプリケーションは、既存のWindowsと同じものなのだろうか。それでは、そのデバイスは、キーボードのないネットブックではないのか。あるいは、コンバーチブル型になったVAIO Xだろうか。果たしてこれはiPadの対抗たり得るのだろうか。コンバーチブル型のVAIO Xがモノとしてどんなに興味深く、またデバイスとしては比較できる存在だったとしても、商品としてiPadと同じカテゴリにはならない。

 iPadは、Mac OS Xとの互換性を持たない、iOSベースのデバイスだ。iPad上のアプリはすべてマルチタッチに最適化されたものであり、マウスとキーボードを使うMacでは利用できない。それがiPadの良さを生んでいる。iPadにはAppleのOfficeスイートであるiWorkも用意されているが、Mac版とは別物である。

 昔は、アプリケーションは、マイクロプロセッサなどハードウェアのアーキテクチャ毎にバイナリを用意した。JavaやHTMLが普及した現在、必ずしもアプリケーションをハードウェア毎に用意する必要はなくなっている。代わりにユーザーインターフェイス毎にアプリケーションを用意することが求められる時代になったのではないか。Appleはこの点でもうまくやっている。Windowsのソフトウェア資産をアテにしないのであれば、タブレット型デバイスのOSにWindowsを採用するメリットは小さくなるし、ハードウェア要求の高さというデメリットが重くなる。

 筆者は、iPadに対抗するタブレット型デバイスがベースとするOSは、iPadがそうであるように、AndroidやMicrosoftが現在開発しているというWindows Phone 7のような、スマートフォン向けのOSではないかと思っている。そうであれば、Pine TrailやOak TrailのようなWindows互換性は不要で、Moorestownで十分ということになる。逆に、ピンチの時にはWindowsを載せれば、という退路を断つ覚悟が必要なのかもしれない。iTunesに匹敵するアプリケーションやコンテンツの配信と決済のサービスを提供するという課題は、その次のステップとなる。道のりは遠く険しい。