山田祥平のRe:config.sys

歌を忘れたモバイルPC

 モバイルPCは、IntelのCentrinoによって飛躍的に便利になった。必ずWi-Fiが使えることが保証されていることで、PCのユーセージモデルは大きな拡がりをもった。だが、今、そのさらなる拡張が難しくなってしまっている。

PSG+IPG=PPG

 この5月、HPのPC事業とプリンタ事業が統合され、プリンティング・パーソナルシステムズ事業部として新たなスタートを切った。約半年が経過したということで、日本HPがChannel Odysseyと呼ぶイベントを開催、プリンタとPCの組み合わせでどのようなことができるのかをパートナーに向けて披露した。

 日本において事業を統括する取締役副社長執行委員プリンティング・パーソナルシステムズ事業統括の岡隆史氏は、5年先、6年先を考えると、世界で40億人がオンラインとなり、それに伴ったボリュームの情報が飛び交うようになれば、情報のケタが変わってくるとし、だからこそインフラ事業は中核になるという。同社のビジネスはそこがコアになる。

 岡氏は、顧客のためにパートナーと積極的に協業することを改めて宣言。全てをHPがカバーするのは無理だという。昨年(2011年)度は、CEOが3度変わり、そのたびに戦略が変わるなど、いろいろなマイナス要素があったが、2013年は次に伸びるための投資の年であり、世界的に厳しい景気の中でも開発に対する投資を積極的に行ない、2014年に沈滞ムードを戻し、2015年で成長し、2016年に業界のリーダー企業に返り咲くという長期のプランをアピールした。

 岡氏によれば、現状でシェアナンバーワンのプリンタ、ワークステーションからシンクライアントまでのナンバーワンに加え、新しいセグメントとしてのハイブリッドノートや、タブレットもナンバーワンを狙い、将来に対する備えとしてのイノベーションを企てるという。HPとしては事業が統合されたことで、パートナー窓口も統一され、組織がシンプルになることで迅速な意思決定ができるようになった。つまり、一緒になったことで、結果として長所だけが残ったというのが岡氏の考えだ。

 また、プリンタについては、本来、どこのベンダーよりも製品が多いのに、日本では一握りの製品しか提供できていなかったことを反省し、今後は、これを増やし、企業向けのプリンタビジネスを成功させたいとした。

 さらに、PCについては、企業向けも「かっこよくない」という理由で選んでもらえない時代になったと岡氏。つまり、デバイス自体にモノとしての価値があることが重要だという。ビジネス向けUltrabook、そして、ビジネスタブレットと、妥協も犠牲もない製品作りをめざす。日本HPとしては、特に今、ノートPCが弱いため、モバイル環境に力を入れたいということだった。

巨人に望む当たり前のWAN

 個人的にHPのような巨人に望むのは、かつてIntelがCentrinoでやったように、「モバイルPCの新しい当たり前」を作ることだ。最初はコストがかかったとしても、なにせ、HPは1秒に4台の製品を出荷している企業なのだから、他のベンダーよりも、ボリュームメリットを得る下地はある。

 ちょっと昔の話をしよう。かつて、PCには通信するための装備が最小限のものしかついていなかった。たとえば、シリアルポートやパラレルポートだ。それさえ増設拡張だった時期もある。だからEthernetにつなごうと思えばNICを調達しなければならなかったし、公衆回線を使ったデータ通信をしようと思うとシリアルポートにモデムをつなぐといった拡張が必要だった。PCカードも大活躍だった。

 後年になって、モデムやNICはPCに内蔵されるようになったし、シリアルポートやパラレルポートはUSBにとってかわられプラグ&プレイが当たり前になった。PlayのためにPrayする(祈る)必要がなくなったのだ。これは、EasyPCイニシアティブによって、レガシーフリーを追求してきたMicrosoftやIntelの功績だ。そして、Wi-Fiの普及もIntelのCentrinoによる功績だ。

 現行のPC製品を見ると、すでにモデムは引退し、Ultrabookなどは有線LAN端子もないものが多い。全てをWi-Fiに頼ろうとしているといってもいい。

 だが、Wi-Fiには1つ懸念がある。アクセスポイントがなければインターネットに出て行けないという点だ。モバイル環境ではこれは致命的だといってもいい。モバイルルーターを持ち歩けばいいとか、スマートフォンをルーターにすればいいといった論調もあるが、通信機能を本体に内蔵し、単体で通信ができることが便利だというのは、モデムのときも有線LANのときも、Wi-Fiのときも痛感している。なのに、今、LTEなどのモバイルネットワークを使ってWANに接続することができるPC製品が数えるほどしかないのはなぜなのだろう。WiMAXのようなソリューションもあるが、Intelがハシゴをはずした格好になっている。具体的にはSIMスロットを持ち、任意のキャリアのネットワークを使って単体で通信できるPCがほとんどないという事実。このことが将来のPCシーンに与える影響を、もっと真剣に考えるべきだと思う。

 だからこそ、HPのような巨人ベンダーに望みたいのだ。WAN内蔵をモバイルPCの当たり前にしてほしいと。当然コストはアップしてしまうが、それをボリュームでカバーしてほしい。その結果、他社も追随すれば、さらにコストは下がるだろう。

 このままでは、モバイルPCは何かに頼らなければ通信ができない不便なデバイスになってしまう。そうなると、人々がモバイルPCを使う時間はますます短くなっていくだろう。ちょっとしたことならスマートフォンでできる。かつては、メールを読み書きするためにPCを開いていたユーザーも、開いてつなぐという2ステップが面倒で、スマートフォンですませてしまうようになってはしまわないか。

 確かに「PCレス」はトレンドだ。だが「PCレス」を提唱したプリンタ複合機は、大きな成長を遂げただろうか。せめて、「PCがなくても平気、あればもっと便利」的なアピールをすればよかったのにと今になって思う。

 同様に、単独で通信ができないPCは、歌を忘れたカナリアに等しいともいえる。

MVNOも着々と準備

 IIJの高速モバイル/Dに続き、BIGLOBEも、BIGLOBE LTEにおいて、SIMカードを最大3枚提供するサービスを開始した。月額料金はSIM 1枚の場合と同じだ。個人でも、複数台のデバイスを持ち歩くようになっているトレンドに対応したサービスだ。

 こうしたサービスを利用することで、スマートフォンとタブレットなどの複数台デバイスそれぞれに、もれなくSIMを装着し、それぞれが単独で通信できるようになる。しかも、コストはこれまでと同様だ。大手キャリアにも提供してほしいサービスだが、PCで通信するようになったとたん、データ転送量上限にひっかかり、アッという間に速度制限ということになってしまうかもしれない。ただでさえスマートフォンで逼迫しているネットワークを、PCに開放するのはためらわれるというのもキャリアの論理かもしれない。

 本当は、こうしたサービスは大歓迎なのだが、そもそも、そのせっかくのSIMを使えるモバイルPCがほとんどない。この秋冬の主立った新製品の中では、Let'snote AX2の直販プレミアムエディションの中にXi(LTE)対応ワイヤレスWAN内蔵モデルが用意されているくらいだ。評価のためにしばらく使わせてもらったが、WiMAXと同様に、開いてログオンしたらもうつながっているという環境はやはり素晴らしい。

 なのに、Atom搭載のWindows 8タブレットや、各社のUltrabookで、その便利さを享受できないというのはあまりにも悲しい。だからこそ、ここは1つ、HPのような巨人に、力業でWAN搭載を当たり前にしてほしいのだ。HPにMVNO事業を始めろとはいわない。その装備を全PCにつけてほしいだけなのだ。HPのモバイルPCは必ずWANにつながるということになれば、それは大きな付加価値となるだろう。そして、必ず、あとが続く。そこを開拓してほしいのだ。イベント会場では、岡氏にこのことを少し話すことができてよかったと思う。モバイルに注力するならぜひ取り組んでほしい。

 これからHaswellの時代になり、Windows 8のConnected Standbyが当たり前の環境になる。その時になっても今のような状況が続くなら、コンシューマ化されたビジネスユーザーを含め、コンシューマはモバイルPCを使わなくなってしまうだろう。本当にそれでいいのだろうかと思うのだ。

(山田 祥平)