山田祥平のRe:config.sys

民放ラジオが手にした新たな伝送路




 PCでできることがまた1つ増えた。最新のテクノロジーを駆使したユセージモデルでもなければ、画期的なアプリケーションでもない。ただのラジオだ。ラジオを聴けるだけ。電波を介さずに聴けるラジオにすぎない。でも、これは嬉しい。そして、この一歩は大きな一歩だ。

●ラジオがラジオでなくなった

 IPサイマルラジオ協議会によるradiko.jpの実用化試験サイトがオープンし、在京、在阪の民放ラジオ13局が、インターネット経由でリアルタイムで聴けるようになった。ぼくの場合、居住地が東京なので、サイトを開くと、東京の民放局がリストアップされ、好きな局を選ぶことができる。画期的なのはCMまで含めた完全なサイマルサービスであることだ。

 サービスが始まったばかりでアクセスが集中しているためか、サイトのトップページが異様に重い。あげくの果てには「サービス地域外のためラジオを聴くことができません」という別のページに飛ばされる。

 でも、各放送局の再生直リンクをブックマークしておけば、ボトルネックになっている気配のトップページを経由しないでアクセスできる。この方法なら重さを感じることはない。

 いろいろな環境で試してみたが、たとえば、ノートPCを外に持ち出し、3G回線のFOMA、しかもBluetooth経由でインターネットに接続しても、音は途切れず十分に楽しめる。「ラジオ」は無線を意味するが携帯電話だって無線だ。多くのPCが無線でインターネットに接続していることを考えると、これもまたラジオなのだということだ。

 音質も悪くない。少なくとも、ノイズが混じる電波経由のAM放送を聴くよりはずっと快適だ。そうなのだ。FM局がインターネット経由で聴けるようになっても、こんなに嬉しくはない。AMだからこそ嬉しいのだ。もっともこうなると、AMとかFMといった変調方式、中波とか短波、超短波といった周波数帯でラジオ局を区別する意味もない。

 インターネットで検索すると、もうさっそく、各種のフリーソフトウェアが公開されているようだ。プレーヤーのページを直に開くアプリもあれば、録音をするためのアプリもある。数日でこういう感じだから、半年もすれば、ものすごく快適な環境が得られるようになっているのだろうと思うと楽しみで仕方がない。

 ぼくのモノカキとしてのスタートは放送作家と雑誌記者で、当時は両方をかけもちしながらあわただしい毎日を過ごしていた。東京のAMラジオ局に出入りして構成の仕事をしていたのは30年近く前の話だが、その当時ヤングタイムでいっしょに仕事をしていた新人の局アナが、今は、ベテランとして早朝の番組を担当している様子を聴くと感慨深いものがある。オールナイトニッポンなんていうのをちゃんと聴いたのも本当に久しぶりだ。AM放送を受信できる装置は、ミニコンポに内蔵されたものがまだ手元にあるが、この部屋の受信状況は最悪でとても聴く気になれない。クルマに乗っているときにラジオを聴くにしてもFM放送を選んでしまうし、そもそも、iPodの音源をFM電波にしてラジオで聴けるようにしてからは、パブリックな放送波をチューニングすることもなくなってしまった。

●ラジオの深夜放送が支えた若者文化

 radikoのサイトの説明によれば、この試験配信は「地上波ラジオ放送をCMも含め、そのまま同時に放送エリアに準じた地域に配信するサイマルサービスです」ということだ。なぜ、そのような試験配信を行なうかの理由として「近年、都市部を中心に高層建築、モーターなどの雑音源の増加などによりラジオの聴取環境は著しく悪化しています。こうした難聴取を解消していくと同時に、より魅力ある音声メディアの姿を追求していきます」とある。

 ぼくは、高校を卒業するまで、東京から遠く離れた福井県の小浜市という小さな町に住んでいた。中学生後半から高校を卒業するまでの楽しみの1つはラジオの深夜放送を聴くことだった。勉強するのが目的だったのか、深夜放送を聴くのが目的で勉強をしているフリをしていたのかは定かではないが、とにかく毎日明け方までラジオを聴いていた記憶がある。

 うまい具合に、午前零時を過ぎると、電離層の状態が変わるのか、それまでは北京放送などの強い電波に打ち消されていたり、かすかにしか受信できていなかった東京のAMラジオ局がはっきりと聞こえるようになる。最初は机に向かって参考書などをペラペラめくりながら聴いているのだが、そのうち布団に入り、電気を消して真剣に聴き入る。そして、まどろみ寝入ってしまうころには、また、電離層の状態が変わり、放送は聞こえなくなってしまうのだ。

 オールナイトニッポンはもちろん、パックインミュージックやセイヤングなどの番組にはずいぶんネタのハガキを投稿したし、けっこう読まれた。今にして思えば、当時、耳にした音楽や知識の多くは、AMラジオをつけっぱなしにしていた結果、偶然耳にして手に入れたものばかりであり、そのころラジオで繰り返し流れていた楽曲の多くは、今も、フレーズが頭の中に残っている。'72年頃は日本における洋楽ポップスの黄金期だと言われているが、それを支えたのがラジオの深夜放送だったように思う。もちろん、後にニューミュージックと呼ばれるようになるフォークソングブームも深夜放送がその存在を支えた。

 実際に、ぼく自身が東京のラジオの業界で仕事をするようになって、地方で聴いているリスナーからのハガキを選んでパーソナリティに読ませようとしたときに、プロデューサーに怒られたことを思い出す。自分の体験から、東京から遙か離れた土地で、雑音混じりでも、懸命に番組を聴いてくれているリスナーがいるのはうれしいことだったのだが、サービスエリア外のリスナーを相手にするのは好ましくないということだった。それどころか、意味がないとさえ言われた。

 そして今、インターネットの時代となり、IPパケットになって送られてくる放送番組も、テクノロジーの力によってリスナーの居住地を判別し、サービス地域内か外かを判定する。日本中のラジオ局が聴けるようにするのは技術的にはとても簡単なことなのに、わざとそれをできなくしてある。だからこそ、CMまで含めたサイマル放送が提供できるらしい。そのあたりが大人の事情というものなのだろう。

●インターネットは追加の伝送路

 新聞が紙を捨てたらたいへんなことになる。だから日経新聞は電子版の創刊にあたって絶妙な価格設定をした。この価格設定なら、宅配される紙の新聞も併せて契約しておこうと思うだろう。電子版だけの価格が高すぎると感じるように誘導されているように見える。もし紙の新聞がなくなるようなことが起これば、印刷工場から流通、専売所の経営者、従業員、折り込み広告関連など、紙の新聞によって生計をたててきた多くのビジネスが破綻してしまう。だからなくならないようにしてあるのだろう。

 ラジオは違う。コンテンツの配布を電波に頼ってきたため、その電波が他の媒体にすげかわったとしても失うものはほとんどない。それどころか、リスナーを増やせる可能性さえある。今回は失うのではなく、丸ごと追加だから、余計にそうだ。ラジオを聴ける場所とシチュエーションが一気に増えた。

 数十年間、AMラジオを聴いていなかったぼくが、ここ数日間は、いつもradikoを聴いている。そういうリスナーはたくさんいるに違いない。原稿を書きながらというのはちょっとまずいが、最新情報をブラウズしたり、ファイルの整理をしながら耳を傾けるには、AM放送の温度が心地よい。音楽中心のFM放送を聴くくらいなら、iTunesで自分の手持ちコンテンツを聴くだろうし、テレビはテレビで、なんとなくチラチラと画面を見なければならない貧乏性なので、落ち着かず気が散ってしまう。その点ではAMラジオは「ながらメディア」としては、かなりいい線をいっている。

 ラジオのデジタル化は何も今始まった話ではない。AM放送とのサイマル放送は一部デジタルラジオとしても提供されている。でも、それを楽しむには専用の受信機が必要だ。そして、大きなブームになることもなく、まもなく放送を終了する。でも、今回の試みは、手元にPCと回線があればすぐに楽しめる点で定着しそうだ。

 そして、リスナーがラジオを再発見すれば、そこには新たなビジネスチャンスが生まれるだろう。特にAM放送局は、びっくりするような拡張があるはずだ。電波は利権のようなもので、後続の新規参入が不可能に近いメディアだ。その利権を持つ放送各社が、既存利権そのものを捨てることなく、追加で新たなメディアを手に入れたのが今回のプロジェクトだ。テレビほどではないにしろ、その利権あればこそ、高額な電波料で広告収入を得て成り立つ民放ラジオという業種だが、電波を使わないところでも、付加価値としての広告収入を得られるようになるかもしれない。これが許されたのが不思議なくらいだ。

 こういうことができるラジオ局を、テレビ局はどのように考えているのだろうか。うらやましいのだろうか、それとも冷ややかな目で成り行きを見守っているのだろうか。放送の王道はテレビだった時代に、ラジオの深夜放送は当時の若者を虜にして、ある種の文化を創出していたように思う。ラジオは文化の起爆剤だったのだ。そして今、30年以上の時を経て、今、もう一度、ラジオが目覚めようとしている。何かが起こる兆しを感じてradikoに耳を傾けるリスナーは少なくないに違いない。もちろんぼくもその1人だ。