俺とiMac |
アップル iMac 標準価格178,000円。 斬新なデザインと、USBや100Mbpsイーサの採用など今後の標準に合わせた仕様が話題に。発売以後、取り扱いショップでは常にベストセラー機となっている |
最初は、まず、WebでiMac発表の画像を見て、iMacの画面上の“hello (again)”という文字列を見て、凄まじい欲しさに襲われた。この文字列に、他のコンピュータにはない、Macだけが持つユーモアと暖かみとユーザーに対する親近感を感じた。ちょっと表現しにくいが、MacとMac OSが醸し出す、非常に人なつっこいイメージのコンピューティング環境を、すごくうまく、かつ、ユーザーにグサッとくるような感じで言い表わしている、と感じた。ともかく、くぅ~っ、イカしたコトやりやがるぜ!! と思った。
同時にそのデザインが新鮮だった。最初の1発目からキマってると思った。カッコイイとか斬新とかいうよりもむしろ、その気にさせるデザインだった。しかもデザイン的に凝ってる。フツーにあの筐体デザインでフツーの素材を使ってG3載っけて“hello again”とやってくれるだけでも欲しくなるっつーのに、本体もキーボードもマウスもケーブルも、統一された“瑞々しいイメージのデザイン(スケルトンっちゅーことですな)”で作り込まれている。なんかこー、スレてないイメージだ。純粋で新鮮でキュートで、非常に魅力的だ。蘇ったAppleの象徴にふさわしい。
それから、スペックを見てすぐに“先進的なマシンだ”と思った。233MHz駆動のPowerPC G3プロセッサ、USBとネットワークに限られたインターフェイス。過去のしがらみをバッサリ切り捨て、すぐそこに来ている未来を先取りしたような内容になっている。それでありながら、178,000円というロープライス。ふつーのコンピュータユーザーなら誰もが驚くところだ。
コレは買うな~きっと買うでしょ~たぶん買う~、と自分の行動を薄々気づいていた俺だったが、結局、買わなかった。前述のように物欲が冷めてしまったのだ。
というのは、まず、iMacを取り巻くディープで濃くて一直線な人々があまりにも騒いでくれたから。確かにすげえカッコイイしコストパフォーマンスは高いし、パソコンとしては非常に魅力的な存在だ。騒ぐに値する内容だろう。iMacはステキっ!! と騒ぐのはよくわかる。だが、iMacはステキっ、と言うついでに、やっぱりWindowsマシンはダサいのばっかりだとか、Windowsは使いにくいけどMac OSは素晴らしいとか、Microsoft死ねApple万歳、みたいなことまで言い始める人がいた。いわゆるMac信者だ(とは言っても、フツーの良識あるマトモなMac信者じゃなくて、猪突猛進的な意固地で凄まじくて聞く耳持たないような極端なMac信者ですけど)。
まあ、最近は何かと言えばWindowsマシンという状況。Macユーザーにとってはおもしろくないというのはわかる。が、ここ数年の、比較的強度に偏ったMac信者さんらの、何かにつけてはWindowsをこき下ろそうとするあのネガティブとも言える指向(嗜好だったりして)は、どうにも不快だ。怒濤過ぎるMac信者さんらもそうだが、凝り固まり色の強いMac系メディアの記事の調子もそう。不毛な理屈で塗り固めたような記事を何ページも掲載しているのを見ると、それを見なかったことにしたくなる感じだ。同じコンピュータユーザーとして、非常に悲しくなる。
それから、Mac事情に詳しい人から聞いた、アップルジャパンのiMac販売方法を聞いて非常に気持ち悪くなった。非常に高飛車というか恩知らずというか、消費者や販売店をコケにするよーなコトをやったそうな。大顰蹙だったそうな。詫びの一つも入れなかったそうな。ていうか当たり前だと思ってるそうな。ムカついてアップルとは手を切ったという人も多いそうな。具体的に、かいつまんで書くと、従来Macを売っていた販売店(アップル正規ディーラー)は、もちろんiMacを供給してもらえると思ったそうな。で、もちろんiMacは魅力的だし売れるってことで購入予約を受け付けたそうな。ところがアップルジャパンは、iMacに限っては従来の販売店すべてに供給するのではなく、一方的に供給する販売店を決め、そこだけにiMacを供給したそうな。しかも発売直前に。つまり、アンタのトコには卸すが、アンタのとこには今回は卸しません、みたいなお触れを土壇場で出したそうな。よって、多くの“iMacを純粋に欲しいと思って速攻で予約した善良なる人々”の期待を裏切り、(もちろんiMacを供給されなかった販売店は泣く泣く)予約のキャンセルが出されたそうな。発売日前に連日のように予約消費者からの苦情電話を受け、受話器の前で何度も頭を下げ、アップルジャパンと裏切られた消費者の間で押しつぶされそうになっているという販売店の人のコトをいろんな方面から聞いた俺だったそうな。まあ、メーカーが「おたくには卸さないし、卸すという約束もしてなかった」と言えば、そりゃそうかもしれないが、これまでMacを売っていた販売店にまったく恩を感じないのか、とか、予約までしてくれた消費者を手前勝手な理屈で無視してそれで何とも思わないか、みたいな点に、憤慨を感じているわけである、俺は。とにかく、そーいった信じられないよーな話を聞いて驚くとともに、あ~ね~やりそうなこったゼとヒッジョーに気持ち悪くなったわけだ。
この他、細かい話や、俺が経験した非常に不愉快な過去を連想させるような話などいろいろあるが、それらの“非常に不快ですげえ気持ち悪くてムカつく多くの事象”が、この、知る人ぞ知るiMac販売騒動で全部思い起こされてしまい、俺の物欲パワーが最強にゲンナリしてしまったのであった。
で、俺は結局、iMacはカワイソーだなーと思うようになった。せっかくステキでカワイクてキュートなiMacちゃんが登場したのに、追っかけ連中の一部が超下品だったり、iMacさんの親御さんが卑怯っぽくて差別意識アリアリっぽかったりして、どうも素直にiMacを好きになれなくなってしまった。葛藤と言えば葛藤でもある。泣く泣く手を引っ込めたという感じもある。ともあれ、そんな寂しい気持ちとともにiMacを買うテンションを失ってしまったのであった。
早速開梱し、アクセサリキットを取り出し、本体を包む発砲スチロールをはずすと、iMac上部が露出し、そこにある取っ手を掴んで本体を箱から出し……みたいなことはネット上至るところで書かれているのでよしていきたい。で、これまで8台のMac(Macintosh IIci、Macintosh Classic、Macintosh Centris610、Macintosh Quadra 840AV、Power Macintosh 8100/80AV、PowerBook 5300Cs、Power Macintosh 8500/150、PowerBook1400c)を購入・使用してきた俺の結論としては、iMacは非常にイイ感じで使えた。パワーも十分あるし、モノとしても気分のよいデザインだし、Mac OS 8.1も快適。インターネットやLANなどネットワークに接続できる環境で使うMacとしては非常に良くできていると感じた。“ネットワーク時代のコンピュータ”という点には、ほとんど非の打ち所がないと思えるハードウェア構成だ。
手っ取り早く楽勝でインターネットしたいと思う人にはうってつけかもしれない。NTサーバーとかを使っている環境に付加する場合にはうってつけかもしれない。実用にもなる凝ったインテリアにするにはうってつけかもしれない。マニアがセカンドマシンにするにはうってつけかもしれない。ゲームするにはうってつけかもしれない。けっこう他にもうってつけ用途があるかもしれない。
このようにiMacはいろいろな環境にマッチするわけだが、いろいろ考えた結果、俺としては買うに至れないマシンであることが判明した。そうか、俺はこれを買わないんだ、と思った。
iMacの本体右側のコネクタ部。SCSI、ADB、FDDなどを切り捨てた仕様には賛否両論あるが、過去の資産を持つユーザーの場合「ああっコレが使えたら」と思う場面がけっこうあるのは確か |
iMacのディスプレイはLG電子製のフラットスクリーン管採用。値段のわりにいいと思うか、もうちょっと高くても歪みのないCRT使ってほしいと思うかは、これも意見の分かれるところ |
iMacに対する俺の大きな不満はいくつかある。SCSIポートがないこと、FDDがないこと、CRTがショボいこと、ADBが廃止されたこと、など。
これらは、「これからiMac一筋で行くぞ!!」という人にとっては大した問題ではない。でも俺にとっては大問題だ。俺の多数のSCSI機器が使えなくなるし、俺の貴重なフロッピーディスクのデータが読めないし、俺の大切なハードウェアプロテクト対応ソフトウェアが動かない。Mac OSとMacintoshコンピュータが凄い気合いで保ってきた“過去の資産の継承”がコケてしまうのだ。
まあ、コケない方法もある。これらの問題は、USB←→SCSIコネクタや、外付けUSB FDDや、USB←→ADBコネクタなど、発売済みあるいはこれから発売されるであろうUSB機器を使えば解消できる(らしい)からだ。が、俺はそんなのイヤなのである。そんな“まだ全然実績がないし安定性も不明なデバイス”を使うのはイヤだし、そんなモンつなぐとせっかくのiMacのスッキリ感がなくなってタコ足iMacになっちまって秀逸なデザインがオシャカだからだ。
でもまあオトナとして冷静に考えて、「将来的にはUSB機器が普及するからいいかもな……」と思ってみたが、某所でアップル社のコメントを読んで、イヤになった。そのコメントは「アップル社としてはFDDは不要と考えたので、iMacにはFDDを搭載していない」というようなもの。メーカーさんが“不要”と考えて“搭載しない”んなら、しょうがない。確かにまあ今時フロッピーディスクは容量も小さいしそれほど役立たないかもしれない。
が、俺にはFDDが必要だ。すげえ必要だ。FDDでやりとりできるデータは多い。フロッピーディスクで作った緊急ディスクとか、フロッピーディスクに正規ユーザーを示すコードを保存するソフトウェアとか、Windowsマシンとの手軽なデータ転送時のフロッピーディスクとか、いろんな場面で俺にはFDDが必要なのだ。そして俺の周囲のコンピュータ野郎の多くも、FDDを必要だと言っている。ところがアップル社は“FDDを不要と考え”ている。ソコがイヤだ。SCSIもそうだが、FDDを必要とするユーザーを切り捨てたような言い方が非常に鼻につく。USBのFDD買えばいいじゃん、iMacはネットワークを使っている人だけのためのマシンなんですよ、と言われそうだが、そーゆー話ではないような気がする。
ブッ飛んじゃってるし冷静さを失っているMac信者風の邪悪な口調をマネして言えば「アップルは、FDDを必要とする人など相手にしないという、横柄で高飛車なメーカーだ」ということになろう。頭ごなしに「FDDは不要」なんて言われたら、FDDを便利に使ってるユーザーなら誰でもムカつく、ないし、悲しくなる、ないし、自信を失うだろう。また同時に、iMacは確かに“使う人を選ぶマシン”というハードウェア的側面を持つ。が、だったらそれをもっと強く謳い「iMacって今までのパソコンで苦労しまくった挙げ句失敗した人のためのコンピュータなんでしょ」という誤解を招くようなCMを打たないでいただきたい。細かいことかもしれないが、メーカーの都合で断片的にマシンの意義を言い切る(というか言い捨てる)のは今時のまっとうなメーカーのやることではないと思った。俺としてはMacというイカシたコンピュータを作り続けるメーカーは、もちろんまっとうでマトモだと考えていたわけで、その気持ちを裏切られたようでムカッとキた。ともかく要するに、いろんな場面で、俺はムカついたわけだ。
でもまあ、最大限オトナになって冷静に考え、FDDは外付けでヨシとしよう。でも、このCRTは話にならない。話になりまくりの人もいるかもしれないが、俺にとってこのCRTは平均未満であり、使えないこともないと言うには忍びないCRTだ。640×480ならまあいいのだが、800×600ではややボヤケる。1,024×768になると、心が痛むほどナニなのである。しかし俺は現在、最大限のオトナモード!! 多少のボヤケやニジミもオッケーとしよう!! だがしかし!! どの角度から見ても画面の四辺のどこかが絶対にカーブしているのは許せん!! ていうかあと2万円高くして、もちっといいCRTを入れるというアイデアはなかったのだろうか? 今時こんなCRT入れて儲け増やしてんじゃねえよ、というのが俺の心の叫びだ。知人の見解では、“安かろう悪かろう、でもカッコ良かろう”というのがあった。言い得て妙かもしれない。
以上が大きな不満。細かいことを言えば、マウスは外見のわりにナニだとか、キーボードの傾斜角がアレだとか、まあチマチマしたのがいろいろあってキリがない。キリがないのだが、iMacの魅力はそのような小さな問題を「まっ、いっか」と思わせる魅力があるとも言えよう。まあ基本的に俺はiMacを気に入っているわけだ。
でもひとつ、マジな話、現在iMac貯金進行中の初心者は、iMacは基本的にはネットワークにつなげるためのマシンだということを念頭に、iMacのこととMac周辺のハードウェア事情などを詳しく調べてから金を払った方が幸せになる可能性が高い。そうしないと、予期できなかった多額の出費を強いられることになり、この世界には幸せって本当にあるのだろうかと疑心暗鬼になる確率が高まる。
iMacのデザインは、とくに側面と背面が特徴的かつ美しい。機材の山に埋もれるように置いてしまっては、せっかくのデザインが楽しめない上、部屋とのミスマッチが強調されて、残念感が強まる結果に |
それはiMacのデザインだ。
このデザインは、俺にはちょっと突飛過ぎる。俺の精神上は突飛ではないのだが、俺の生活環境において突飛なのだ。例えば、iMacはカッコイイので、その周辺もカッコよくなくてはならない。なぜなら、iMacの周辺環境がカッコ悪いと、iMac自体もカッコ悪いマシンに見えてしまうからだ。
具体的には、iMacには一般的な障子とか襖は似合わない。高級で本格派でお宝な感じの障子や襖とはマッチするかもしれないが、たいていの場合はどうにもならないミスマッチとなる。iMacをチープな和室に置くとミスマッチなのだ。障子に穴が空いていれば、残念度の高いミスマッチになる。襖は、襖紙が量産可能な松もしくは竹もしくは梅の柄だったりするともはやダメなのである。その襖に穴でも空いていようものなら、近い未来、ネットの売ります買いますコーナーに愛機iMacの名前を書き込むことになるだろう。
洋室ならどうかと言うと、これもかなり難しい。洋室であるだけでは、iMacちゃんは許してくれないのだ。洋室にiMacを置くとしても、置く場所が17,980円のパソコンラックの上などだとシステムエラーが起きるかもしれない。179,800円の高級デスクの上なら、何とかサマになるかもしれない。が、一瞬気を緩めて、iMacのそばにティッシュの箱なんか置いた日にゃあ、iMacちゃんは機嫌を損ねて起動しなくなるかもしれない。ティッシュの箱に加えてウーロン茶の缶など置いたらもう絶体絶命なのだ。もちろん、鮭をくわえた熊の木彫り置物もダメだし、和洋折衷におけるシャンデリアもダメだし、回覧板もダメだし、下手な字が書いてある付箋紙もダメだし、脱ぎたて靴下もダメだし、ラジカセもダメだし、コンビニ袋もダメだし、ポテチの空き袋もダメだし、先が丸まった消しゴムもダメだし、100円ショップで買ったカラー小物入れもダメだし、プリクラもダメだし、友人から届いた夫婦&新生児写真入りハガキもダメだし、と、いろんなモンがiMacには不向きだと考察される。
ナイスな部屋があったとしても、ユーザーが……まあ深く考察しないことにするが、とにかくiMacのデザインは非常に主張が強く、置かれる環境を選ぶマシンだと思う。そして、俺がいる環境は、iMacと凄まじいミスマッチを起こすようなモノがありったけ揃っており、非iMacグッズで構成されているようなモンなのであり、もはやiMacを置こうと考えただけでiMacから火の手が上がりそうだ。というわけで、俺はiMacを買えないのであった。それにアップル社も「オシャレなリビングなどに置いていただきたい」としてiMacを売ってることだし。
というわけで、ここに来て再度人気を高めたMacintoshというコンピュータおよびMac OSというソフトウェアだが、俺としてはどんどんイッていただきたい。もっともっとその世界が広がって欲しい。iMacのようなステキなマシンが出るのなら、もっとイカシたのやもっとスゴいのも出るはずだ。もっとも、そういうのが出さえすればいいわけで、出すのはどこでもいいのだが。
とかグジグジ書くと、俺=反Mac派、という微妙なニュアンスが浮き出がちだが、決してそうでないことを知って欲しい。お世辞にも安いとは言えなかった(最近はけっこう安いですが)Macを、前述のように8台も買ってきた、いわゆるひとつのMac野郎なのだ俺は。ちょっといじくってなんだかんだ言ってるのではない。少なくとも漢字Talk 7.5あたりまではゴリゴリとMacを使ってきて、同時にMacを非常に好きだと思ってきたMacユーザーなのだ。もちろんWindowsも使うが、Windowsだけ使ってMacをどうこう言っているのではない。Macintoshコンピュータも漢字TalkもMac OSも全体的に好きで、AT互換機もDOSもWindowsもおおよそ好きで、基本的にコンピュータ全体が好きな俺なのだが、どうも最近のMac周辺の状態というか環境がおかしいと思っている。
売る側は消費者との和を欠き、使う側の一部はコンピュータの世界との和を欠いている感じがする。好きなマシンと好きなOSを楽しく使えばそれだけでハッピーなはずだ、コンピュータは。ハッキリ言えば、コンピュータは、まだ、“使うだけで楽しめるモノ”だ。この類い希なるファンツールであるコンピュータやソフトウェアにはまったく罪はない。それを売る者やそれを使う者が勝手に、汚れなきソフトウェア・ハードウェアを汚しているような気がしてならない。誰もが何の気兼ねなく楽しめて、そして利用できるはずのコンピュータが、そんなどす黒くて邪悪な策略や意図で貶められるのは、長年コンピュータとつき合ってきた俺にとって、まったく不愉快このうえないものなのだ。
東芝TECRA 780DVD 問題の液晶は交換してもらうことに。とはいえ修理期間はマシンが使えないわけで、故障の際はそれがつらい。パソコンはいまやわれわれの生活必需品。クルマの場合、有料であるにしろ“代車”というシステムがあり、パソコンでもぜひ“代機”システムの確立を検討していただきたいところ |
話の流れはこんなの。超絶好調だったTECRA 780DVDに、喜び勇んだ俺はWindows 98をインストール。BIOSをはじめ、各ドライバなどを全部(東芝が言う正規の手順で)インストールし、Windows 98マシンとした。が、その途端、レジューム(だけ)が絶不調に。具体的には、マシンの液晶パネルを閉じてレジュームし、再度パネルを開くと、レジュームから復帰しないことが多々ある。復帰させるには、マシンの電源を強制的に落とし、電源を入れ直すしかない。そうすると、問題皆無でリブートする。というもの。
いろいろ試しに試しまくった結果、OSをWindows 95に戻してみたら、かなりレジュームの調子がよくなった。しかし、液晶パネルを閉ればレジュームに入るのだが、そこから液晶パネルを開いてもレジュームから復帰しないのであった。復帰させるには電源ボタンをポンと一押ししなくてはならない(が、そうすればちゃーんと復帰する)。これなら動作上問題ないのだが、液晶パネルをパカッと開けてすぐ仕事、という軽快さがない。液晶パネルを開けて、ワンアクション(電源ボタンを押す)よけいに必要なのだ。ヒッジョーに些細なことなのだが、ヒッジョーに気になる。はてさて、どうしたらいいもんか!?
そこで東芝さんに電話。これこれこうなってます、と。すると、そーゆートラブルはアンタが初めてだヨ、と。調べますから待っててネ、と。俺としては、やっぱりどうしてもWindows 98の“電源の管理”がなんかイタズラしてると思うのだが……。どうなんでしょう、実際のトコロ。ていうか今後もこのトラブルを完全に解消すべく、俺は多量の時間をTECRA 780DVDいじりに費やすのであろう。
それから、TECRA 780DVDの“次々に死にゆくTFTのドット問題”だが、コレは東芝さんに電話したら、そりゃ故障ですな交換しますヨ、ということに。と喜んでいたらまた1ドット死んだ。合計781ドット!! 新記録樹立か!? ギネスに連絡か!? ていうか凄まじい悲しさなんですけど。
□アップルのiMac製品情報ページ
http://imac.apple.co.jp/index.html
□関連記事
【5月7日~】iMac関連記事インデックス
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/980817/imac_i.htm
□東芝TECRA 780DVD製品情報
http://www2.toshiba.co.jp/tdirect/products/index.htm
[Text by スタパ齋藤]