塩田紳二の特別読み切り:パソコンは死なない?


 最近、巷ではパソコンがなくなって、インターネットアプライアンスになるだの、Officeなんかのアプリケーションがみんなインターネット経由のサービスになって、パソコンが不要になるなんて話が流布しているようだが、そんなことでいいのだろうか?

 昔から、たとえマイクロプロセッサが入っていても、パソコンとその応用製品とは厳然たる区別があった。電気釜にマイクロプロセッサが入っているからといっても、誰もそれをコンピュータとは呼ばないのである。

 それは、主にソフトウェアを入れ替えることができること、そしてそれを自由に動かすことができることが大きな違いである。つまり、電気釜や冷蔵庫のソフトウェアは、固定されていて、あとから自由に入れ替えることはできず、ここが汎用のコンピュータとマイクロプロセッサの応用製品との境目だったわけである。

 もっとも、最近の応用製品では、フラッシュメモリであとから差し替えができるものもあるが、ユーザーが簡単にプログラムを入れ替えられないという点では同じである。さらに、目的が1つではなく、ソフトウェアでさまざまな目的に利用できるという点も違う。電気釜は、たとえソフトウェアを入れ替えることができたとしてもやはり電気釜である、それがソフトを入れ替えたら、冷蔵庫になることはないわけだ(もっとも暖房機とか電気ポットぐらいにはなるかもしれないが)。

 ハードウェアを拡張できるなんてところもあることはあるのだが、こちらは、ソフトウェアに比べると、応用製品との境目はかなり曖昧だ。マイクロプロセッサの入った家電製品でも、オプションの装着で機能拡張が可能なものもあるし、パソコンでありながら、ほとんど拡張性に乏しいものもある。外部記憶は、かつては、コンピュータの重要な要素であったが、最近では、ハードディスクビデオレコーダなんてものも登場しているし、ハードディスクなどの外部記憶を持たないコンピュータというのもないわけではからだ。Pentium 4とか、Alphaなんて計算能力の高いCPUを使うというのも差別化点にはならないだろう。家電であっても必要なら、そういうCPUを使うだろう。いまはその必要がないから使わないだけだ。Pentium 4で電気釜内の温度分布を計算しつつ、加熱を制御するからおいしく炊ける電気釜(SSE2命令採用でご飯がふっくらとか? Pentium 4が発熱体に使えて一石二鳥?)あるいは、アクティブノイズキャンセリング(逆相の音を出して音をうち消す)のために高速演算を行なう冷蔵庫とか。


●Internet Applienceとは

 さて、世の中で期待されているInternet Applience(以下IAと略す)だが、現在言われていることからIAを定義するとしたら

というものだ。インターネットアクセス専用なので、簡単につながる、使えるというわけだが、実際、インターネットの接続が簡単というのもプロバイダ丸抱えならありえるが、そうでなければパソコンと同じ。結局いろいろと設定する必要が出てくる。逆にパソコンだって、特定のプロバイダ用に設定して出荷すれば、接続は簡単だ

 ただ、多数の市販アプリケーションを動かすという前提がなければ、Windowsを入れる必要もなく、その分、パソコンよりも安くなる可能性もある。ただ、Microsoftはこれを黙って見ているかどうか。

・可能性その1

 MicrosoftがIAに対してOffice.netサービスなどを提供する。これは、Windowsそのものの終わりもしくは、Windowsを非常に低価格で提供することを意味することになる。これで今まで以上に儲かるのならいいが、単にWindowsビジネスを捨てるだけということはやらないだろう。とすれば、ビジネスの主力をOfficeなどのアプリケーション機能のサービス提供に移したとしても、ハードウェアに対して環境を提供するというビジネスを単に捨てることはなく、何らかの形での提供が行なわれる。それはWindows CEなのか、安いWindows XPなのかは知らないが、少なくとも、従来のパソコン環境に対して、魅力ある価格での環境を提供しつづけることは行なわれる。とすれば、パソコンがこれでなくなるどころか、OSが安くなるので、パソコンの価格もさらに下がることになり、やはりユーザーにとっては魅力的と移るだろう。

・可能性その2

 Microsoftは、結局IAには対応しないか、限定的な対応しかしない。これはWindowsがそのまま生きることになる。となれば、やはりパソコンは生き残る。

 さらにWindows以外のOSによるIAがメジャーになると仮定してみよう。そうしたOSがいきなりポッと出てくることはありえないので、既存のOSが使われるか、新しいものであっても、最初は、パソコンに対して提供されることになるだろう。IAとパソコンで同じ環境が提供されるなら、パソコンのユーザーは減らない。また、Windowsを使わないことでパソコンの製品価格も下がることになるだろう。

 そうすると、インターネットアクセス専用なので安くなるという条件もちょっと怪しくなってくる


●アプリケーションサービスを受ける装置とは

 将来的にアプリケーションソフトウェアは、パッケージの提供ではなく、サービスとして提供されることになるかもしれないという。しかし、これは、昔の端末や、ちょっと前のX端末みたいに、単に画面だけをユーザーの目の前の装置に出すのではなく、ユーザーの目の前にある装置で、なんらかの処理を行なうことになるだろう。機能そのものは、サービスとして提供されたとしても、目の前の装置では何らかの重要な処理が行なわれることになるはずだ。この装置を仮に「クライアント」と呼ぶ。

 さて、このクライアントのハードウェアの違いなどを吸収するためのソフトウェアが結局は、クライアント側に置かれることになる。サービスを提供する側(つまりサーバー)にすべてを置くのは、ハードウェアの交換などを困難にするし、どれだけユーザーが高速なネットワークを使おうとも、どれだけ高性能なサーバーを使おうとも、目の前のクライアントにあるファイル以上に速く動かすことはできないからである。もはや、アプリケーションが使えるようになるまで、数分以上待たされるなんて環境には誰も戻りたくないからだ。

 だとすると、ユーザーが使うさまざまなサービスがあるとすれば、やはりそこに組み合わせ問題が生じるだろうし、サービス提供者の違いによる設定やソフトウェア同士の衝突もありえるだろう。なぜなら、単一のサービスを複数の事業者が提供することは競争にはならないため、同種のアプリケーションを提供するなら、それぞれ個性のある、つまり、違ったシステムを使うことになるからだ。

 これでは、現在のパソコンと何もかわらない、つまり、クライアントは、IAと呼ばれるかもしれない、その実体は、やはりパソコンと同じなのである。

 ここで、「使い方が簡単」というIAの前提が崩れてしまう。単にROMとRAMだけを載せ、電源を入れれば、毎回まったく同じになるような単純な端末では、現在のようなさまざまなアプリケーションには対応できず、対応しようとすれば、パソコンと同じようになってしまうわけだ。


●だとするとIAとは

 つまり、IAと呼ばれるものは、単なる「次の世代のパソコン」でしかないのである。レガシーフリーだとか、あるいはPC/ATアーキテクチャからの逸脱ではあるかもしれないが、パソコンとまったく違ったものになってしまうわけではないのである。

 ある意味、IAとは、幻想であり、メーカーのマーケティング手法ともいえる。IAはパソコンとは違うものだという錯覚を広めて、パソコンからの買い換えを喚起しているだけともいえる。ほんとうに、IAらしいIAだとしたら、それは、いまの大部分のユーザーの要求を満たすことはできないものであり、インターネットアクセスというレベルよりももっと、目的が特定されたことにしか対応できないもので、かつてのワープロ専用機以上にはなれないであろう。

 また、こうした「専用機化」は、一時的には普及するかもしれないが、結局、いつかは衰退してしまうものだ。

 かつてパソコン以上の出荷台数を誇ったワープロ専用機がどうなっているかを考えてみてほしい。また、これまでにHTMLはどれだけ変化したのか、FlashやRealAudioなどのプレーヤーは、どれだけバージョンアップしたのか? これだけを考えると、単に固定されたクライアント上のプログラムでは、すぐに対応が困難になることがわかるだろう。

 こうしたことを考えるとIAがIAとしてなりたつためには、さまざまなアプリケーション系サービスを使うための装置であることは否定しなければならなくなる。もっとも、IAらしさを失わないで、限定的な機能のみの提供を受けることは不可能ではないと思う。ただし、メールとWebだけというのなら、今すぐ作れるし、すでにそういう製品もいくつかある。しかし、これが急速に普及しているという話は聞かない

 結局、メールとWebだけなんて機械でさらに制限があるとしたら、どんな「インターネット体験」ができるのだろうか。たとえば、メールがたまったら削除しなければならないのだろうか。画像や音楽をダウンロードしたら、どこにしまって置くのだろうか?

 IAには、パソコンのようになるか、ワープロ専用機のようになるかのどちらかの道しかないのである。そして、ワープロ専用機のようになったときの運命はおそらくワープロ専用機と同じであろう。また、パソコンのようになろうとしたとき、ユーザーは、「パソコン」と「パソコンになろうとしているパソコンでないもの」のどちらを選ぶのだろうか。


●IAはお先真っ暗?

 では、IAはどうしようもないのかというとそうでない道がある。というか、ほかのものがIAのように使われるようになる可能性があり、これをもってIAと呼ぶならば、IAも成り立つだろうという話である。

 それは、ゲーム専用機である。ゲーム専用機は、パソコンと同じくアプリケーションを入手して、ゲームが中心だが、さまざまな使い方ができる可能性がある。たとえば、プレイステーション2でハガキ印刷とか、携帯電話のメモリ編集なんてのは、パソコン的活用だ。しかし、やはりゲーム専用機は、ゲーム専用機である。というのは、いまのところゲーム専用機には、家庭のテレビに接続するという制約条件がある。デジタル放送の普及などでテレビ自体の解像度も上がっていくかもしれないが、当面は、普通のビデオ入力端子しかないテレビとの接続が必須である。

 このため、ゲーム専用機は、グラフィック性能が上がって色数やポリゴンの描画速度が上がったとしても、解像度だけは簡単に上げることができないのだ。

 しかし、あの価格である。これをインターネットアクセスに使うというのは十分あり得る使い方だし、おそらく今年中には、メールとWebだけのユーザーがゲーム専用機を使うようになるだろう。きっと、これが今イメージされているIAを実現する形なのだと思う。わざわざ専用のハードウェアを作るのではなく、ゲーム専用機をIAとして使うだけのことだ。となると本当は、IAというカテゴリは存在しないのであって、結局は、パソコンとゲーム専用機がインターネットアクセス装置の首位の座を争うことになるのではないだろうか。

 でも、ゲーム専用機の世界は、1社独占の世界である。パソコンでMicrosoftが支配的なんて、これに比べたら、Z80とPentium 4ぐらいの差がある。ハードウェアからソフトウェアまで、すべてメーカーが管理している世界なのだ。ハードウェアにはどこもオープンなところがないし、ソフトウェアを作るにも、メーカーからライセンスをもらわねばならない。そんな製品をパソコンの代わりに使うなんてことがあなたは考えられるだろうか?

 というわけで、お先真っ暗になるのは、パソコンでもIAでもなく、使うユーザーのほうなのかもしれない。いま、パソコンが使えないオジサンを笑っている我々が、こうしたゲーム専用機でなんでも済ませる時代に、「まだパソコン使ってる」なんて笑われる時代が来るかもしれないのだ。これから生まれてくる子供が最初に触れ、のめり込むのは、パソコンよりもゲーム専用機の可能性のほうが高い。そうなると「これが当たり前」という世界がやって来るのもそう遠くないのかもしれない。そう考えると市場を取られる前にこっちで取ろうというXboxなんて、Microsoftはよく考えたなと思うが、Microsoftが力を入れるべきは、ゲーム専用機よりもパソコンなのである。

 もし、最初からメールは読み捨てという習慣があって(携帯電話なんかのメールがそうだ)、ブロードバンド接続なら画像も保存する必要がない。となると、そんなに大きな容量も必要ないかもしれない。だとすると、これから大きくなる子供たちは、ゲーム専用機でインターネットアクセスすることを、今のパソコンユーザーほど、おかしなものと感じないかもしれない。

 それに人類は、どんどんバカになっていくらしい。昔は、大学生が電車の中でマンガを読んでいると問題視されたが、いまではサラリーマンでさえ読んでいる。ゲームだって、昔は子供のものだったが、いまではいい大人がゲームの発売日に会社を休んで行列するのも珍しくはなくなった。だから、今現在から見て、「後退」と思えるようなことが広まってしまうこともありえるわけだ。

 ウワサによるとプレイステーション2用のLinuxがあるとか、ないとか。OSでさえ、ゲームソフトの感覚で必要なときにディスクを入れて使うなんてことも普通になるのかもしれない。

 携帯電話市場だって危ない。携帯電話がウォークマンみたいに音楽再生装置になる時代だし、Javaも動く。だったら、ゲームボーイに携帯電話機能があってもおかしくないわけだ。携帯電話市場はやがて、PDA市場を飲み込むかもしれないが、その後で携帯ゲームマシン市場に飲み込まれる可能性だってあるのだ。

 ほらほら、そんなところでゲームして、遊んでいるんじゃないよ。そんなに遊んでると市場取られちゃうよ。

(2001年4月1日)

[Reported by 塩田紳二]


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