第443回
日本メーカーは踊れないと誰が言った?



 『巨象も踊る』というビジネス書がある。巨大企業IBMが組織の硬直化により緩やかな死へと向かおうとしていた時期、経営者としてIBMの改革を推し進め、立て直しに成功したルイス・ガースナーが語ったIBM再建の逸話が記されている。

 この本の事を思い出したのは、昨今のHewlett-Packard(HP)の製品を見て、HPもまた大きな変革を成し遂げたのだと感じたからだ。個々の事例や置かれた立場、製品分野ごとの事情の違いはあるものの、同じく不振に喘いでいたテクノロジ業界の巨人HPもまた、今や吹っ切れたかのようにコンシューマニーズに合致した製品を連発している。

 このように書いても、日本市場だけを見ていると、なかなかその実感は沸かないかもしれない。HPの製品は、必ずしもすべてが日本市場にマッチしているわけではないし、PC市場で世界ナンバーワンのシェアを持つといっても、日本ではトップランナーではない。

 しかし、細かく製品を見ていくと、ここ数年で製品の力を着実に上げようと努力してきた結果が感じられる。あれだけの大組織が変わったのだ。日本の大手PCベンダーも変化できるのではないか。そんな気がしてくる。

 HPのやり方を、たとえばNECや富士通、東芝が真似ればいいと言いたいのではない。HPの良いところもあれば、日本メーカー各社が良い部分もある。その逆も然りだ。しかし、1つの事例として研究する余地はあるだろう。

 組織の末梢まで危機意識を持って変化を促す意志の強ささえあれば、どんな巨大な組織でも変われる。技術力や企画力は充分に持っている日本メーカーなのだから、組織としての変化できれば、もっとエンドユーザーに満足度の高い製品を届けることができるように思う。

●価格を上げずに高いレベルの仕上がり

HP mini 1000 Vivienne Tam Edition

 すでに充分にレビュー記事が行き渡っている製品だが、「HP mini 1000 Vivienne Tam Edition(ヴィヴィアン・タム エディション)」を遅ればせながら試用させていただいた。性能面はいわゆるネットブックと同等であり、改めてここで細かく言及したいと思うところはない。PCとしてのスペックは低い価格に見合う程度のものだ。

 しかし、実際に手にしてみると、丁寧に作られた製品という印象が前へと出る。キーボードの操作性は低価格製品とは思えないほどしっかりしたもので、筐体の質感もその価格からは想像できないほど高い。この低価格なミニノートよりも、ずっとキーボードの剛性が低く、キーレイアウトに納得のいかない高価格な製品はたくさんある。

 中国文化的な印象を受ける赤をベースに芍薬(しゃくやく)の花柄をあしらい、ゴールドをアクセントにしたデザインは、写真で見るよりも実際に手にした時の方が、ずっと上品に見える。このデザインも、キーボードなどの細かな仕上がりが悪ければ台無しだが、手に触れる部分の仕上がりをしっかりと磨いているからこそ、デザインも活きてくるのだろう。

 もちろん、色遣いや柄には好き嫌いがあるだろうが、質感に関しては誰もが納得するはずだ。この質感の高さは、Imprint技術で花柄を描いた天板や本体部、タッチパッドなどを仕上げ、それ以外の部分も赤い塗料で塗っているからだ。きちんと質の高い塗装を施こさなければ、この質感は出ない。

 これは実に徹底されており、キートップはもちろん、SDカードスロットのダミーカードやキーボードのベースになっているトレイなど、目立たないところまできちんと塗装されており手抜きと感じる部分がない。

 あえて難点を挙げるなら、本体以外の部分、ACコードがあまりに太く嵩張る事ぐらいだろうか。

 しかし、ここで伝えたいのは、HP mini 1000 Vivienne Tam Editionが素晴らしいから、ネットブックを買うならコレにしろ、という話ではない。1つには、ここまでの高い品位とこだわった演出を施しながら、59,850円という価格に抑えられていること。そして、通常のブラックカラーを採用するHP mini 1000から、わずか5,000円しか価格が上がっていないことだ。ただし、ディスプレイ解像度は通常版の方が高く、Vivienne Tamモデルの縦576ドットに対し、600ドットが確保されている。

 これだけ念入りに各部を塗装し、色と質感のトータルバランスを合わせ込めば、たいていの人は満足するだろう。それに、ベースモデルとなっているHP mini 1000のブラックモデルも、決して質が落ちるわけではない。高い質感やデザイン、キーボードなどの操作感も含めたユーザー体験の質全体を引き上げても、低価格化が進む中で競争力のあるプライシングができることをこの製品は示している。

 確かに、よく見れば安く作れそうな設計にはなっている。しかし、そこを工夫して細かなフィニッシュにこだわり、改善を重ねて完成度を上げるからこそ、価格も含めたトータルの体験として「これってイイね」と感じてもらえるんじゃないだろうか。

 昔とは違い、PCを買い求める顧客の中心は、2台目、3台目といったリピーターが中心だ。今後の需要を考えれば、次にもう一度、同じメーカーのPCを買ってもらうように、買ってからの満足度の高さを重視する必要がある。


●HPが変われるなら、他のメーカーも変われるはず

 あくまで個人的な印象だが、かつてHPのコンシューマ製品のイメージはどん底と言っていいほどに下がったことがある。HPの社員の口からも「Invent(発明)キャッチフレーズに掲げておきながら、これはないよなぁ」と、青いiPodを見ながらため息が漏れたほどだった。

 我々のように昔からHPを知っている人間は、HPの事を技術オタクで常に斬新なアイディアを製品に盛り込んでくる会社だと思っていた。PC分野に関しても、当初は率先して新技術を盛り込んだり、あるいはノートPC内蔵マウス(ポップアップマウス)といったアイディアを製品に盛り込んだり、米国メーカーには似つかわしくない(といっては失礼だが)モバイルに特化したノートPCを設計したりした。そうした中にはWindowsとWord、ExcelをROM化してフラッシュメモリカードにプリインストールしたモバイルPCまであった。

 ところが、その後は合併を繰り返しながら巨大化する過程で、どんどん硬直化した大企業特有の保守的な路線へと寄っていったように思う。HPは独特の文化を持つテクノロジ企業であるというプライドを持ちながらも、知らずに贅肉が増えて動きが鈍くなっていたわけだ。

 この連載の中で掲載したHPのPC部門トップであるサジーブ・チャヒール氏のインタビューにもあったように、数年前のHPは「もうHPでPCを設計する必要はないんじゃないか」という議論があったという。当然だろう。ユーザーの姿が見えず、CPUやHDDなどスペック向上に頼った凡庸なPCばかりを作っていた時期だ。デルがナンバーワンだった時期、デルの背中を追いかけてオリジナリティを失っていた。ならば、ODM調達に特化してバッジを貼ってプレミアムとするビジネスにした方が、まだマシと言われても仕方がなかった。

 それが、まるで180度変わり、スペックではなくデザインや仕上がりの良さ、キーボードなど入力系の質感などにこだわった方向へと数年間で転換し、見事にシェアナンバーワンになった。HPもまた、巨大企業でありながら、ガースナー時代のIBMと同じように踊ることができた。

●日本メーカーの足下に小さな革新がたくさんあるはず

 PCにおける技術革新は、なにもIntelの半導体工場が1世代進むことや、新しいアーキテクチャのプロセッサが完成することだけで起きるわけじゃない。

 たとえばHP製コンシューマ向けノートPCにオリジナリティの高いデザインを与えているImprintの技術は、日本の日本写真印刷が持つ「成形同時加飾転写システム」という技術だ。呼び名の通り、ボディ成形とデザインの転写、表面塗装の3つを同時に行なう技術で、携帯電話やオーディオ機器、自動車の内装パーツなど、耐久性と質感、デザインをそれぞれ高いレベルで実現しながら、コストを圧縮できるというものだ。

 アップルのiPodシリーズに日本の磨きの技術が使われているというのも、よく知られた話なのでご存知の方も多いだろう。

 本来、こうした仕上がりの美しさを引き出す加工技術は、日本が得意とするところのはずだ。日本のメーカーが、そうした加工技術を掘り起こし、製品の魅力へと転嫁することを真剣に考えないでどうするのか。日本各地にあるだろう小さな革新を集めれば、きっと新しさを感じられる製品ができる。

 日本のメーカーが作るPCもデザインに配慮したものが増えているが、天板だけの質感やカラーバリエーションばかり重視して、製品全体の質感や統一感が感じられないものが多いのは残念なことだ。技術やアイディアは、絶対にどのメーカーも持っているに違いない。

 あとはやる気だけだと思うが、こうした話をしても色好い反応をする開発や企画の担当者は、これまでいなかった。個人的には挑戦したいと思っても、会社全体の意思統一を行なうのは難しいという。おそらく企業の構造的な問題なのだろう。

 しかし、個人的には日本のメーカーは、今からでも変わるチャンスはあると考えている。巨象さえ踊ったのだ。世界有数の素材メーカーや加工業者が多数存在する日本にあるPCメーカーが踊れないはずはない。

□関連記事
【2008年12月3日】【本田】Dellに打ち勝ち、躍進を続けるHPのPC製品戦略
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/1203/mobile435.htm
【1月16日】日本HP、「HP Mini 1000 Vivienne Tam Edition」を2月2日より発売
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2009/0116/hp.htm
ネットブック/UMPCリンク集(HP)
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/link/umpc.htm#hp

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(2009年2月20日)

[Text by 本田雅一]


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