大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」

アキバの名物おやじ、本多さんが亡くなって思うこと




ぷらっとホーム会長 本多弘男氏。'98年12月19日、「BeOS Release 4 日本語版」発売時

 「本多のおやじさん」として親しまれた、ぷらっとホーム会長の本多弘男氏が、2008年6月6日、永眠した。享年64歳。

 駆け出しの頃から秋葉原を訪れては、特徴のある「だみ声」に接し、取材ネタとともにたくさんの「元気」を頂いた。

 まさに、秋葉原の名物おやじだった。


●ラジオデパート地下1階に本多通商の店舗を構える

 本多さんが'61年に創業した本多通商は、ラジオデパートの地下1階に店舗を構え、その後、店舗数を拡大しながら、中部本多通商や九州本多通商などの関連会社も設立した。

 オリジナルに開発したアップルIIの完全コンパチキットなどの、いまでいう「怪しい」ものもたくさん扱っていた。それがマニアには魅力的でしかたがなかった。

 その後、会社を閉めることになり、栄電子に入社。同社直営の店舗「ぷらっとホーム」の展開にあわせて店長に就任し、Macなどの取り扱いを開始。'93年には、ぷらっとホーム株式会社を設立し、代表取締役社長に就任した。2000年には東証マザーズに上場。2001年には同社代表取締役会長に就任した。

●Windows 95発売時に対応ソフトを山ほど揃える!

 とにかくユニークな人だった。

 取材の思い出はいくつもある。

 '95年11月23日深夜零時に発売されたWindows 95の秋葉原でも、本多さんの動きはユニークだった。

 ぷらっとホームに立ち寄ると、「見てよこれ。全部Windows 95対応ソフトだよ」と、英語版のゲームソフトやMicrosoft Officeなどがズラリ。「米国のFLY's(=米国の大手量販店)で大量に買ってきたんだよ。ファーストクラスは積み込み荷物の制限はないから、大量に機内に持ち込んだ」とサラリと語っていた。

 念のためにいくら分買ってきたのか聞いてみた。

 「1,000万円だよ、1,000万円!」

 本当かどうかはともかく、FLY'sで1,000万円もソフトを購入する日本人はそんなに例があるもんじゃない。

●Windows 2000の深夜発売にLinuxで対抗

 2000年2月18日のWindows 2000の深夜発売の時は、無理矢理店内に引っ張り込まれた。

 メイン会場となるラオックス ザ・コンピュータ館(以下ザ・コン)の前で取材をしていたら、隣に店舗を持つ本多さんが、ザ・コンの前をウロウロ。

 「なにしているんですか」と聞くと、「うちでも、Windows 2000を売るからさ、取材に来てよ」と、次々と知り合いの記者を誘っては、店内に連れ込んでいた。その誘いに乗って店に行ってみると、どうも雰囲気が違う。

 「うちでも販売する」と言っていたWindows 2000は片隅に置かれ、LinuxやOracle 8iなどを前面に並べて、「カウントダウンはこっちの製品でやるから」との言葉に唖然。店内には、当時のレッドハット社長の平野正信氏や、ターボリナックスの小島國照社長も駆けつけ、Linuxによる、Windows 2000対抗カウントダウンを敢行してみせた。

 平野氏は、「秋葉原のマクドナルドにいたら、本多さんに連れ出されて、ここに来ることになった」と語っていたから、本多のおやじのパワーは本当にすさまじい。

 この日の店内は、Windows 2000の発売の盛り上がりとは別に、午後10時過ぎから午前1時まで、とにかくごった返していた。

●ワークステーションを店頭販売?

 '89年10月に、ぷらっとホームIIを開店したときにも驚いた。

 「新しい店を出すからさ」と駆けつけてみたら、ソニーのワークステーションがズラリ。「秋葉原でワークステーションを売る時代がやってきた」と本多さん。

 「うちじゃないとできない商売」といいながら、教育機関や企業の研究室に店頭販売する体制を整えたという。

 よくよく聞いて見ると、「学生時代からうちの店に通ってくれていたお客さんが、会社に入ってから研究室に務めていて、その流れで買っていってくれるんだ」と。この言葉からも、「うちじゃないとできない商売」という言葉に納得だ。

 '98年12月19日深夜零時には、BeOSの深夜販売を行なったことも記憶に残っている。

 直前になって、「午前零時のカウントダウンのタイミングをどう計るんだ」と本多さん。じゃあ電話の時報につなごうと、電話がつながったところで「ポーン」と零時の時報。カウントダウンもなにもなく、「販売開始!」となって大笑いのなかで売り出したこともあった。

 とにかく、本多さんの先見性には驚くばかりだった。

 先に触れたように、アキバでのワークステーションの店頭販売もその1例だが、'80年代半ばには、データベース事業に乗り出そうとしていたし、インターネットのビジネスも'95年には早くも成果をあげていた。そして、UNIXやLinuxにもいち早く取り組んだ。また、BeOSなどのマニアが飛びつくOSにも積極的に取り組んできた。

 「Linuxだって、FreeBSDだって、始めた頃は、馬鹿じゃないかと周りに言われたけど、ちゃんと定着してきたでしょう。だけど、少し経つと、自分自身で飽きちゃうから、次の新しいものに手を出そうとしちゃうんだよね。いつも儲かるのは後から来た人たちばかり」。

 これが本多さんの生き方だった。

●いつも気さくな本多さんはアキバばかりを考えていた

 初めて取材にお邪魔したのは、'80年代半ばだった。

 アポイント無しでお店に入っていったら、「お茶でも飲んでいきなよ」とコーヒーを出してくれた。

 「もし記事を書くんだったら、西君とか、孫君とかに、ちゃんと秋葉原に来て様子を見なきゃ駄目だよって、書いておいてよ。彼らは、最近、秋葉原に来ていないからなぁ。秋葉原にきて、いろんなことを、みんなに教えてあげればいいんだよ」

 本多さんは、いつもアキバのことを考えていた。

 知り合いが来ると、喫茶店に誘ってお茶を飲みに行き、四方山話に花を咲かせる。そして、いろんなことを教えてくれた。それは、古くからアキバに通っている人たちに共通の認識だったろう。

 「本多のおやじさん」は、いまのパソコン産業のリーダーたちにとって、まさしく「おやじさん」であった。

 通夜および告別式は、すでに親族だけで執り行なわれたが、7月28日に「お別れの会」が行なわれる。お別れの会は、7月28日午前11時30分から。場所はパレスホテル。

 パソコン業界のおやじさんと、最後のお別れの場となる。

 もう、あの「だみ声」が聞けないと思うと寂しい。

□ぷらっとホームのホームページ
http://www.plathome.co.jp/
□ニュースリリース(PDF)
http://www.plathome.co.jp/about/ir/pdf/20080611_1.pdf
□関連記事
【1998年11月12日】Be Inc.、BeOS R4Jを発表
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/981112/beos.htm

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(2008年6月13日)

[Text by 大河原克行]


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