【やじうまPC Watch】
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発表会の会場はAT&TウィリアムズF1チームのファクトリー |
PCメーカーのLenovoは、同社がスポンサードしているF1チームのAT&TウィリアムズF1チームの本拠地において記者会見を開催し、同社がThinkStationブランドを持ってワークステーションビジネスに新規参入することを明らかにした。その記者会見にはLenovoの関係者、CPUを供給するIntelの関係者に並んで、AT&TウィリアムズF1チームの関係者も同席しており、同チームでLenovoの製品がどのように使われているかを説明していた。
なお、同チームでは往年の日本人F1ドライバー 中嶋悟氏のご子息である中嶋一貴選手のレースドライバーへの昇格を11月7日(現地時間)に発表しており、来シーズンには日本人にもよりなじみ深いチームとなるだろう。ここでは、そうしたAT&TウィリアムズF1チームにおけるITの利用環境などについて説明していきたい。
●エンジンでは差がつけられない現代F1、他チームとの差別化は車体側にシフト
現代のF1はまさにIT革命の真っ最中と言ってよい状況にある。その最大の要因は、これまでF1カーの開発で重要な位置を占めていたエンジンで差をつけにくい状況が起こっているからだ。
ここ数年、F1では経費削減の大義名分の元、エンジンの開発を制限する方向性が打ち出されている。2006年より2.4リッターのV8エンジン(排気量が2,400ccで、V型の8気筒エンジン)というエンジンの仕様となっている。さらに2007年からはエンジンの回転数が19,000回転/分に制限されており、事実上どのメーカーのエンジンであってもほとんど性能に差がない状況だ。さらに2008年からは、エンジンの制御を行なうコンピュータであるECUも、標準化されたものが採用されることが決まっており、もはやエンジンで差をつけるのは不可能と言ってよい状況だ。
余談になるが、その標準品ECUを供給するのは、マイクロソフトMESという会社で、そのことが発表された時にはITの世界でもちょっとした話題になった。もちろん“マイクロソフト”はあのマイクロソフトのことで、マイクロソフトMESという会社はマイクロソフトとF1チームマクラーレンの子会社であるマクラーレンエレクトロニクス(MESのMEはMclaren Electronicsだ)のジョイントベンチャーなのだ。なぜ話題になったかと言えば、もちろん口さがないネットの住民により「F1カーが時速300kmで走っている途中にブルースクリーンになり“ご迷惑をかけてすみません”のあのメッセージがでるに違いない……」とかすっかりブラックジョークの対象になっていたからだ。ちなみに、この標準品ECUは実際にはマクラーレンエレクトロニクスが製造することになるので、さすがに某OSで動いているわけではない、念のため。
閑話休題、要するに現代のF1ではエンジンでは差がつけられないので、結局もう1つの要素である車体(シャシー)側でいかに他チームに差をつけるかが重要になってきているのだ。
ウィリアムズF1チームは、これまで実に多数のコンストラクターズチャンピオンシップとドライバーズチャンピオンシップを獲得してきたが、ファクトリーにあるミュージアムにはその歴史を彩る歴代のF1カーが展示されている。写真はあのアイルトン・セナが最後に駆った1994年のFW16 | こちらはホンダエンジンが日本のエンジンメーカーとして初めてコンストラクターズタイトルを獲得した1986年のFW11 |
●車体の開発でクローズアップされているコンピュータによる空力シミュレーション
では車体側で差をつけるといっても、どこで差をつけるのだろうか? 以前のF1ではアクティブサスペンションのような電子制御のサスペンションなどが試された時期もあったが、現在はこれらは禁止されており、主に差をつけるポイントは空力であると考えられている。
空力面での開発というのは、車にかかるダウンフォース(空気を利用して下向きにかかるかかる力のこと)などを計算し、いかにしてコーナー(カーブ)をどれだけ高速に曲がっていくことができるかを目指すことをさしている。そのために、F1カーのボディや前後のウイングをどのような形にするか、これらをエンジニア達は日々研究している。
一般的にF1カーの空力開発は、以下のような過程で行なわれることになる。
(1)デザイナーがコンピュータのシミュレーションソフトウェアを利用して、コンピュータ上でダウンフォースのシミュレーションを行なう
(2)シミュレーションで得られたデータを元に風洞に入れるモデルを作成する
(3)風洞で期待通りのデータが得られているかを検証する
(4)風洞で得られたデータを元に補正を行ない、実際の車体やパーツを設計する
(5)作成された車体やパーツをサーキットで走らせて期待通りの性能が得られるかどうかを確認する
F1チームではこのような開発サイクルを車体に関しては1年に一度、ウイングなどのパーツに関してはそれこそレース毎に繰り返し行なっているのだ。
風洞では、こうしたスケールモデルを作り、実際に風を当てて走行状態を作り出して実験を行なう |
風洞というのは、F1カーのモデルを利用して、人工的に風を起こして走行状態を作り出せる施設で、実際に自動車メーカーでも市販車の設計などに利用されているものだ。ウィリアムズでは、実車の60%と100%の大きさのモデルを入れることができる風洞を1つずつ所有しており、それらを利用してさまざまな検証が行なえるという。しかし、風洞にモデルを入れて検証するのには多くの時間がかかるので、風洞の数はあればあるほど良いというのがこれまでのトレンドだった。しかし、風洞の建設にはものすごいコストがかかるので、闇雲に増やすという訳にもいかないのが現状なのだ。
そこで、近代のF1では(1)のコンピュータによるシミュレーションが大きな注目を集めている。コンピュータ上である程度のシミュレーションができていれば、風洞にモデルを入れてから試行錯誤する要素を減らして、風洞の稼働効率を上げることができる。実際に、いくつかのソフトウェアベンダはそうした空力シミュレーション用のソフトウェアをリリースしており、各F1チームではそうしたソフトウェアを自社用にカスタマイズして利用しているのだ。
●Lenovoがスーパーコンピュータをウィリアムズチームに供給
しかし、空力のシミュレーションには、膨大な演算能力が必要になる。むろん、我々が利用しているPCの処理能力では全く足りないので、いわゆるHPCと呼ばれる高い演算能力を備える“スーパーコンピュータ”を利用することが、F1界でもトレンドになっているのだ。以前の記事でも触れたように、フェラーリは自社内にOpteronベースのスーパーコンピュータを導入しているし、IntelがスポンサードしているBMWザウバーチームにはAlbertと呼ばれるXeonベースのスーパーコンピュータが導入されているのだ。
ウィリアムズもその例に漏れず、Lenovoからスーパーコンピュータが供給されているのだ。「え、Lenovoがスーパーコンピュータ?」と思った読者の方、それはIT業界の関係者としては非常に正しい反応だ。というのも、LenovoはIBMからPC事業(つまりノートブックPCとデスクトップPCの事業)を買収したが、サーバーやワークステーションに関してはIBMがビジネスを継続しており、ThinkStationの発表までLenovoはそうした事業には進出していなかったからだ。
だが、実際にはそれには例外があって、Lenovoの本拠地とも言える中国ではサーバービジネスが行なわれていたのだ。これはLenovoの前身であるLegend時代から行なわれていた事業で、IAサーバーなどが販売されてきたのだ。ウィリアムズに供給されているスーパーコンピュータはそうした中国向けのサーバービジネスを行なっている事業部から供給されているとのことだ。
フェラーリやBMWザウバーがそうであるように、ウイリアムズに供給されているスーパーコンピュータもIAサーバーベースのものになっているという。AT&TウィリアムズF1チーム ITマネージャのChris Taylor氏によれば「166ユニットのIAサーバーがInfiniBandで高速に接続されている形状になっている。それぞれのサーバーにはデュアルコアのXeonが2Pで搭載されており、トータルで664個のプロセッサが利用されている」とのことで、こちらもBMWザウバーと同じようにXeonベースのスーパーコンピュータとなっているとのことだ。OSはRedHat Linuxで、前述の空力シミュレーション用のソフトウェアをウィリアムズチームでカスタマイズして利用しているそうだ。Taylor氏によればこのシステムの消費電力は10万ワット、演算能力は8TFLOPSにも達するそうだ。
なお、このスーパーコンピュータは演算能力のうち99%が空力のシミュレーションに、残りの1%は衝突時衝撃のシミュレーションに利用されているという。Taylor氏によれば「演算能力が高ければ高いほど効率が高まり、空力開発に大きく役立つ」とのことで、今後も拡張を続けていくとのことだった。
●F1レースの現場で使われているThinkPadは市販のThinkPadと同じもの
ウィリアムズチームで使われるThinkStation |
AT&T ウィリアムズCOOのAlex Burns氏によれば、現在ウィリアムズのファクトリーでは140台のノートPCと300台のデスクトップPCが利用されているという。これは、エンジニアだけではなく、他にもマーケティング部門、総務などさまざまな部門でPCが利用されているという。
Burnsによれば、中でも開発エンジニアが利用するワークステーションは非常に重要な位置を占めているという。基本的にF1チームでは、ホイールやタイヤといった外部のサプライヤーから供給される一部の部品を除けば、ほとんどすべての部品をインハウス(自社)で製造している。このため、それこそネジの1本から果てはギヤボックスまで、ほとんどのパーツを自社で設計し、製造している。このため、チームのエンジニアはワークステーションでCADソフトなどを利用してパーツの設計図を作り、チームの製造部門に引き渡すことになる。
Burns氏によれば、今回発表されたThinkStationも今後はチームのエンジニアに対して配布していく予定であるという。なお、発表時の記事では触れられなかったThinkStationの詳細なスペックも明らかになったので、ここで紹介しておきたい。
【表1】ThinkStationスペック
S10 | D10 | ||
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CPU | 下表参照 | 下表参照 | |
チップセット | Intel X38 | Intel 5400A | |
メモリ | 規格 | DDR3-1066 | DDR2-667 |
メモリソケット | 4 | 8 | |
最大 | 8GB | 64GB | |
HDD | インターフェイス | SATA/SAS | SATA/SAS |
容量(SATA-7,200rpm) | 160/250/500/750GB | 160/250/500/750GB | |
容量(SAS-15,000rpm) | 73/146/300GB | 73/146/300GB | |
拡張スロット | PCIe x16(Gen2) | 2 | 2 |
PCIe x8 | 0 | 2 | |
PCIe x4(物理形状はx16) | 1 | 0 | |
PCI-X | 0 | 2 | |
PCI | 2 | 1 | |
ベイ | 3.5内蔵 | 3 | 5 |
3.5外部 | 1 | 1 | |
5外部 | 2 | 3 | |
電源容量 | 650W | 1000W |
【表2】ThinkStationのCPU
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2008年のAT&TウィリアムズF1チームのドライバーに決定した中嶋一貴選手(10月に都内で行われたLenovoのイベントで撮影) |
なお、レース時にはレースチームが30台ものThinkPad T60pを活用しているという。Burns氏は「サーキットはオフィスとは違い、PCにとって厳しい環境にある。雨が降ったり、湿度が高かったりと異なる環境にも適用しないといけない。その面で今我々が利用しているノートPCは十分合格点だ」とさりげなくThinkPadのアピールをしていた。
多分にリップサービスっぽい発言はともかくとしても、筆者として「へー」と思ったのは、このThinkPad T60pは、市販されているものと同じものがそのまま利用されているということだ。ユーザーとしては自分の利用しているものと同じものがF1で利用されていると聞くと、何となく嬉しくなってしまう。
ThinkPadユーザーであれば、日本で開発されたThinkPadに後押しされて走る、中嶋一貴選手の活躍には要注目、と言っていいのではないだろうか。
□Lenovoのホームページ(英文)
http://www.lenovo.com/us/
□関連記事
【11月7日】Lenovo、新ワークステーションブランド“ThinkStation”を発表
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2007/1107/lenovo.htm
【9月28日】【やじうま】AMDとフェラーリに見る、現代F1とIT業界の深い関係
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2007/0928/yajiuma.htm
(2007年11月9日)
[Reported by 笠原一輝]