山田祥平のRe:config.sys

記録と記憶と、時々、解像度




 コンパクトカメラでさえ1,000万画素超の画像を生成する時代である。画素数に関してはもう十分と考える論調ももっともだとは思う。でも、本当にそうなのだろうか。この数値は、10年後、20年後といった将来にわたっても、十分にリッチなままでいられるのだろうか。

●変わらなかったアナログと、すぐに変わるデジタル

 新しい技術に初めて触れたときには目が曇りがちだ。つい過大に評価してしまう。ノンフィクション作家の山根一眞氏は、フォトイメージングエキスポ2007初日の基調講演で、こんな話をしてくれた。新しいものが出ると、すぐに飛びつくタイプの山根氏は、'95年に発売されたカシオのデジタルカメラ「QV-10」を絶賛しつつ、当時、大量の写真を撮影したときのことを懐かしみながら、でも、今、手元に残った画像は記録としての価値がないと残念がる。

 なにせ、このカメラの生成する画像は320×240ドットの約8万画素、いわゆるQVGAのサイズだ。山根氏は、どうしてそれを美しいと思ったのか不思議でしょうがないと当時を振り返る。

 ご存じの通り、その後、デジカメは30万画素、100万画素、300万画素、500万画素……と、その画素数を増やしていく。今では携帯電話のデジカメでさえ300万画素が当たり前だ。画素数が増えるたびに、なんと美しくなったのかと、そのたびに感動していたと山根氏は自嘲する。基調講演は、その話を枕に、現在のデジタル画像が秘める可能性に発展していった。

 TV放送だって、'53年の放送開始以来、走査線の数は525本のままだった。つまり、たかだかVGA程度の解像度で提供され続けてきたわけだ。途中、カラーになったり、ステレオになったりしたものの基本的には50年以上そのままだった。地上波デジタル放送のおかげで、ようやくハイビジョンが一般的になろうとしているが、それとて、たかだか200万画素である。つまり、動くというだけで、解像度の点では携帯電話のデジカメ機能以下なのだ。この規格をおいそれと変えるわけにはいかないだろうから、おそらくは50年とはいわないまでも、20年以上は電波によるテレビ放送の解像度は変わらないだろう。

 一方、民生用のDVDプレーヤーは、'96年の東芝「SD-3000」が世界初とされる。PC Watchに記事があるくらいだから、かなり最近の話だ。こちらは、HD DVDやらBlu-rayやらへの置き換えが画策されているが、まだ、もうちょっと時間がかかりそうではある。

 映画はどうかというと、今もなお、エジソンが決めたといわれる幅35mmのフィルムで撮影され続けている上、シネスコやビスタサイズを実現するために、レンズを使って横方向に画像を圧縮して記録、撮影時に伸長している。その1コマのサイズは24mm×18mmだが、光学サウンドトラックを記録するために、幅はさらに狭くなってしまっている。また、デジタルシネマのための規格であるDCI仕様では、4K規格が約800万画素(4,096×2,160ドット)であり、それを映画館では巨大スクリーンに投影しているし、映像を見る限り、今の時点では特に不満を感じることはない。

●さらに向上する表示デバイスの解像度

 PCのディスプレイはどうだろう。いわゆるWUXGA(1,920×1,200ドット)だとして約230万画素であり、フルハイビジョンテレビの解像度よりちょっと高い程度だ。こうしたことを統合すると、少なくとも現状では、動画も静止画も300万画素程度あれば、モニタで楽しむ限りは、それで十分ということになる。1,000万画素超の画素数が欲しくなるのは、大きな用紙に大きくプリントするときくらいのものだが、一般のユーザーがB全版(725mm×1,030mm)を超えるようなポスターサイズのプリントをするようなことはほとんどないだろう。

 でも、表示デバイスの解像度が、今後、さらに向上する可能性だってある。今、QV-10のQVGA解像度の画像が、記録として役にたたないと思うのと同じようなことが、将来起こらないとは限らない。ぼくらに今できることは、今の技術で可能な限り冗長性を持たせて記録しておくことであり、たとえ、今は、その冗長性が無駄にすぎなくても、将来に備えることを考えるべきだと思う。

 表示デバイスの解像度は、まだまだ向上させる必要があると思う。現状では、本を読むにしても、ディスプレイで読むよりも紙の方が圧倒的に読みやすい。反射と透過という違いはあるにせよ、紙の品位に少しでも近づけるためには、解像度が高い方が有利だ。

 Windows Vistaでは、ようやくDPI値のスケーリングがまともになり、きちんと対応しているアプリケーションなら、解像度とモニタサイズに応じたスケールを選んでも、UXが破綻することはない。標準サイズに対して500%までのスケーリングができるので、仮に、3,840×2,400ドットといった解像度で、20型程度のディスプレイを使っても、目をしょぼめないでPCを使える。

 ただ、そんなことができるようになっても、XGA(1,024×768ドット)程度の解像度を決め打ちしているWebが多く、ブラウズは悲惨だ。画像と文字のサイズのバランスがガタガタに崩れてしまうからだ。ブラウザが現在のスケーリングを理解して、それに応じて画像サイズを拡大縮小して表示すればよさそうなものだが、それ以前に、これからのことを考えて、Webページをデザインするべきだと思う。デザイン的におしゃれなページであるほど、読む側の事情をまったく無視しているのは腹立たしい。そういう意味ではWPFには期待したいし、クリエイティブ分野のリーダー的存在であるアドビにもがんばってほしい。携帯電話でも、ノートPCでも、超高解像度のデスクトップモニタでも、とにかくどんなデバイスでもきちんと読めて楽しめるWebは、きっと作れるはずなのだ。

●数十年後にがっかりしないために

 テクノロジーの進化はドッグイヤーであり、そのテンポは著しく速い。だからこそ、あきれるほどに先のことを想像し、想定していなければ、技術はともかく、その技術を使って生成したデータはすぐに陳腐化してしまう。動画や静止画に関しては特にそれがいえる。テキストデータは、たとえそれが20年前のものであったとしても、当時はギザギザの目立つ24ドット漢字ROM内蔵のドットインパクトプリンタはで出力するしかなかったものが、後年、300dpiのレーザープリンタで出力できるようになり、今は、それをはるかに超える解像度での出力が可能になっている。もちろん、画面にも美しく出力できる。つまり、テキストデータは陳腐化しない。でも、イメージデータはそうじゃない。テキストデータが文字そのものと1対1で対応するコードであるのに対して、イメージデータは光の痕跡を写し取ったピクセルの集合にすぎないからだ。

 一般的なTVモニタの解像度が、PCで使われるモニタの解像度に追いついてしまいつつある今、PCはTVにつながることもあるだろうし、さらに高い解像度のモニタにつながる可能性もある。10フィートユーザーインターフェイスの解がWindows Media Centerだけであろうはずもなく、携帯電話を含むディスプレイサイズと解像度の多様化は、これからさらに進むだろう。

 50年前に撮影した現像済みのネガフィルムを、今、プリントすれば、まるで昨日撮影したような質感が得られる。果たして、ぼくらは、数十年先の未来に、同じような感動を得られるのだろうか。デジタルだからといって、それをあきらめてはならない。

カシオ「QV-10」製品情報
http://www.casio.co.jp/release/old/qv_10.html
東芝「SD-3000」製品情報
http://kagakukan.toshiba.co.jp/history/1goki/1996dvd/index.html
□関連記事
【'96年9月26日】東芝、DVD関連製品を発表
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/960926/tsbdvd.htm

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(2007年3月23日)

[Reported by 山田祥平]


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