山田祥平のRe:config.sys【特別編】

かけはなれた理論値
~IDF Fall 2006 雑感




 理論値という言葉が、どうも現実とかけはなれすぎているように思えてならない。理論的にはそんなに待たされるはずがないのに、実際にやってみると待たされる。コンピュータを使っていて、打てば響くように、サクサクと処理が進んでくれれば、気持ちがいいが、実際の運用ではそうはいかない。

●プロセッサは十分に速い

 普段、ぼくが、作業用に使っているデスクトップPCは、プロセッサにPrescott(Pentium 4 3.8GHz)と2GBのメモリを積み、チップセットはIntel 945G Expressを使っている。HDDはシリアルATAのものを2台積んでいる。まあ、ごくありふれた環境だと思う。

 この環境で、録画した1時間のTV番組、約1.5GBのMPEGファイルを同じディスク内でコピーすると1分30秒強かかる。約17MB/secといったところだろうか。

 これが、2台のディスク間だと、ちょっと速くなって、半分にはならないにしても、53秒ですむ。数値としては28MB/secだ。Gigabit Ethernetのネットワーク経由で、別のPCからのコピーでも、57秒で、ローカルディスク同士とほぼ同等だ。

 シリアルATAの転送速度の理論値は300MB/secなので、10%程度のスピードしか出ていないことになるが、Gigabit Ethernetの理論値に対しては30%程度を確保できている。

 これがノートPCになるともっと遅くなる。今は、出張で米国に滞在中で、部屋でのメイン環境はThinkPad T60だ。ここで同じように1.5GBのMPEGファイルを、同じディスク内でコピーすると2分20秒。約11MB/secで、デスクトップPCの約半分になってしまう。USB2.0にいたっては、480Mbpsが理論値だが、とてもそんなには出ないのは計測しなくてもわかる。

 ごく普通にPCを使っていて、いつも待たされているなと感じるのは、こうしてヘビーにディスクを読み書きするときだ。

 その一方で、プロセッサは、そんなに遅いと思ったことはない。デスクトップ、ノートPCともに、常に、それなりに贅沢なプロセッサを常用していることもあるのだろうけれど、大きな不満を感じることはない。もちろん、プロセッサにも待たされることはあるけれど、それは、たいてい、秒単位であり、分単位で待たされるのは、大きな動画ファイルの再エンコード時くらいだ。そんなに頻繁に行なう作業でもないし、待たされたとしても、時間がかかるのはしょうがないと納得してしまえるのが不思議だ。

●インタラクティブな処理で待てる限界

 望みとしては、今のディスクの読み書きのスピードは、実速度であと1桁向上してほしいところだ。つまり、1GBの転送なら、少なくとも10秒以内で終わってほしい。そのくらいの速度が出れば、PCの使い方というのは、ドラスティックに変わるんじゃないだろうか。

 ノートPCを持って外出する際に、電車の中で見るTVドラマを2時間分コピーするのに30秒。デジカメで撮影した4GB分の画像ファイルの転送に40秒など、これくらいのスループットが出れば多くの作業が1分以内に終了する。

 カップ麺にお湯を満たし、できあがりを待つのに3分間かかる。個人差はあるだろうけれど、ぼくは、けっこう待たされている印象を持つ。一部のカップ麺は5分間待つ必要があるし、電子レンジでチンすればいい食材に関しても、5分のオーダーというのは少なくないが、けっこう待たされている感じがする。コンビニで強力な電子レンジで弁当を温めてもらって、その速度がうらやましく感じることがあるが、何か1つのことをしてもらうのに、3~5分を待つというのは限度に近いんじゃないだろうか。

 つまり、一般的なユーザーが扱うデータのサイズが肥大化する一方なのに、転送速度がそれにちっとも追いついていないということだ。たかだか数百MBのファイルを扱えればよかった時代なら、特に不満を感じることもなかったろう。でも、今や、GBクラスのファイルを複数扱うことは日常茶飯事になってしまったのに、PCは、そういう時代にちっとも適応できていないように思う。たかだか、コンパクトデジタルカメラの生成する画像でさえ、1,000万画素超の時代なのにだ。

●プラットフォームの底上げがPCのスタイルを変える

 MPEGやJPEG、そして、各種の音楽用CODECのおかげで、本当ならもっと巨大なファイルを扱わなければならないところを、比較的コンパクトなデータサイズですんでいる。これらのデータをリアルタイムでデコードして目の前で再生できるのは、プロセッサの速度の向上によるものだ。プロセッサの処理性能は、向上する一方だが、にもかかわらず、それでもまだ足りないと、研究開発が進められている。

 今回、IDFに出席して思ったのは、Intelが、プロセッサのベンダーにとどまらず、プラットフォームを提供することを目指すのなら、今一度、統合環境としてのPCを再考してほしいということだった。PCの処理能力を決めるのは、決してプロセッサだけではないことを、彼らは、十分に理解していることはわかっているし、だからこそ、さまざまな標準規格の策定において、イニシアティブをとろうとしている。けれども、プロセッサの処理能力の向上に対するこだわりと、それを現実のものにするエネルギーに対して、PC全体の性能向上への執着は、今1つ希薄だ。現状を見ていると、今1つ、他人事の域を出ていないのではないかとさえ思えてくる。

 ちなみに、プロセッサにとって、メモリは仕事が遅すぎて、足をひっぱるやっかいものだ。だからこそ、キャッシュをたくさん積んで、さらには、複数のコアでキャッシュを共有するなど、とにかくメモリに待たされないようにするための工夫がなされている。でも、HDDの転送速度は、その足手まといのメモリにさえ、足下にも及ばない。実にアンバランスな状態が続いている。シリアルATAなどの仕様拡張が続いたとしても、理想、いや、現実にはほど遠い時代は、まだしばらく続くだろう。これは、ネットワークのスループットも似たようなものだ。そして、そうこういっているうちに、ハイ・ディフィニション時代の到来だ。ぼくらが扱うデータサイズのオーダーは、今の数倍になる。残念ながら、望みがかなう日は遠そうだ。

 いつでもどこでも20Mbps程度で安定した帯域幅のインターネット接続が可能になれば、コピーなどしなくても、再生程度は可能になるかもしれない。すべての問題が解決するわけではないが、そういう解もある。

 PCは、パーソナルなコンピュータを現実のものにしたけれど、パーソナルなメディアになりきれてはいない。世の中には、ぼくを含めて、手放せないほど便利で楽しいものだとPCを認識している人は数多くいるだろうけれど、本当の意味で満足している人は、ほとんどいないのではないか。それは、これからのPCに大きな期待を抱いているということでもある。願っていれば、イノベーションは必ず起こる。大事なことは、ニーズをしっかり主張することだ。

 さして、大きな発表もなく、淡々と現況を羅列したように感じた今回のIDFは、看板の裏にこうあったように見えた。

  “To be continued... 来春につづく”

と。

□関連記事
【9月28日】【IDF】オッテリーニCEO基調講演レポート
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0928/idf03.htm

バックナンバー

(2006年9月29日)

[Reported by 山田祥平]


【PC Watchホームページ】


PC Watch編集部 pc-watch-info@impress.co.jp ご質問に対して、個別にご回答はいたしません

Copyright (c) 2006 Impress Watch Corporation, an Impress Group company. All rights reserved.