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NEC次期社長に矢野薫氏が昇格
~PC事業はキーコンポーネント

代表取締役会長の佐々木元氏(右)と握手する次期社長の矢野薫氏


 日本電気株式会社(NEC)は15日、4月1日付けで、代表取締役 執行役員社長の金杉明信氏が取締役副会長に就任し、代表取締役 執行役員副社長の矢野薫氏が、代表取締役執行役員社長に就任する社長人事を発表した。

 金杉社長の退任理由は、体調不良によるもの。

 代表取締役会長の佐々木元氏によると、「3月初めに、金杉社長から体調が不良であり、これ以上社長の業務は困難であるとの申し出があった。私としては、4月からの新年度において、金杉社長のもと全社一丸となって、構造改革の推進、成長戦略のスタートを切れると考えていたが、体調を考えると辞任は仕方がないと判断した。金杉社長と協議した結果、完全に一致した意見として、次の社長に矢野氏を選出した」と語った。

 また、新社長に就任する矢野薫副社長も、金杉社長からの社長就任要請の様子について触れ、「3月初めに、金杉社長に突然呼ばれ、病院に入院せざるを得ない状況になったと聞かされ、そこで社長就任を要請された。非常に驚き、しばらくして、これは夢ではなく現実なのだと認識した。当社にとってはまさに緊急の事態であること、また、副社長の業務担当事項のなかに、社長に事故ある時はその代理をなす、とあり、筆頭副社長としては受けざるを得ない状況だった。社内で決定すれば、社長を引き受けるとその場で答えた」と語った。

矢野薫 次期社長

 矢野次期社長は、'44年2月、神奈川県出身。'66年に東京大学工学部電子工学科卒業後、同年4月にNECに入社。'85年にNEC AMERICA Inc.に出向後、'90年に伝送通信事業部長、'94年に伝送事業本部長。'95年には取締役支配人に就任した。

 '98年には、NEC USA Inc. Presidentに就任、'99年に常務取締役、2000年取締役常務、2002年取締役常務兼NECネットワークスカンパニー社長に就任。同年10月取締役専務を経て、2004年に代表取締役副社長に就任、2005年に役職表記変更で現職に至る。

 '75年には、社内の留学制度を利用して、米スタンフォード大学電気工学科修士課程を卒業している。

 佐々木会長は、矢野氏を次期社長に推した理由として、「長年に渡る通信分野での経験を持つとともに、米国の大学院を卒業した経験や北米の通信ソリューション事業を担当し、そこで社長を務めるなど、三度に渡る国際経験がある。また、ITバブル崩壊後の通信事業の再編で手腕を発揮するなど、技術、マーケット、経営の全般に渡って幅広い見識がある。次世代ネットワーク(NGN)元年といわれるなかで、NECの成長戦略に最もふさわしい人物であるため」とした。

 矢野次期社長は、「私はさまざまな経験をしてきたが、自分を表すのは3つのキーワード」として、「研究・開発」、「ネットワーク」、「海外経験」をあげた。

 「'66年にNECに入社して前半の20年間は、ネットワーク装置の研究開発に携わり、その後の20年間は、経営的なポジションを担ったが、そのうち3分の1が北米。過去3年間はNEC全社の経営に当たりながら、中央研究所などのR&Dを担当した。R&D担当としては、技術者に対して、『NECは驚きと感動を与えることができるものを開発できているのか、嘘でもいいから1,000億円の事業になるようなものを開発してみろ』、と言い続けてきた。そのマインドセットが浸透してきたところだった。これをNEC全体の事業のドライビングフォースとしていきたい。NECの成功につながる起爆剤はテクノロジーとイノベーションである」として、技術をベースとした成長路線を描く姿勢を見せた。

 また、「社員全員が主人公であり、一人称で語れる体質を作りたい。とくに若い人のエネルギーを引き出す経営をしたい。私は、日々新たにという言葉が好きで、それを実践していきたい」とした。

 突然の社長登板ということもあり、具体的な事業方針や新たな方向性の提示といった点への言及はなかったが、「カンパニー制度を廃止し、ITとネットワークを融合した統合ソリューションへの転換を図ったのは、金杉社長の決断であるが、私も副社長として補佐した責任があり、その大きな方向性は変わらない。また、モバイルターミナル事業と半導体事業が課題事業であるという認識も変わらない。まずはこの2つの事業の黒字化が先決で、それとともに、ITネットワークソリューション事業の利益率の向上にも取り組みたい。モバイルターミナル事業は半年で成果を出すという金杉社長の方針もそのまま継続する。また、SIサービス事業の利益率は8%であるが、これを早く10%にしたい。さらに海外事業の比率を現在の27%から30%に引き上げ、将来的には40%にまで高めたい」とした。

 一方、PC事業に関しては、「ITネットワークの統合ソリューションのなかではキーコンポーネントであり、ユーザーがヒューマンインターフェイスとして接するのがPCである。NECのブランドを浸透させる役割、また、使いやすさを提案するものとしてなくてはならないもの。事業を継続していくのが基本姿勢。ただし、マージンを確保するのが厳しい事業であり、間断なき経営革新をやっていく必要がある。日々新たな革新を進めることが必要だ」とした。

●矢野体制は攻めの経営に

 矢野次期社長体制では、基本路線は、金杉社長の敷いた方針を踏襲することになる。

 だが、「今年はNGN元年であり、大きな転換点にある。この分野は、金杉社長よりも私の方が強みを持っているところでもあり、新しい視点、新しい方針が打ち出せる。時代の変化や市場の変化にあわせて俊敏に変えるべき部分と、変えてはいけない部分とを見極めていく」とするなど、ソリューション出身である金杉社長との違いを訴えて見せた。

 NECは、中興の祖といわれる小林宏治氏、PC事業の成長期に社長を務めた関本忠弘氏、その後を務めた金子尚志氏と歴代の社長が東京大学出身およびNECに入社後は通信系の出身者ばかりであった。西垣浩司氏になって、初めてソリューション(情報処理)系からの社長就任となったが、東大卒の学歴はそのまま。そうした意味では、ソリューション系出身で、慶應義塾大学卒業の金杉明信氏の社長就任は異例ともいえた。

 次期社長の矢野氏は、東大卒であり、また、通信系の出身であることから、かつてのNECの王道的な社長人事に戻ったとの見方もできる。また、関本氏が研究所を担当していたこと、金子氏が米国法人の社長を経験していたことも、今回の矢野次期社長の経歴とダブって見ることができる。

 だが、矢野氏はそうした見方を否定する。会見でも「かつては、ネットワークとITがバラバラだったが、いまやITとネットワークが融合し、お客は1人である。それなのにカンパニーが分かれているのはおかしい、としてカンパニー制を廃止した。また、通信事業者向けのビジネスも変化しており、交換機のビジネスではなく、ITソリューションのビシネスが増加している。NTTドコモのiモードのシステムは当社とNTTデータが協力して開発したが、最高性能のサーバーを400台も接続して、5億ページビューの処理をこなしている。こうした通信事業者向けのソリューションビジネスの比率を引き上げたい。昔のようなネットワークの経験者だから、というような見方が適しているとは言い難い」と語る。

 社内では、矢野氏を「剛腕」と評する声もある。小柄な体型とは裏腹に、経営に対する強気の姿勢は社内外から評価されている。

 その一面は会見でも表れた。

 「米国法人の社長時代には、いまのNECの構造改革の先鞭をつけたと自負している」と前置きし、「工場の売却を最初にやったのは、私が米国の工場を売却したのが最初であり、同様に自社ビルの証券化も米国でやったこと。また、M&Aに関しても何件がやっており、NECの経営手法の1つのモデルを作った」と胸を張る。

 ただし、「現在、NEC全体を見回しても、構造改革という観点で大きな対象はないといえ、その点ではカタがついたといえる」とも語る。

 そして、矢野次期社長は、「攻め」という言葉を何度も使った。

 「攻めの経営」、「攻めのM&A」というように、まさに矢野次期社長の性格がそのまま反映される路線へとシフトすることになる。

 矢野新社長体制下での攻めの成長戦略が楽しみといえよう。

□NECのホームページ
http://www.nec.co.jp/
□ニュースリリース
http://www.nec.co.jp/press/ja/0603/1502.html

(2006年3月15日)

[Reported by 大河原克行]

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