■笠原一輝のユビキタス情報局■iPodショックから日本企業は何を学ぶのか |
前回筆者は、今の日本のコピーワンス方式は容認できないと書いた。なぜなら利便性や自由度を損なうという、ユーザー側の論理だけでなく、日本の産業界にとっても、そして結果的にはそれを強いている放送業界の側にとっても有害なモノであると思うからだ。
実は、こうした認識は筆者だけでなく、機器ベンダ関係者の多くが同じような認識を持っている。そこで、今回は、なぜ産業界にとっても、放送業界にとっても有害なものであるのか、について筆者が思うところを述べていきたいと思う。
最初にコピーワンスのあらましについて復習しておく必要があるだろう。コピーワンスとは、日本で発売するデジタル放送の受信機器に義務付けられている仕組みで、デジタル放送のストリーム受信時、ローカルのストレージに残す場合は、ほかの機器やストレージなどにコピーできないようにする仕組みだ。これは放送業界と機器ベンダから構成されているARIB(アライブ、社団法人 電波産業会、放送機器の仕様を策定する総務省の指定団体)において規定されている。
実際には、放送機器側にDTCP(Digital Contents Control Protocol)と呼ばれる著作権保護の仕組みが採用され、放送局側がたてるフラグによって動作が異なる。フラグにはコピーフリー(コピー可能)、コピーワンス(機器のローカルストレージに一度だけ保存が可能)、コピーネバー(ローカルへの保存も不可能)などの動作がある。日本のデジタル放送では、ほとんどの放送がコピーワンスのフラグが立てられており、事実上“コピーワンス”という著作権管理方法を採用していると言っていいだろう。
放送機器側はB-CASカードと呼ばれるICカードを利用して、スクランブルの解除を行なう仕様になっており、ARIBの仕様を満たさない限りはこのB-CASカードをバンドルして販売できないため、各機器ベンダが発売しているデジタル放送受信機器は、必ずこの仕様を満たしている。
●コンテンツホルダーを兼ねる日本のTV局
より機器を複雑にし、かつユーザーに何のメリットの無いコピーワンスの仕組みを機器ベンダ側が喜んで採用することは考えられない。コピーワンスの実装は、基本的に放送業界の側のニーズによるものと考えるのが自然だろう。
それでは、なぜ放送業界はこの仕組みを求めているのだろうか? その答えは、社団法人 地上デジタル放送推進協会のWebサイトにあるQ&Aが参考になるだろう。これを読めば、違法コピーされたコンテンツの流通を問題視していることがわかる。
放送業界にとって、このことは非常に危険なことだ。というのも、日本のTV局は、単なるTV局ではない。日本の放送局は自前でドラマなどのコンテンツを作成し、それを放送している。つまり、コンテンツホルダーを兼ねているのだ。しかも、コンテンツホルダーとして、日本で最大の存在がこのTV局であるということは指摘しておく必要があるだろう。この点、ハリウッドという別のコンテンツホルダーを抱えている米国とはだいぶ状況が異なっている。
TV局は、放送した後にも、CS放送で再放送したり、セルビデオとして販売し、利益を上げている。だから、TV局がそうした違法流通を恐れてコピーワンスの仕組みを強制するのは、彼らの側からすれば当然の理屈なのだろう。
●一部の不心得もののために
だが、ユーザーの視点から見れば、それは実におかしな話しだ。というのも、大多数のユーザーは、インターネットに録画したファイルを流したりするようなユーザーではないからだ。確かに、一部の不心得ものの中にはそういうユーザーもいるだろう。だが、そうした一部のユーザーのために残る大多数のユーザーが不便を強いられるというのは、受け入れられるものではない。
一般社会にたとえて考えてみよう。たとえば、包丁は料理をする上で必要不可欠なものだ。だが、使い方を間違えれば、人を殺めることも不可能ではない。だからといって、一部の不心得もののために包丁を売るも禁止、人々は包丁を使ってはいけないというお達しがでたら、どうだろうか? 苦情が殺到して、あっという間に取り消されることになるだろう。
だから、一般社会では、包丁を飛行機に持ち込んではいけない、あるいは人を刺してはいけないというルールを作り、そのルールを破った人を取り締まる仕組みを採用している。
このコピーワンスの仕組みも、言ってみれば、この包丁の例と同じことだ。デジタルコンテンツは確かにコピーが容易で、悪用される可能性がある。しかし、その一部の不心得者のために、コピーが禁止となり、ユーザーの利便性を損なっている。やはりこれはおかしいのではないだろうか。本来であれば、コンテンツを持っている側や国家権力などが、その不心得者を取り締まるべきであり、それができないからといって、その責任をユーザーに対して押しつけるべきではない。
●日本メーカーが足踏みしている間にアップルにさらわれてしまった“iPodショック”
もっとも、それはユーザー側の視点であり、確かにコンテンツを所有しているTV局側からすれば、ほかに有効な手段が無いのだから仕方が無いじゃないか、という反論がでてくるだろう。
そこで、冒頭のテーマに戻るのだが、筆者としては、この仕組みを導入することが、結果的に機器ベンダのためにも、放送業界のためにもならないからやめた方がよい、と考えている。実は、この認識は筆者だけが持っているものではない。ここ1、2年機器ベンダの関係者と話す機会を多く持ったが、多くの関係者が同じ認識を持っている。
それは、オーディオで起こったことが再び映像機器の世界で起きないのかという不安だ。オーディオで起こったこと、それが“iPodショック”だ。
以前であれば、ポータブルプレーヤーの代名詞は、“ウォークマン”だった。言わずとしれたソニーのブランドだ。それが、去年から今年にかけて急速に“iPod”に変わりつつある。ソニーがネットワークウォークマンという“ウォークマン”の後継を出しているのにである。
なぜ、ネットワークウォークマンが受け入れられなかったのか、それはソニーの幹部が認めているとおり、サポートするコーデックの著作権保護(DRM)を厳しくしすぎたため、ユーザーにそっぽを向かれたからだ。
しかし、そんなことになる前に、もっと緩やかな著作権保護を採用するなどの選択肢はなかったのだろうか? おそらく、ソニーの関係者も心の中では「こんなモノだめだ」と思っていたのだと、筆者は思う。実際、筆者もある機器ベンダの社員に「こんなのじゃ受け入れられないと思いますよ」と何度も言ってきた。そうした時に、機器ベンダの関係者から帰ってきた答えは「それはよくわかっている、でも駄目なんです」というものだった。
駄目だとわかっているのに、できなかったのだ。なぜかと言えば、レーベル側が強行に駄目だと言い続けてきたからだ。
その結果起こったことは機器ベンダにとってもレーベルにとっても不幸なものだった。日本の機器ベンダは、日本のユーザーにそっぽを向かれ、米国のベンダに市場を持って行かれてしまった。そして、日本のレーベルはどうなったか? “CCCD”という悪あがきをして、その結果さらに売り上げを落とし、結局やめざるを得ない状況に追い込まれた。
日本の機器ベンダとレーベルにとっての悪循環に陥ってしまった、これがオーディオの世界で起きたことだ。
●放送でも音楽と同じような悪循環になっていく可能性
同じことは、映像の世界では起こらないのだろうか? 日本の機器ベンダが日本独自の事情に振り回されているうちに、海外のベンダがどんどん魅力的な製品を作り、それを海外でどんどん投入されたら、どうなるか。今後、デルなどのIT系企業がデジタルAVに参入してきた時に、高コストの日本企業は太刀打ちできなくなる可能性がある。日本向け製品と海外向け製品で別の製品を作らされることになれば、それだけ日本の機器ベンダの競争力が低下していくからだ。
特にデジタルの時代では水平分業が可能なだけに、正しいビジネスモデルの構築とマーケティングができる企業であれば、CPUはIntelから、メディアプロセッサはATIから、HDDはMaxtorから……と部材を購入して独自のHDDレコーダを作り上げてしまうことだって難しくない。日本のユーザーは品質などに価値を認めてくれるが、海外のユーザーはそうとは限らないのだ。PCを見ればわかるように、日本以外の市場でのトッププライオリティは“価格”だ。
そうこうしている間に、将来、海外の機器ベンダが市場を伸ばし、日本に参入できない理由が日本独自のB-CASカードだと気がついた外国政府が、WTOなどに“非関税障壁”だと訴え、結果的にやめざるをえない状況に追い込まれる……。しかもその頃には、コピーワンスのプロテクトは破られ、違法なコピーが出回っていく……結局、無理な規制しようとするから、それを破ろうとする人がでてくる、それはすでに歴史が証明している。
その結果、日本企業は広告に回せる費用が無くなり、広告を出すことが難しくなる。そうなれば、広告収入に頼っている放送業界にとってもかなり痛い状況になるのではないだろうか。これは言ってみれば“最悪のケース”だが、このまま突き進めば、こうなるのは目に見えているのではないだろうか。
●分水嶺にたつ日本のデジタル産業、どのように放送業界を説得していくか
現在、ハリウッドの日の出の勢いに、ビデオデッキやDVDなどのセルビデオがかなり貢献していることは疑いの余地がないところだろう。だが、よく知られているように、ハリウッドは当初ビデオデッキの登場に反対し、ソニーと裁判までしている。この時、ソニーはこの裁判を戦い、結局勝訴した。
コピーワンスの問題も、この問題と非常に酷似した状況と思われる。仮に、あのときソニーが戦わなかったら、今頃未だに映画館に行かないと映画が見られない状況は続いていたかもしれない(つまり社会としての発展は無かった)。その結果、ハリウッドも今の規模になっていなかった可能性だってあるだろう。そう思えば、あの当時のソニーの幹部の判断は、賞賛されてしかるべきだ。
では、現代はどうなのか。機器ベンダの経営者は、今まさにそれを問われているのではないだろうか。iPodショックから何かを学びとるのか、それとも映像機器でも同じ過ちを繰り返すのか……我々は今まさにその分水嶺に立っているのだ。
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(2005年3月1日)
[Reported by 笠原一輝]