第212回
ウェアラブルPC、PDA、視覚障害者向けアプリケーションに
共通するキーテクノロジ



 今年で25回目を迎えた鈴鹿サーキット主催の「2003“コカ・コーラ”8時間耐久ロードレース」(8耐)で、インテル、日本ヒューレット・パッカード、マイクロソフトの3社が、映像ストリーム配信、レース情報配信をサポートした。また鈴鹿サーキットは今年の8耐に合わせて無線LANのアクセスポイントを、東コースの観客スタンド周辺およびプレスセンター、ピットなどで使えるように整備されている。

 ここでは、8耐におけるモバイルコンピューティング、ウェアラブルコンピューティングに関連する話題をお伝えする。

●無線LANとインターネット技術が生む新しい観戦スタイル

 鈴鹿サーキットに赴いたことがある読者ならご存じだろうが、鈴鹿のコースは東コース、西コースに分かれ、このうちメインスタンドのある東コースは小さな丘の合間を縫うように配されており、これに観戦スタンドが組み合わさって(大まかに見ると)すり鉢状の地形となっている。

 鈴鹿サーキットはこのすり鉢状のエリアで無線LANが利用できるよう、25台のIEEE 802.11bアクセスポイントが設置されている。関係者によると、メルコの協力によりアンテナの最適配置を検討、広いエリアをカバーすることができた。使用されているアンテナは、一般に市販されているものと全く同じだという。屋外設置のためアクセスポイント本体に雨水が入らないようにする工夫をしている以外は、特別なことはしていない。

 とはいえ、アンテナ配置の効率が良かったのか、東コースのあらゆる部分で無線LANがつながる状況にあった。メインスタンド、プレスセンター、パドック、1~2コーナーのスタンド周辺での利用を確認できたほか、ダンロップブリッジ近辺に陣取った友人からも、無線LANが利用できたという報告を受けている。

 その友人は、1~2コーナーにいた友人とインスタントメッセージングで雑談したり、撮影したデジカメ画像を交換したりしながら、鈴鹿8耐の観戦を楽しんでいたそうだ。僕が主に利用していたプレスセンターの無線LANは、ユーザーが多いためか、それほど高速ではなかったが、別の観戦スタンドからのアクセスであれば、自宅にあるブロードバンド環境と変わらない快適さだったことを報告しておこう。

 さらに映像ストリーム配信に接続できればラッキーだったのだが、こちらは来年に向けて課題もある。映像ストリーム配信には同時接続ユーザー数の制限がかけられており、また世界中からのアクセスが1つのサーバーに集中することもあって、つながりにくい状況にあった。

 この問題はサーバー処理容量のアップや中継サーバーの設置などで、今後解決することが可能だろうが、一番の問題はせっかく鈴鹿まで足を運んだ観客が、映像ストリームを楽しめなかったことである。このサービスには、複数カメラを切り替えて表示可能なスイッチング映像を流す機能があった。つまり、ある観戦スタンドでレースを定点観測しながら、別の場所からの映像も同時に捉えることが可能なわけだ。場内の実況放送で「ヘアピンで転倒!」と聞こえたら、自分でヘアピンの映像へと切り替えられる。

 サーキットに足を運んだことのあるモータースポーツファンなら、これがどれだけレース観戦の楽しみを向上させてくれるか理解できるだろう。ワイヤレス技術とPC、PDAを用いた柔軟なシステムだからこその、新しい観戦スタイルを感じさせる。

 来年は観客向けとインターネット向けでサーバーや回線を分け、より多くの来場者が楽しめるようにしてほしいものだ。とはいえ、その可能性はかいま見ることができたと言えるのではないだろうか。

●ピットクルー向けウェアラブルPC。その成果は?

チームつかもとメンバーと決勝日に協力してもらっていた仮面ライダー555チームのキャンギャルたち

 一方、ピットに目を向けると、“日本でウェアラブルPCと言えばこの人”の大阪大学大学院助教授の塚本昌彦氏が、鈴鹿8耐に参加するチームをサポートする“チームつかもと”を結成。小型ノートPCと島津製作所製ヘッドマウントディスプレイ(HMD)、USBコントローラを組み合わせ、腰の位置にPCを取り付けるホルダーを組み合わせた、お手製のウェアラブルPCをチーム監督やピットクルーに装着してもらい、レース戦略を練るために必要な情報をHMDから得られるようにしたシステムを実験運用していた。

 ピットや運営サイドから得られる情報を、いったんサーバー上のデータベースにストア。必要な情報へと加工した上で、XMLデータをアウトプット、取得したXMLデータをウェアラブルPCでピットクルーが見やすい形で表示するという仕組み。表示のタイミングで、常にクライアント側がサーバー上のデータ更新をチェックするようになっており、ほぼリアルタイムの情報更新を行なえるという。

 ウェアラブルPCに利用されていたのはLet'snote R1、バイオU、バイオC1といったミニノートたち。当然、バッテリ持続時間や重量面では不利で、装着性の面でも、専用のウェアラブルPCには敵わない。しかしチームつかもとの橋本昌隆氏によると、たとえばWindows CEベースの日立製ウェアラブルPCなどでは、表示パフォーマンスが低く思ったようなアプリケーションを作ることができないという。

PCはこのようにお手製のホルダーで腰に取り付けていた 経過時間による推移や注目チーム、トップなどのタイム情報を視覚的に表示 タイム情報とともに、コース上に出されているフラッグなどのサイン情報、気象情報などをまとめた画面。下部のメッセージエリアには、監督などがメッセージを送るためのもの

 さらにWindowsの方が、クライアントアプリケーションを書くためのフレームワークが充実しており、試行錯誤を繰り返しながら進化させていく上で、Windowsをプラットフォームにする方が効率がいいという判断もあったようだ。

 しかし、実際に8耐のチームに使ってもらうと、長いレースの中で様々な不都合も出てきたという。

 「実際にやってみると、これがなかなか大変。ピットの中を忙しく動き回るため、PCがホルダーからはずれてしまうといったトラブルもありました。結局、ベルトにガムテープでグルグル巻きにしたり……。また、真夏のピットはめちゃくちゃに暑いですが、HMDはそこまで過酷な暑さの中での装着性を考慮した設計になっていません。この点も、今後の課題となるでしょう。鈴鹿サーキット側から無線でもらうラップデータの受信トラブルなどもありました」とは塚本氏。実際の現場に参加したことによって、初めてわかった問題を整理し、今後の研究に活かしていくという。

 また現在、汎用のWindows PCを使っているが、将来的にはウェアラブルPCに適したハードウェアが必要になってくるだろう。これについても「将来的には、現在よりも小さく装着性の高いフォームファクタを開発したいとは思う。しかしソフトウェア開発も含めた効率を考えると、現時点でWindowsマシンの方がいい。その一方で、ウェアラブルなデバイスを開発しやすい“ユビキタスプロセッサ”とその上で動くシンプルなOS、ミドルウェア、開発フレームワークなどの開発も並行して行なっています。これらを協力企業などに呼びかけて、現実のモノにしていきたい」と塚本氏は語る。

 さらにもうひとつの課題もある。より良いアプリケーションの開発だ。塚本氏は「実際に耐久レースに使ってみると、あらかじめ取材し、ピットクルーや監督から必要だと言われた情報だけでは十分でないことがわかってきた。僕らが現場を経験することで、情報の活用手段や機能についてもアイディアが沸いてくる」というように、より実践的なアプリケーションの枠組みが、今後の課題となってくるだろう。

 こうしたシステムへの注目度は高いのか、国内の他チームはもちろん、フランスから参戦しているチームなどからも「どんな情報が見えるのだ?」とやってきていたそうだ。この「どんな情報が見えるのだ?」という質問の部分に、ウェアラブルPCを筆頭とする小型デバイスに必要とされる機能が見える。

 チームつかもとが利用していたHMDはSVGAの解像度を持ち、明るいところでも結構よく見えるのだが、解像度の問題もさることながら、細かな文字の読みやすさといった面では多少疑問も感じた。現状のSVGAレベルならば問題はないだろうが、これがさらに多くの情報を表示しなければならなくなるとなると、視認性は大きく落ちてしまうだろう。

HMDを装着して鈴鹿仕様のウェアラブルPCをデモする塚本氏と板生氏

 つまり今回、チームつかもとが8耐専用のピットクルーサポートクライアントを開発したように、用途によって最適化した情報をコンパクトに見せる必要がある。

 チームつかもとに参加するNTT未来ねっと研究所の板生知子氏は、そうした情報処理のミドルウェアが専門のエンジニアだ。HMDで効率よく情報を伝えるためには、単にピットクルー向けにカスタマイズしたクライアントではなく、個人や細かな役割ごとに最適化するパーソナライズが必要になってくるのでは? との質問に「ミドルウェアの改善により、情報を個別のユーザーに適したものに加工することは技術的には可能。たとえばピットクルーの役割ごと、チーム監督、あるいはプレスや観客などに対し、それぞれに最適な情報を与えることが可能になる」と話す。将来はパーソナライズを可能にできるシステムのアーキテクチャになっているという。

 実は「その人個人、あるいは役割ごとに、必要な情報だけに加工して見せる」技術は、たとえば企業向けポータル製品などで使われている。たとえば、あるWebページの必要な部分だけをパーツとして切り出し、自分専用のポータル画面に貼り付けておく、といった使い方だ。この場合は自分でカスタマイズするわけだが、もう少しインテリジェントな技術もある。

 日本アイ・ビー・エム(日本IBM)は視覚障害者向けにWebページ読み上げソフトなどを提供しているが、複雑なデザインのページは、読み上げていると本文に到達するまで10分以上かかってしまう場合も少なくない。ヘッダ部分や左サイドにメニューやヘッドラインインデックスが存在することが多いためである。記事本文が読みたい人にとってみれば、それらは全くの雑音であり、優先順位は低い。

 もちろん、PCでWebを見れる人ならば、自分で判断して本文以外を読まなければいいだけだ。しかし視覚障害者はHTMLの頭から順に読む音声を聞かなければ、必要な情報にたどり着けないのである。そこで日本IBMでは、Webページのタイトルと本文を抽出して先頭に移動させ、優先順位が低いと思われるヘッドラインやメニューなどを後から読み上げるためのHTML変換ミドルウェアを開発している。つまり、不必要なノイズを自動的に除去することで、可読性を上げているわけだ。

 またIBMユーザー向けの会員制組織Club IBM(現在、新規入会は停止中)で提供されているWeb Outlinerは、様々なニュースサイトにある情報を分析、抽出して再レイアウトするミドルウェア。これもある種、自動的にノイズではない情報を抽出し、各個人に合わせた情報にしてくれるものと考えることができる。

 ウェアラブルPC、PDA、携帯電話、そして視覚障害者に通じるのは、情報を見渡せる、感じることができる“窓”が通常よりも小さいことだろう。その小さな窓から、効率よく必要な情報を見られるかどうか。このあたりにウェアラブルPCをはじめとする、小型デバイスのブレークスルーが潜んでいそうだ。

【お詫びと訂正】記事初出時、「知覚障害」と表記しましたが、「視覚障害」の誤りでした。お詫びして訂正させていただきます。

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【6月23日】ウェアラブル普及を目指すNPO「チームつかもと」始動!
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【6月20日】マクロメディア、FlashとウェアラブルPCによる情報配信システム
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2003/0620/macro.htm
【5月15日】【森山】ユビキタスってこんな感じ?
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2003/0515/kyokai08.htm

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(2003年8月7日)

[Text by 本田雅一]


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